第49話 事故

「全治一週間、と言ったところですね」


 運ばれた先での、お医者さんの言葉。

 僕はその微妙な期間にため息をつく。

 治るのが図書館公演ぎりぎりになってしまう。


「そうですか、よかった……」


 僕の内心とは裏腹に、翡翠はとても安心したように息を吐いている。僕の生死にかかわる怪我じゃなくてよかった、と思っているようだ。


「完治まで安静にしてくださいね」


 お医者さんはそう言って、僕と翡翠を待合室に帰す。

 ちなみに僕は、右足をぐるぐる巻きにされ、松葉杖をついた状態だ。車いすの貸出も検討したが、扱いが難しいとのことでやめることになった。


「いや、ほんとに、大事なくてよかったよ」


 待合室を出たところで、翡翠が言ってくる。

 僕としては、公演に支障が出るのは、大事なのだが……。


「さっき、メールしたら、母さん迎えに来てくれるって、待ってようぜ」


「ああ、悪いな」


 翡翠の言葉に、僕は本当に申し訳なくなる。

 翡翠のご両親には迷惑をかけっぱなしだ。

 今度、何か恩返ししなくては。


 僕がそんなことを考えていると、翡翠があることにやっと気づく。


「なあ、お前。全治一週間って言うと、公演は……」


 だんだん青ざめていく翡翠。


「そうだよ、間に合わないかもしれない」


「俺が、もっと気を付けていれば……」


 翡翠がうなだれる。確かに、翡翠を庇う形で僕は今回怪我をした。

 だが、翡翠に落ち度はない。

 悪いとすれば、僕に車をぶつけてきたあの運転手だ。


「お前は悪くないよ」


「けがをしたのが俺だったらよかったのにな」


 翡翠が悔しそうに言うが、僕はそんな翡翠に突っ込まずにいられない。


「お前がけがをしたとしても、公演ヤバいんだから一緒だろ」


「だけどさ……」


 歯切れ悪く言ってくる翡翠。

 そんな翡翠に耳打ちをする。


「お前が怪我するより、僕がした方が、二次元病の恩恵を受けてなおるかもしれないだろ?」


 その言葉に目を見開く翡翠。


「おま、それ、かけみたいなもんだぞ?」


 翡翠の言葉に僕は肩をすくめる。


「怪我してしまったものはしょうがないさ。どうにか治せるよう、ゆっくり休むよ」


「ごめん……」


 翡翠はよほど責任を感じているのか、再び僕に謝った。


 しばらくして、翡翠の母親が迎えに来てくれ、僕たちは翡翠の家に戻る。


 お風呂などは、包帯の上にビニールを巻いて何とかうまくやった。

 翡翠の両親はけが人の僕の世話をかいがいしく焼いてくれ、滋養のつく料理や、一階に僕の寝どこまで用意してくれるという至れり尽くせりだった。彼らもどこかで、自分の息子を庇って事故に遭った僕に感謝の念や、負い目を感じているのかもしれない。



「電気けすぞー」


 夜の9時ごろ、一階の新しい寝床に入った僕に翡翠が言ってくる。


「おう」


 僕は、自分の胸元の布団を引っ張りながら言う。

 なんだか、少し寒かった。


「あ、そうだ。みんなへの連絡はしておいたから」


 出て行きかけた翡翠だったが、振り向きざまに言ってくる。


「ああ、ありがとう」


 僕はみんなへの連絡などということはすっかり忘れていたので、翡翠のその手際の良さに感心する。まあ、当事者である僕より落ち着いている、ともいえるが。


「ただ、朱里先輩にはお前からもメールしといてやれよ。すごい、心配してたから。じゃ、おやすみー」

 

 翡翠はそう言って、部屋を出て行った。

 僕は、翡翠の言葉にそれもそうだな、と思い、枕元にセットしてあった携帯を手に取った。

 朱里とは、部活の連絡のために、携帯のアドレスを交換してある。

 僕は、朱里に向けたメールの文面を必死に考える。


『怪我をしましたが、命に別状はありません。ただ、公演に出れるかどうかが微妙になってしまいました。申し訳ありません。』


 僕はその文面を何度も見返して送信する。

 初めて送るメールがこんなものとは、情けさを感じずにはいられなかった。

 

「公演……」


 僕はそうつぶやいて、それと同時に朱里の返事が怖くなる。

 だって、朱里にとって、公演というモノは、誰かの命よりも重かったりする。如月先輩の時の話がいい例だ。

 僕は彼女に、怒られてしまうのではないか。

 もっとしたら、彼女にふられてしまうのではないか。


 僕の体を恐怖が支配する。

 体中がこわばっているのを感じる。


 ピロロロ


 小さな音を立てて、僕の携帯がメールの着信を告げる。

 かなりの返信の早さなので、朱里はもしかしたら、僕からの連絡をずっと待ってくれていたのかもしれない。


 僕はおそるおそる彼女のメールを開く。


 そして、そこにある文面を見て、ふっとため息をつく。


『公演のことは今は気にしないで。ゆっくり休んで』


 僕の体を気遣う言葉。僕は彼女にふられなかったことに心から安堵する。


 彼女からの言葉が嬉しくて、僕はその晩、携帯を胸に抱きしめて眠った。

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