第29話 自分の心
当然、その日の部活は中止ということになった。
みんなの視線が痛い。
特に、明石さんからは軽蔑の目が向けられていて、とてもつらかった。
まあ、でもしかたないとは思う。
僕はそれだけのことをしでかしたのだ。
部活が中止であるにも関わらず、演劇部の部室には如月先輩以外の全員がいるままだった。誰も帰ろうとはしない。重苦しい沈黙が続く。多分、僕と先輩を二人きりにさせたくないのだ。
「部活、終わりだよ。みんな帰らないの?」
沈黙を破ったのは、僕の暴走の被害者である朱里先輩だった。
「この人と朱里先輩のどちらかが帰らないと帰れるわけないじゃないですか!」
その言葉に声を荒げる明石さん。そして僕をこの人呼ばわりして指さす。
朱里先輩は明石さんの指した指をゆっくりとおろさせた。
「れもんちゃん、私の恋人をこの人呼ばわり、悲しいな」
明石さんの顔に驚愕の表情が広がる。
「朱里先輩、わかってるんですか? 襲われかけたんですよ? 嫌いになったりしないんですか?」
朱里先輩は不思議そうな顔をして、返答する。
「確かにタイミング悪かった。でも、私と蒼斗君、恋人同士。拒む理由、ある?」
その言葉に、明石さんはあそこで僕が止まらなかったらどうなっていたのか想像したのか顔を真っ赤にした。
「ああ、もう! それなら、いいですよ。好きにしてください」
そう言って、そのまま部室の扉の方へと向かう。
「私は、帰りますから。ご自由に!」
部室を出て行く明石さん。これで、この場にいるのは4人だ。
少なくとも軽蔑の目を向けていた彼女がいなくなったので、少し楽ではある。
まあ、翡翠の心配そうな目や、なぜか好奇心に満ちた目を浮かべている仲田さんも厄介ではあるのだが。
「翡翠君、翡翠君。僕たちも帰ろうか。お熱い恋人を二人きりにさせてあげよう」
にやにやとした仲田さんがついにそう言う。
「え、でも……」
心配げな表情を浮かべてくれている翡翠はその言葉に戸惑い、僕の方をちらりと向く。僕は、その視線に一瞬迷ったがすぐに大丈夫というように小さくうなずいた。
「わかりました、帰ります」
僕のうなずきを受け取った翡翠は、仲田さんの問いかけに応じる。
「よし、いこういこう!」
仲田さんはずいずいと翡翠を引っ張り出口へと向かう。
そして、くるりと振り返ってにやにやとして言う。
「朱里、校内で不純異性交遊はなるべくしないようにな」
「そんなことにはならない」
朱里先輩がさよならの合図で、手のひらをひらひらと振りながら言葉を返す。
すると、仲田先輩は満足したようで翡翠をそのまま引っ張っていってしまった。
部室内は、ついに二人だけになった。
先ほどの不純異性交遊という言葉が頭の中に残って、部室のベッドをちらちらと見てしまう。二人だけ、という状況が自分の頭の中の理性を外してしまいそうだ。
だが、僕は先ほどのような過ちを犯すべきではない。
今度こそ、朱里先輩に嫌われてしまうだろうから。
沈黙。
二人の間に深く落ちたそれは、僕の首を、静かに締め付ける。
なにか、喋らなくては、窒息して死んでしまいそうだった。
でも、何を話す?
何を話せばいい?
共通の話題は?
……僕は朱里先輩のことを、しらない。
「ごめんね」
僕が口を開こうとした瞬間、朱里先輩の口から言葉が発せられる。
謝罪の言葉。
「どうしてですか? どうして謝るんですか?」
僕はその言葉に違和感を覚え、尋ねる。
今までの一件で、朱里先輩に落ち度はあっただろうか。僕の暴走をとめてくれ、そして許してくれた彼女に。
「蒼斗君が、おかしくなったのは、私の、二次元病のせいだから」
悲し気に言う朱里先輩。
「私のこと、嫌いに、なるでしょ?」
朱里先輩がまっすぐ僕を見つめてくる。
僕はその言葉にすぐに首を振る。
嫌いになんてなるわけがない。
嫌いになんて絶対になれない。
「大好きですよ、朱里先輩」
今度は優しく、包み込むように触れる。
彼女を抱きしめる。
白銀の髪を持つ、特別な力を持つ僕の彼女は小さく、小さく震えていた。
「大丈夫です。ずっと一緒にいます」
その反応を見て、ああ、朱里先輩も僕のことを好きでいてくれてるんだな、と実感する。幸福なふれあい……。
部室で抱き合うのは、二回目だ。
本当は、学校でこんなことをしてはいけないのかもしれない。
でも、僕らの関係を繋ぎ留めておくのには必要なことなのだ。
優しくふれあい、お互いの時間を共有するこの抱擁が。
朱里先輩が腕の中で、僕の方を見上げる。
そして、本当に小さな声で僕にささやきかけた。
「蒼斗君がしたいなら、そういうこと、してもいいよ?」
その声に、僕の理性がぐわん、と揺れる。
してもいい。
顔を赤らめていった彼女を僕はさらに抱きしめる。
まだ、知らない。
だから、そこまでは知れない。
朱里先輩の言葉で、なにか黒い力のようなものが心の奥底でうごめいているのを感じた。
そのまま、抱いてしまえ。
その声がそう言っているのが聞こえる。
でも、僕はそれをしない。
だって、彼女のことが大事だから。
体じゃなく、彼女の心から知りたいから。
「もっと、朱里先輩のこと知りたいです」
僕はその思いを口に出すと、彼女は可愛らしく微笑んだ。
いつの間にか、朱里先輩の震えが止まっている。
「デート、いこっか?」
それは、僕と先輩にとっての初デートだった。
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