第39話 団欒

「どうして?」


 そう言われて、僕はどうしようもなく固まってしまう。

 一体、ねえちゃんは何に対してどうしてと言ったのか。

 だって、僕は言ったはずだ。日頃のお礼だと。


 しばらく、二人の間に無言が広がったが、慌てた様子のねえちゃんがその沈黙を破る。


「ああ! ひ、日頃のお礼、だったね。うん、ちょっとぼーっとしてた」


 絶対、何か隠しているような言い方に僕は引っ掛かりを覚える。

 彼女が何か困っているなら力になってあげたい。


「ねえちゃん、なにかあったの?」


 ねえちゃんは、僕の言葉にふるふると首を振る。


「な、なにもないよ?」


「本当に?」


 僕がじーっと彼女の目を見つめると、ねえちゃんは目をそっとそらした。

 怪しい。


「なにかあったなら、聞くよ? 例えば、恋人にフラれて泣きたいなら肩かすし」


「え、恋人?」


 その言葉に意表をつかれたのか、ぽかんとするねえちゃん。

 僕はその表情を見て、あれ、外したかと心の中で小さく舌打ちをする。だったら、ねえちゃんの挙動不審の理由は何なのだろう。


「最近、朝早く出かけてるから恋人でも出来たのかと思ってた」


 僕はとりあえず、そう思った理由を説明する。

 すると、ねえちゃんはその言葉にちょっとくすくすと笑う。


「ああ、あれ? あれね、友達のところで料理練習させてもらってたのよ」


 なるほど、と僕は思う。それで、最近料理の腕の上達が著しかったのだ、納得だ。

 しかし、恋人でもないとしたら、何なのだろう。

 僕は懸命に次の言葉を探す。

 近くにいるたった一人の身内だ。力になれることなら、なんでも力になってあげたい。


「蒼斗はいるの?」


 しかし、僕の言葉は必要なく、ねえちゃんから質問が飛んできた。

 思わぬ言葉に僕は返答に困る。話の流れからそんなにおかしくない質問ではあったが、ねえちゃんが僕の恋愛ごとに興味を持ってくるとは思わなかったのだ。


 僕はどうこたえようか迷う。

 でも、姉弟相手に隠しても無駄だと判断し、本当のことをいうことにする。


「最近、出来たよ」


 僕がそう言うと、目の前のねえちゃんの表情が変わる。

 とても、ショックを受けたようなその表情に、僕の心は痛むが、同時に脳内に大量のエラーが発生する。

 それは、どう考えても、弟に彼女が出来たという報告を聞いた顔ではない。

 それはまるで、自分の恋する相手に恋人がいたような……。


「そうなんだ! ね、写真とかある?」


 ねえちゃんから、無理したような明るい声が響いてきて、僕の思考は中断される。


「な、ないよ」


「えー、そっか。残念! 見てみたかったなー」


 無駄に明るい声で続けるねえちゃんに、僕はいたたまれなくなってくる。

 ねえちゃんに何が起こったというのか。なんで弟の僕相手にそんな表情をしていたのか。考えようとする頭を必死に止める。

 考えてしまったら、気付いてしまったら、なにか、この日常が音を立てて崩壊してしまいそうな気がしたから。


「あ、そろそろお風呂わかそうか。わいたら、蒼斗先に入っちゃっていいよ」


 ねえちゃんがわたわたとしながら、洗面所の奥にある風呂場へと消えていく。

 僕は、どうしようもなくなって、なんだか怖くなって、食器をキッチンに下げると、自分の部屋へと逃げ出した。


 考えたくない。


 自分の中で、そう思っても、頭は勝手に考えてしまう。


 ねえちゃんの、あの顔が頭の中で思い出される。


 おかしい、おかしい、おかしい。


 否定して、頭の中でどんなに情報をデリートしようとしても、それは何度も何度も僕の頭の表層へとアップロードされてくる。


 これも、二次元病のせいなのか。


 僕の頭にそんな疑問が浮き上がってくる。

 

 ねえちゃんをおかしくしたのは、朱里のあの病気なのか。


 もし、そうだとしたら、ねえちゃんはこのまま……。


 恐ろしさに身震いする。


 彼女の忌むべき力の恐ろしい効力を確認して、恐怖で体がすくむ。


 日々、更新されていくその恐怖に僕はいつか押しつぶされてしまうのだろうか。


 朱里と別れることを想像する。


 それはつらく悲しくも、ただ、普通の日常を享受できる素晴らしい選択に思えてくる。


 離れるなら、早いほうがいいのかもしれない。


 僕の心の中の声が言う。


 朱里との関係が深くなってしまう前に、傷が浅いうちに……。


 でも、僕はそんな自分の考えに首を振る。


 僕は、朱里の世界に魅せられてしまっている。

 忌むべき力とは別の、世界を作り、演じる不思議な力に。

 だから、離れることは出来ない。


 たとえ、身を引き裂かれようとも。

 僕の家族がどうなろうとも。


 それは、身勝手なのかもしれないが。

 たった一生のわがままだと思おう。


 僕は心に強く決めるのだった。


 朱里を決して、一人にはしないと。

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