第54話 連絡
明石さんが走り去っていった後、しばらく呆然としていた僕だったが、はっと我に返って、携帯を取り出す。
携帯が使用可能な待合室まで移動し、メールボックスを立ち上げる。
まず、連絡すべきは如月先輩だ。
メールを見れる状況にあるかどうかわからないが、忠告しておくに越したことはない。
『すみません。僕の不手際で明石さんがそちらに向かっています。対応よろしくお願いします』
送ってすぐに、返信が返ってくる。
『明石さんならもう来たよ。妹の前では強がってたけど、ちょっとまずいかもしれないね。部長に連絡しておいたほうがいいかも』
妹さんの容態がよくないにも関わらず、落ちついた様子の文面。
年上の余裕というやつか覚悟のおかげか、肝が据わっている。
「朱里に、報告か……」
僕は待合室のソファにすとんと座る。
今度こそ彼女に責められるんじゃないかと内心ひやひやする。さすがに、これで嫌われてしまうことはないだろうが、彼女に怒られるとなると正直怖い。でも、今回のことは完全に僕の責任だ。怒られるのも致し方ない。
僕はそう決心して、彼女へのメールの文面を考える。
『明石さんが、如月先輩の妹の件を知ってしまいました。僕の責任です。ごめんなさい』
謝るのもなんだか違う気がしたが、ほかに言葉が思いつかずそう打って送信する。如月先輩の時ほど返事はすぐにこなくて、僕はやきもきしながら待った。
『気にしないで。よくあること』
少し経って朱里から送られてきた返事はそれだった。
僕はその言葉に疑問を感じる。よくあること、というのはどういうことだろう。
僕が悩んでいると、朱里から再びメールが送られてくる。
『二次元病、公演とかイベントの時、よくトラブル発生させる』
僕はそのメールで納得する。
朱里にとって、トラブルこそが日常なのだ。むしろそれは彼女にとって、避けようのない出来事。だから、彼女は怒らない。ただ、僕は誰かに怒られなきゃいけない、そう思った。
「は? 全くお前、なにやってるんだよ。馬鹿か?」
結局、僕を叱ってくれたのは、翡翠だった。
場所は移って翡翠の家。
あの後、僕はしばらく病院の中で明石さんの姿を探したが見つけられず、徒歩で居候をしている翡翠の家に帰ってきていた。
「ありがとう」
僕はちゃんと自分を叱ってくれる親友に感謝の意を述べる。すると翡翠は、僕の頭を思いっ切りひっぱたいてきた。
「こっちは大迷惑だよ。なんで感謝してる」
そして呆れた顔でこっちを見てくる。
「いや、誰も叱ってくれなかったからさ」
翡翠は小さくため息をつく。
「それで誰かに怒って欲しかったって? 自己満足にもほどがあるぞ」
翡翠は自分の椅子にどかっと座る。
「でもまあ、しょうがないっちゃしょうがないんだよなぁ」
腕組みをしながら言う翡翠。
僕は態度を一転させた翡翠を見て、思わずつぶやく。
「そんなに公演の時にはトラブルが起こるもんなのかな」
僕の言葉に翡翠が唸った。
「うーん、まあ、そうらしいね」
「知ってるのか!」
翡翠のその口ぶりに、僕は食いついた。すると翡翠は、しまった、という渋い表情をしたが、結局僕の目線に耐えかねて話してくれる。
「AKには、朱里先輩の周囲で起こった二次元的出来事が全部記録されてる文書があるんだ」
「全部?」
そう聞いて僕は、朱里先輩から聞いた過去の話を思い出す。あの最悪の事態。あれまで、AKは記録しているというのか。
「い、いつからの記録?」
「高校入学からかな? 朱里先輩の二次元病ひどくなったのってその辺りかららしいし」
僕は翡翠の言葉にほっと胸をなでおろす。高校入学してからの記録なら、翡翠は
あの事件のことは知らないのだろう。それはつまり、本質的には全部じゃない。朱里に打ち明けてもらった秘密が周囲に広まっていないことに喜びを感じてしまう僕だった。
ただ、僕の知らない朱里に関係するトラブルというのも気になってしまって、翡翠に尋ねる。
「それで、どんな出来事が?」
「ああ、それはな」
僕に聞かれて話し出そうとした翡翠だったが、すぐに顔をしかめて黙ってしまう。
「どうしたんだよ」
「いや、なんだかこういうの陰口みたいでいやだなって。お前、自分の彼女なんだから本人に聞いたら?」
本人のいないところで、朱里の調査をしている団体に入っている翡翠がよく言う。ただ、それを言ってもしょうがないので、翡翠に教えてもらいたい理由を素直に告げる。
「いや、だってさ。トラウマ、掘り返しちゃったら嫌だなって……」
僕の言葉に、翡翠は少し笑った。
「蒼斗も蒼斗で、考えて俺に聞いてるんだな」
「僕のこと何だと思ってるの?」
僕は翡翠の物言いに思わず彼をにらむ。彼は、ごめんごめん、というと、それでも、と首を振った。
「トラウマを掘り返してしまうとしても、本人に聞いた方がいいと思う。俺が見たのはあくまで記録で、真実は記録とは異なることがある。中途半端に知ることほど、本人を傷つけることはないと思うぜ」
「そんなもんかな」
僕が彼の言葉に考え込んでいると、彼は突然椅子から立ち上がり話を切る。
「ま、今はとにかく、明日の公演を無事すますことだけ考えようぜ。んじゃ、電気消すぞー」
ちなみに、怪我が治ったのにいつまでも一階を占領しているわけにはいかないので、今日からまた翡翠の部屋での就寝だ。
「うん」
僕の返答とともに消される電気。
部屋の風景が闇に沈む。
暗闇の中で静かにしていると、自然に明日のことを考えてしまって、だんだんと緊張してしまう。
僕は大きく深呼吸をしてなんとか気持ちを落ち着かせ、眠りについた。
明日はいよいよ、本番だ。
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