第33話 公園

「そう」


 僕がすべてを話し終えると、朱里は小さくつぶやいた。

 その表情からは何も読み取れない。

 怒っているようにも、悲しんでいるようにも見える。


「巻き込んでしまってごめんなさい」


 僕は朱里に向かって謝ると、彼女は小さく首を振る。


「それは、いいの」


 それは……?

 僕はその物言いに引っ掛かりを覚える。

 では、巻き込まれたこと以外に彼女は何が気になっているのだろう。


「なにか、気に入らないことあった?」


 僕がその言葉を発すると彼女はすごい勢いで僕のことをにらみつけてきた。やっぱり彼女は不機嫌らしい。


「気に入らないこと? 蒼斗、わからないの?」


 声を荒げていってくる朱里。

 怒られているにも関わらず、僕は彼女に呼び捨てられたことに喜びを感じてしまう。いけないいけない。

 僕は彼女の不機嫌になる理由を一生懸命考える。

 巻き込まれたことじゃないとしたら、それは……?


「嫉妬、してるんですか?」


 僕が少しの期待を込めてそう言うと、朱里は顔を赤らめながら小さくうなずいた。


「そう」


 そんな彼女の様子に、僕の中に抱きしめたいという欲求が広がる。

 だって、嫉妬をする彼女は可愛すぎる。

 時刻は夕暮れ時、いいムードも僕の頭をそちらの方向に向かわせる。


「……どこに嫉妬したの?」


 しかし、今朱里は怒っているのだ。僕は、必死になって理性を働かせ、自分の心を抑える。ちゃんと話を聞かなくては。


「私ね、蒼斗と、初めて付き合ったのは、自分なのかな、って思ってた」


 朱里のその言葉に、僕はああ、と思う。

 確かに、自分が初めての恋人だと思ってた相手に、昔恋人がいたと知ったら、ショックを受けるだろう。

 そこで、僕もふと思う。

 朱里は、デートに不慣れだったが、彼女はどうなのだろう。

 彼女もかつて、恋人がいたのだろうか。


「ごめんなさい。じゃあ、その……朱里は、どうなの?」


 謝ると同時に思わず、聞いてしまう。

 そんな僕の様子に、彼女の顔にさらに赤みがます。


「私、も、付き合うの、初めてじゃない」


 その応答に僕は、ああ、やっぱりなと思う。

 先ほど、朱里の過去を想像していた自分は正しかったのだ、とも。

 彼女はきっとかつて、病のせいで恋人を失ったこともあるのだ。


「朱里は……」


「でもね!」


 僕が過去のことを尋ねてみようと口を開くと、珍しく声を荒げて朱里が言ってきた。僕は驚く。


「どうしたの?」


 僕が言うと、朱里は、少しもじもじしながら、言った。


「でもね、付き合うのは初めてじゃなくても、デートは初めて……」


 僕はその言葉に、ちょっとだけ優越感を覚えてしまう。ああ、僕は朱里にとって、初デートの相手になれたんだ。

 そして、彼女の気持ちに応えるべく、僕も必死に考えて、初めてを探す。


「僕も、恋人とこうやって二人で出かけるのは初めてだよ」


 その言葉にぱっと顔を明るくする朱里。

 僕はそれを見て、嬉しくなる。

 確かに、僕は若葉と何度かデートをした。でも、あれは二人きりじゃない。あんなのきっと、デートじゃないんだ。


 僕の本当の初デートの相手は、朱里だ。


「お互いの、初めて、交換だね」


 朱里が幸福そうな顔でそう言う。

 僕らはその言葉に笑いあった。幸せが二人を満たしていく。

 さあ、これで仲直りだ。


 暗くなっていく公園で、僕らは街灯に照らされている。

 暗い中で見る彼女は、舞台に立っているときのように神秘的で、僕は思わず息を飲んでしまう。


「遅くなっちゃったね、プレゼントはまた今度、かな?」


 朱里が少し寂し気につぶやく。


「そうだね」


 僕はそれに同意する。

 でも、寂しそうな朱里を元気づけたくて言葉を紡ぐ。


「でも、これから何度だって、二人で出かけられるよ」


 僕がそう言うと、彼女は嬉しそうに笑った。


「そうだね、ずっと一緒にいるんだもんね」


 プロポーズ……したことを思い出して、僕の顔は真っ赤になっていく。

 朱里とのこれからの楽しい日々を思うと、心の中に幸福がどんどんと湧き出てきた。


「かえろっか」


「……うん」


 朱里のその言葉で、二人立ち上がる。

 そして、歩いて公園を後にした。

 向かう先は駅だ。そこで、今日はわかれることになる。


 どちらともなく、手を繋ぐ。

 お互いのぬくもりを感じながら歩く。

 短い時間のあと、僕らは、駅にたどり着いてしまう。


「それじゃあ、また明日」


 朱里がそう言って手を離した。

 僕は離れることがたまらなく寂しくて、彼女に向かって再び手を延ばす。


「朱里」


 彼女の腕を引っ張って自分の近くへと寄せる。


 彼女の唇が目に入る。


 赤くて、柔らかそうで、おいしそうだ……。


 唇にキスをしたかった。


 でも、僕はまだそれほどの勇気を持ち合わせてはいなかった。


「大好きだよ」


 そう言って、僕は彼女の額にキスをする。

 朱里はそんな僕に驚いたようだったが、すぐに笑ってこういった。


「次は、口にしてね?」


 彼女は僕のほっぺたにキスをすると、バイバイと小さく手を振って、駅の方へと去っていった。


 僕は巻き起こった出来事について行けず、しばらくその場で、呆然としてしまうのだった。

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