第38話 姉弟

「ただいまー」


「あ、蒼斗。おかえりー」


 挨拶をしながら家の中に入ると、いい匂いとともにねえちゃんの声が聞こえてきた。どうやら、今日ももう夕飯作りに勤しんでいるらしい。ありがたいことだ。


「なんか、手伝うことある?」


 僕がキッチンに顔を出すと、ねえちゃんは堅そうなかぼちゃと格闘しているところだった。


「あ、蒼斗。ごめん、これ堅くて……。切ってもらえるかな?」


「わかった」


 俺はそう答えて洗面所で手を洗ってから再びキッチンへと舞い戻る。


「貸して」


 ねえちゃんから包丁をもらって、かぼちゃを切り崩しにかかった。


「煮物用だから四角くお願い」


「了解」


 女子の力には辛そうなかぼちゃを懸命に打ち倒す。

 少しの格闘のあと不格好になったが、無事かぼちゃをきることが出来る。


「ねえちゃん、終わったよ」


「ありがとー」


 ねえちゃんの方を向くと、そこには少し赤い顔をしたねえちゃんがいた。香りから、鶏肉と思わしきスープの味見をしている。

 赤い顔をしているのは、きっとスープが熱いせいだろう。


「あとは、やることある?」


「ん! あ、うん、ないない。待ってて」


 僕が話しかけると、ねえちゃんが慌てた様子でおたまをガシャンとやる。ちょっと挙動不審だ。どうしたのだろう。

 僕は少し心配になりながら、キッチンから出た。


「今日の夕ご飯、何?」


 居間からキッチンに向けて尋ねると、ねえちゃんはふふふと笑って答えてくれる。


「それはねー、お楽しみ!」


 いつもの返答が帰ってきて安心する。

 ねえちゃんは昔から料理をするときに、作っているものを隠す習性がある。ねえちゃん曰く、じゃじゃーんと出す感じがいいらしい。最近は、毎日作ってじゃじゃーんと出しているから、本当にご苦労なことだ。


「わかった、待ってる」


 ねえちゃんの先ほどの言葉に甘えることにした僕は、そう答えて自室へと戻った。


 制服を脱いでハンガーにかけ、部屋着へと着替える。

 そして、鞄から、プレゼントの袋を二つ取り出し、机の上に並べた。


「こっちが朱里の分で、こっちがねえちゃんの……」


 鞄の中の勉強道具を明日の分へと入れ替える。そしてその上に朱里へのプレゼントを包装紙が潰れないようにそっと置く。鞄をゆっくり閉め、部屋の中の所定の位置に置き、僕はやっと机の前の椅子に座ってリラックスする。


 机の上には、ねえちゃんへのプレゼントと、授業道具入れ替えの際に取り出していた如月先輩作の脚本。

 僕は脚本を手に取り、中身に目を通す。

 それは、ヒロインに恋する男の物語だ。

 少しずつ、今の自分に重なるところがある。感情移入はできそうだった。

 ただ、ヒロインと握手をしたり、抱き締めあったり。そういう場面に、心が乱されてならない。別に、明石さんを恋愛的な目で見るとかそういう意味ではないが、要は、演じている間に照れてしまわないか心配なのだ。


「大丈夫かな」


 つぶやくと、なんだかさらに心がざわざわして落ち着かなくなった。

 いつしか思考は、演技のことでなく、如月先輩の妹のことへ飛ぶ。明石さんは、自分で整理がつけられるのだろうか。もしや、退部してしまうなんてことになってしまうのではないか。

 短い間でも、同じ部活で過ごした仲間だ。そんなことにはなって欲しくなかった。ただ、もし明石さんが抜けたら、その代役は朱里がやるのでは……と思って、ほんのわずかに期待してしまう自分もいて、すごくすごく嫌だった。


「ダメだ、こんなんじゃ……」


 僕はぶるぶると首を振って自分の思考をリセットする。朱里と舞台に立ちたいという欲は捨てよう。それにそんなのは、明石さんと舞台上で触れ合うことから逃げているだけだ。


「朱里先輩と同じ場所まで行くんだ」


 朱里の舞台の世界に行くには、相当な覚悟と強靭な精神が必要だ。僕は自分を再び戒めた。


「蒼斗、ご飯出来たよー」


 今からねえちゃんの呼ぶ声が聞こえる。どうやら、夕食の時間らしい。

 僕は机の上にあるプレゼントをポケットに突っ込むと、居間に向かう。


「じゃじゃーん」


 ねえちゃんは口に出してそれを言いながら、体全体で手を開いてそのモーションをした。

 机の上には、豪華な料理が並んでいた。

 ハンバーグに鶏肉のスープ、アボカドとポテトのサラダなどなど、普通の日には豪華すぎる品揃えだ。


「なにかあったの?」


 僕が笑いながら席につくと、ねえちゃんはちょっと伏し目がちになって答える。


「ん、まあちょっとね」


 その様子に突っ込まないほうがいいと判断した僕は、自分の体の前で手を合わせながら言う。


「すごく、おいしそう! いただきます」


「どうぞ」


 俺の言葉に、今度は微笑んでくれるねえちゃん。

 二人での夕食が始まる。


 ねえちゃんは、ここしばらくで、めきめきと料理の腕を上げていた。

 スープの中の鶏肉は、やわらかく口の中でほどけるようで、ハンバーグにはチーズが入っていて、口の中でとろりととろけて美味しい。アボカドも、ちょうどいい感じに熟れていて、ドレッシングとの相性も抜群だった。


「ごちそうさまー」


 30分ほどかけて、僕は完食する。見ると、ねえちゃんもちょうど食べ終わったところのようだった。


「デザートもあるよ!」


 ねえちゃんはそう言って、立ち上がりキッチンへと向かう。

 彼女の手によって運ばれてきたのは、何かのシャーベットだった。


「これも、手作り?」


「そうそう」


 スプーンですくって、シャーベットを口へと運ぶ。舌の上に広がっていく冷たい感触と、口の中を通り抜けるほのかな酸味と甘み。りんごのシャーベットだった。


「美味しい」


 僕がつぶやくと、ねえちゃんは微笑む。


「よかった」


 二人で黙々と食べていく。

 ただ、そんな中でねえちゃんの今日の態度が僕は気になってしまう。

 なんだか、浮足立っているというかなんというか……。

 なにかあったのだろうか?


 まさか、彼氏にフラれたとか?


 そうだったら、慰めてあげたいのだが、一体どう聞けば……。


 ポケットの中の包装紙がかさりという。プレゼントをきっかけに話せるか……?


「ねえちゃん」


 シャーベットを完食した俺は、ねえちゃんに向けて話しかける。

 少し憂鬱そうにうつむいていた彼女が顔を上げた。


「なに?」


 僕はプレゼントをポケットから取り出して、彼女の方へと差し出す。


「これ、日頃のお礼」


 なんだか少し照れてしまって僕はそっぽを向く。

 ありがとう、そう言ってくれるのを期待していたのだが、彼女はその言葉はおろか一向に受け取ってくれない。


 僕が恐る恐る彼女の方を見ていると、ねえちゃんは目を見開いていた。


 そして、その口から言葉が漏れる。


 「どうして?」と。

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