第35話 脚本
「書き直し」
朱里はそう言うと、見ていた紙の束を如月先輩へと押し返した。
僕らはそれを緊張した面持ちで見つめる。
「やっぱり、部長様は厳しいね」
突き返された如月先輩は、少し残念そうな顔で頭をかく。僕らは、その如月先輩の落ち着いた様子を見て、ほっと溜息をつく。何事もなくてよかった。最も、あの如月先輩が癇癪を起すとも思えないが。
「どこら辺が駄目だった?」
如月先輩は、自分の元に戻ってきた紙の束をぺらぺらとめくりながら、朱里に尋ねる。朱里はその言葉に、少し考えた風になってから答えた。
「登場人物が、死んでる」
その言葉に如月先輩は噴き出す。
「死んでるかぁ……これでも結構頑張って書いたんだけどなぁ」
自虐気味に言う如月先輩を、明石さんが慰めにかかる。ちなみに、僕らの手にも如月先輩が持っているのと同じ台本が握られていて、それぞれがすでに目を通している。
「如月先輩、これ、とってもいい脚本だと思いますよ! きっと、朱里先輩が求めるレベルが高すぎるんですよ」
微妙にフォローになっていないその言葉に苦笑いを浮かべる如月先輩。
「れもんちゃん、ありがとう。でもまあ、ここじゃ、部長様のお眼鏡にかなわないとダメだからなぁ」
朱里はそんな如月先輩をちらりと見遣ると、今後の予定を告げる。
「大筋はこれでいい、柚子はこのままこの脚本の調整。もともと、一週間期限ある。一日で書き上げたのすごい。みんなは、これを基に、配役とか決めてイメージ掴んでおく」
「よしっ、じゃ、そういうことで、配役決めてこうか!」
朱里の指示を受けた仲田さんが、奥の方からミーティング用のホワイトボードを引っ張ってきて、そこに登場人物を書いていく。
出てくるのは、恋愛ものというだけあって、まず、お互い相手に恋心を持つ男女のペアだ。それから、図書館にいる妖精的な何か、あとは図書館員、そして世界の神様……?
「如月先輩、この神様みたいな人って誰なんですか?」
翡翠が気になったのか、如月先輩に尋ねる。
「ん? それは……カミサマかな?」
返ってきたのはよくわからない答えでみんなもやもやとした気分になる。
「作者が把握してなくてどうする! ここ、どうする朱里?」
思わず突っ込みを入れる仲田さんに、落ち着いている朱里先輩。
「柚子はそこも修正」
「りょうかい」
演劇における朱里先輩の指示は的確だ。
僕らを高い完成度へと導いてくれる。リーダーとして、安心感を与えてくれる。
「じゃあ、決めよっか。って、まあ、決めるとこほぼ一か所っぽいけど」
登場人物の横に性別を書きこんだ仲田さんが言う。
ホワイトボードを見てみると、確かに決めるところは少ない。
そもそも、一人は役が決定してしまっているのだ。
「とりあえず、れもんちゃんは、ヒロインの女の子ね」
苦笑いしながら仲田さんが、ホワイトボードに書き込む。
「あ、はい! そうでしたね、一年生がメインキャラって言ってましたもんね」
少し嬉しそうな明石さんが言う。
さて、問題は僕と翡翠の役柄だが……。
「メインっぽいのは、主人公と妖精ですかね」
翡翠が脚本をめくりながら言う。そうだ、妖精と主人公。僕と翡翠がどっちをやるか、だ。
正直、どっちもやりたくない、と思ってしまう僕がいた。
朱里以外とは舞台に立ちたくないと、心のどこかで考えてしまう。
でも、たぶん、それじゃあ、ダメなんだ。
それじゃ、僕は演劇の世界にきちんと入っていくことが出来ない。
それでは、朱里のいる世界を知ることが出来ない。
僕は翡翠を見つめる。
「どっちやりたい?」
僕が尋ねると、翡翠は微笑を浮かべて言ってきた。
「任せるよ」
一番中途半端な回答に僕は悩む。
まあ、確かに翡翠が演劇部に入ったのは僕がいるからだ。彼が、ここで決めなくても文句は言えない。
「じゃあ、ジャンケンで」
考え込んだ末に僕は言う。
「おっけー」
翡翠もそれに同意した。
「勝った方が主人公な」
僕の言葉に翡翠もうなずく。
「最初はグー、ジャンケン……」
僕がチョキで、翡翠がパーを出す。
勝った。
これで、僕が主人公に決定してしまった。
まあ、どっちでも、演技の世界に入ることは一緒か。
僕はそう思いながら脚本を見る。
そして、自分が大きな勘違いをしていることに気付く。
……一緒じゃなかった。
主人公とヒロインの間には、何度か接触がある。
僕は、明石さんと、舞台の上とは言え、触れ合わなくてはいけないのだ。
僕はちょっと落ち着かなくなって、朱里の方を見つめる。
彼女は僕が明石さんに触っても気にしないだろうか。
僕が見つめた先にいた朱里は、何の表情も浮かべていなかった。
きっと、演技だと割り切っているのだろう。
「決まったねー。じゃあ、蒼斗君が主人公で、翡翠君が妖精ねー」
仲田さんがそう言ってホワイトボードに書き込む。
僕の体から冷や汗が流れる。
僕は、自分がちゃんと、割り切れるかどうか、怖くて仕方なくなってしまったのだ。
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