第31話 自己紹介からの

「神崎蒼斗です。よ、よろしくお願いします。朱里せ……」


 先輩と言おうとしたところで朱里先輩は僕のことを軽くにらんでくる。


「……朱里」


 僕は意を決してそう呼び捨てる。すると朱里先輩、いや、朱里は満足そうに笑った。


「それでよし」


 微笑む彼女は幸せそうだ。僕はその彼女の表情と、自分が呼び捨てたという事実に心の中があっぷあっぷしてしまって、次の言葉が紡げない。


「はじめて……」


 僕が一人慌てている中で、朱里先輩がつぶやく。顔にはやわらかな幸福そうな表情がひろがっている。


「はじめて人に心から自分の名前を読んでもらえた気がする」


 僕はその言葉にさらに照れてしまう。

 そして、朱里先輩が先ほど僕の名前を呼び捨てた時のこと思い出す。確かに、特別な気分だった。そう、心が洗われるような…。


「幸せな気分」


 僕の心の中の言葉を引き継ぐように朱里先輩が言った。

 

「僕もです」


 僕の口からも言葉が漏れる。


「よかった、同じ気持ちで」


 朱里先輩が微笑む。そして、窓の外をふっと見ながら僕に尋ねてくる。


「蒼斗は何人家族?」


 いきなりの質問に僕は驚くが、先ほど自己紹介と、彼女が言っていたことを思い出して納得する。名前の次は家族の話題らしい。


「えっと、両親と姉が一人の4人家族です」


「そうなんだ。きょうだい、いいね。うらやましい」


 僕の返答に朱里先輩が本当にうらやましそうに言ってくる。

 その後、僕はしばらく待っていたが、一向に彼女の話が始まる様子がないので尋ねた。


「朱里せ……朱里は、家族はいるんですか?」


 その質問に、朱里先輩は一瞬悲しそうな表情になった。

 ただ、すぐに表情を取り繕って、僕の質問に答えてくれる。


「一人」


 そのつぶやきに僕は言葉を失ってしまう。


 一人。


 どういう意味なのだろう。

 一人っ子という意味か。

 それとも家族が全くいないという意味なのか。


 家族がいない、一人。


 普通なら確率は低い。

 ただ、相手は朱里先輩だ。

 あの不思議な力を持つ彼女なのだ。

 何があってもおかしくない。


「一人、なんですか」


 僕が尋ねると、朱里先輩はなぜか笑顔を浮かべて言う。


「そう、みんないなくなっちゃった」


 その、最大限無理したような明るい顔に、僕の心は締め付けられる。

 この人は、ずっと一人で二次元病と戦ってきたのだ。

 何もかもを変えてしまう恐ろしいこの病と。


 もしかしたら、大切な人を何度も失っているのかもしれない。


 親友、家族、それに恋人だって失ったのかも……。


 きっと、だからこそ、僕と付き合うときに警告してくれたのだ。

 自分には忌むべき力がある、と。 


「一人じゃないです」


 そこまで考えると、僕の口から勝手に言葉が漏れていた。


「え?」


 朱里先輩が驚いて聞き返す声がする。


「これからは、一人じゃないです。朱里には、僕がいる」


 僕は何も考えずに、心のままに一気に言ってしまっていた。

 目の前には驚きのあまり固まっている朱里先輩がいる。


 二人の間に沈黙が訪れた。

 言ったことを後悔はしない。

 ただ、このどうしようもない空気が嫌で、僕はたまらず次々と言葉を紡いでしまった。


「これからは朱里が一人にならないようにずっと一緒にいます。なにがあっても、僕は朱里から離れない。だって、好きだから。朱里のためだけにずっと一緒にいるんじゃなくて、僕がずっと一緒にいたいんだ。僕は弱いから守るなんて言えないけど、必ず幸せにする。絶対幸せにする。だから、安心してください。もう、一人じゃない……」


 ついに言葉がなくなって僕は押し黙る。

 頭の中が熱くてしょうがなかった。自分の心から流れてくる言霊をただただ外に垂れ流して喋っていた。意味もよくわからずに。


「それ、プロポーズ?」


 半分笑いながら言う朱里に僕は自分の言ったことをやっと自覚した。

 そして、僕の頭から血の気が引く。

 ダメだこれは、フラれてしまう……。

 初めてのデートでプロポーズとかどういうことだ。

 指輪とかなにもないのに、そんなこと……


「もし、そうなら。嬉しい。受ける」


 僕の心配をよそに、彼女はそう言って微笑んだ。


 僕の頭の中が真っ白になる。

 今、なんて言った?

 彼女は、僕のプロポーズになんて……?


「いつか、結婚、しよっか?」


 これも、二次元病のせいなのか。

 あまりの非現実的事象に、僕はそう思ってしまう。

 でも、そんなことはすぐにどうでもよくなる。

 二次元病のせいにしろ何にしろ、彼女と結婚の約束をできるならこんなに素晴らしいことはない。


「はい、結婚しましょう」


 僕がそう言うと、朱里は少しだけ頬を染めて笑った。

 幸せそうな笑顔に僕もつられて笑う。


「さっき、敬語じゃなくなってた」


 笑いあったあと、彼女は唐突に指摘してくる。


「えっ」


「そのまま普通にしてていい。敬語、かたくるしい」


 僕が驚くと、彼女はそう言って再び微笑んだ。

 そして、少し寂し気にトレーの上を見つめる。もう、僕たちはハンバーガーを食べ終わっていて、そこには何もなかった。


「喉、乾いた」


 話が一段落したせいか、朱里がつぶやく。


「シェイクでも買ってこようか? おごるよ」


 タメ口で話すのに少し緊張しながら僕は言った。

 僕のその言葉に朱里はきらきらと目を輝かせてくる。


「いいの?」


 でも、何かに気付いたようで急にしゅんとなった。


「いま、シェイクもらったら、プレゼント、なし?」


 その表情がなんだか、僕の知っている朱里よりずっと子供っぽくて愛おしくなる。僕の好きな先輩には、僕の婚約者には、こんな一面もあるんだ。そのことが知れてうれしい。


「どっちにしろ、プレゼントはあげるよ」


 その言葉に、にへらーと微笑む朱里。 


「じゃあ、お願いしていい?」


 演技ではない、彼女の素を今日はたくさん見れる。

 そのことに僕は喜びを感じながら席を立った。


 ただ、あまりに幸せすぎて僕は忘れていたんだ。

 

 彼女の二次元病が、幸福ばかりを引き起こすわけではないということを。


 ハンバーガーショップでの二次元的展開として、どんなものがあるだろうか。

 そう、それは、様々な人物との邂逅。

 その出会いはいいことだったり、悪いことだったり……。

 でも、幸せなカップルに起こるのは大抵。


 不幸な出来事だ。


「あ、蒼斗じゃん。こんなとこで何してんの?」


 僕の耳に飛び込んできたのは、不快にしてもう二度と聞きたくないと思っていた女の声だった。

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