第36話 読み合わせ

「えっとじゃあ、残りは図書館員と、カミサマ、か……神様は男っぽいから柚子先輩かな。大丈夫ですか?」


 仲田さんが如月先輩に尋ねる。


「OK。大丈夫」


 如月先輩はうなずく。ただ視線は、自分の書いた脚本から動かない。どう修正しようか考えているのだろう。真面目な人だ。


「あとは、図書館員か……」


「私は、今回は、演出回る」


 仲田さんの言葉に朱里が答える。仲田さんはその言葉に笑う。


「そういうと思ってた」


 どうやら、自分でやることになると思っていたらしい、それでさっき、決めるのは一か所と言っていたのか。


「読み合わせ、しよ」


 役も決まったところで、朱里が言う。


「あ、ごめん。今日は帰る」


 進めようとする朱里を如月先輩がその言葉で止めた。朱里は、彼の言葉に顔をしかめる。仲田さんは、そんな二人の様子を見て、間を取り持つように如月先輩に話しかけた。


「今日もバイト?」


「いや、ちょっと病院にね……」


 如月先輩のその言葉で全員が察する。妹さんの病状があまり芳しくないのだろう。

 朱里が心配そうに言う。


「柚子、大丈夫?」


「ああ、大丈夫。担当医の人も、もう少しすれば落ち着くだろうって……」


「違う。劇の方」


 如月先輩の言葉を、朱里が首を振って遮る。


「そんな状態、で集中できるの?」


 朱里の言葉に少し表情が暗くなる如月先輩。


「脚本は、まだ、書くだけ、だからいい。でも、役者は当日いなきゃ、話ならない。妹さんのことで、集中できない、なら抜けるべき」


 朱里の言葉に無言で唇を噛む如月先輩。心の中で迷っているのだろう。

 もし、劇当日に妹さんの体調が悪化したら自分はどうするのか。

 自分はどこまで、二次元病に縋るのか……。


「な……朱里先輩、それひどいんじゃないですか? 劇より、妹さんの命の方が大切じゃないですか!」


 朱里の言葉に反応したのは、明石さんだ。相当憤慨している様子で、朱里につかみかからんと近付いていく。


「れもんちゃん、気持ちは嬉しいけどやめて」


 それを如月先輩が肩を掴んで止める。


「でも……」


 明石さんは何か言いたげだったが、如月先輩の表情を見てやめる。如月先輩の顔ににじみ出ていたのは決意の顔だった。


「妹がたとえ死にかけていようが、俺は劇に出るよ」


 その言葉に息を飲む一同。

 朱里先輩はその言葉にうなずいた。


「それだけの覚悟があるなら、劇、していい」


 僕は如月先輩の言葉に心の中で反発を覚えた。

 それほどまでにこの人にとって二次元病は大きなものなのか。

 二次元病とはそこまで影響力のあるものなのか。

 そもそも、二次元病とは何なのか。

 なぜ、朱里はそんな病を患うことになったのか。


 頭の中でのクエスチョンは無限に広がっていき、ついには僕の口まで出てくる。


「如月先輩は……」


「おかしいです!」


 僕の呟きは、明石さんの叫びに遮られる。

 如月先輩に言われても、彼女はなお、我慢できなかったらしい。

 劇が好きな彼女にしては珍しい。


「如月先輩、あんなかわいい妹さんじゃないですか、命が危なくなったら、傍にいて励ましてあげるべきです! まだ、あんなに小さいんですよ? これから、もっと楽しいことあるのに、ただの学内公演のために、そんな決心……」


「ただの学内公演、明石さんは、そう、思うんだね」


 彼女の言葉に静かに応えたのは、朱里だった。

 明石さんの瞳を、その青い目でじっとみつめる。

 しばらく見つめあっていたが、ふっと明石さんは朱里から目を逸らした。

 どうやら、彼女の中でも整理がついていないらしい。

 自分の中で、演劇を愛する気持ちと、家族を大切に思うべきだという気持ち。どちらが強いのか。


「すみません、帰ります。頭冷やしてきます」


 明石さんは自分の失態に気付き、そう言って部室を後にしようとする。


「れもんちゃん」


 声をかけたのは仲田さんだ。

 明石さんはその言葉には振り向かなかったが、足を止めた。


「僕たちは、待ってるからね」


 はい、と明石さんが小さくつぶやく声が聞こえる。

 明石さんは、つぶやきとともに部室を出て行く。

 

 部屋の中には重苦しい雰囲気とともに、沈黙が広がっていた。


「れもんちゃんは、柚子先輩の妹にあったことあるの?」


 沈黙を破ったのは、仲田さんだった。如月先輩がそれに答える。


「この間、お見舞いに来てくれたんだよ。妹ととても仲良しになってね」


 そう言って、遠い目をする如月先輩。そして、彼は深い溜息をついた。


「こうなるぐらいなら、お見舞いにきたいといったときに、止めておくべきだったかな」


「柚子、悪くない」


 そんな如月先輩の言葉を朱里が否定する。


「これは、あの子の、問題。ここに、いたいなら、乗り越えなきゃ」


「まあ、そうなんだよなぁ」


 如月先輩が悲し気につぶやく。


「……もし、乗り越えられなかったらどうするんですか?」


 ずっと、静かに話を傍観していた翡翠が恐る恐るといった様子で尋ねる。


 一瞬の静けさが部室内に広がった。


 そして、翡翠の問いにこたえたのは、事の発端である如月先輩だった。


「……退部かな」


 その言葉に僕と翡翠は身震いする。

 そして僕は、それだけ、二次元病がこの演劇部の中に深く根付いていることを感じた。

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