第4章 初公演

第48話 練習

5月16日 放課後 演劇部室


「だから、照れないでって言ってるじゃない!」


「ごめん」


 ぷりぷりと怒っている明石さんを前に、僕はただただ謝ることしかできなかった。


 僕らは部室で、図書館で行われる公演の練習中だ。

 そして、その劇の中では、僕と明石さんは両想い。

 互いに触れ合うシーンがある。


 僕はどうしても、そのシーンを演じる際、照れがはいってしまうのだ。それをいつも、相手役の彼女に怒られる。


 翡翠の家に居候を始めてから、半月ほどが経った。

 あれから、事件という事件は起こっていない。

 部室を飛び出していった明石さんは次の日にはけろりとして帰ってきたし、如月先輩の妹さんの容態も安定したそうだ。姉からも特に音沙汰はない。

 ちなみに、入寮の話だけは僕らにとっての初公演の後、ということになった。僕が環境が変わって苦労しないようにと仲田さんの配慮らしい。


「じゃあ、もう一回、いく」


 僕が最近の出来事の回想に現実逃避していると、容赦のない朱里の声が発せられる。


「はーい」


 さっきとは一転して、にこにことした様子で所定の位置につく明石さん。

 やっぱり演劇が好きなのだろう。


「さん、に、いち」


 ゼロのタイミングで叩かれる手。

 僕らの世界が構築され、劇が開始される。


「よろしく」


「こ、こちらこそ」


 僕は出来るだけ照れないように、彼女に手を差し出す。

 一方の彼女は照れまくりで、顔を真っ赤にしながら手を掴んだ。


「はい、ストップ。蒼斗、まだ、照れてるね?」


 朱里の停止の声がきこえる。

 そして僕は、そこで気付く。


「まって、これ、不利でしょ!?」


 そうなのだ、これ、僕にとって断然不利なのだ。だって、明石さんは照れてる演技をするのだから、実際照れていても問題がないのだ。なんたる理不尽。


「そんなにいうのなら、私が男役やって見せますよ。蒼斗君が女役やってください」


 どうやら漏れてしまっていたらしい僕の本音は、明石さんによって一刀両断される。


「お、女役とか恥ずかしくてできたもんか」


「じゃあ、真面目にやってください」


 なかなか難しいことだが、やってできないことはないはず。

 なにしろ、この平和な部活が続くのが幸せだった。


「よし、今日は解散ね」


 しばらく練習した後、仲田さんの号令で僕らは帰る準備を始める。


「蒼斗ー、かえろうぜー」


 へろへろとこちらに歩いてくる翡翠と、それに続いて出てくる如月先輩。

  

 妖精役の翡翠は、別室で如月先輩にこってりと絞られていたらしい。


「おう」


 僕が答えると、ふらふらとした足取りの翡翠の鞄をもってやる。


「疲れてんだろ、もってやるよ」


「おう、助かるー」


「んじゃ、お先に失礼しますー」


 足もとのおぼつかない翡翠と僕は、部室をあとにする。

 今から行けば、ちょうど電車に間に合う時間だった。翡翠は僕と合わせて最近電車通学をしている。一人でも大丈夫と言っているのだが、どうにも心配症なのだ。


「お前がそんなんなるなんて、如月先輩の指導、きつそうだな」


 僕はふらふらしている翡翠に向けて話しかける。


「あー、うん、そこそこなー」


 翡翠は少し心ここにあらずな様子で答えてくる。

 全く、練習と称して変なことでもされてるんじゃないか、こいつは。


 僕は、親友を心配しながら、駅に向けての道を進む。


 そして、ある場所で足を止める。

 一方通行の道に停車する車が一台。

 ただ、一方通行に反する方向に車は向いている。

 つまり、僕と翡翠のいる方に。


「なんだ、とまっているだけか」


 一瞬、その車が飛び出してくるかと身構えたが、停止しているのに気付き僕は小さく息を吐く。


「どうしたんだ?」


 立ち止まった僕に、翡翠が不審な目を向けてくる。


「なんでも、ない」


 僕がそう言って、翡翠を追いかけようとした瞬間。

 自分の横から、小さなエンジン音が聞こえた。


 一方通行を逆走してくる一台の車。

 その様子はなんだかスローモーションのようにゆっくりと動く。

 僕は頭の中で計算する。


 このままじゃ、翡翠にぶつかる!


 そこから先は、本当に必死だった。


 僕は翡翠を車の進路から突き飛ばし、自分もそこからの脱出を図る。


「蒼斗!?」


 翡翠が驚いた様子で、僕の名前を呼ぶ。


 スローモーションの世界の中で、僕は認識する。


 あ、これ、間に合わない。


 体に衝撃が走る。


 僕は、車道にごろんと倒れる。


 右足に痛みが走った。


「あ、蒼斗、大丈夫か!!」


 絶叫する翡翠。

 

 彼の声を聴きながら僕が考えていたのは、


 図書館での公演までに、治るかな、ということだった。

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