第23話 見えないもの

 二人だけの世界。

 それはとても心地よかった。

 その舞台の空気に僕は酔いしれる。


 そして、朱里先輩の言葉を待つ。

 

 先輩はどんな言葉をかけてくれるんだろう。


 どんな世界を紡ぎ出してくれるんだろう。


 心がどきどきで、弾けてしまいそうだ。


 僕が、全神経を先輩の挙動に集中していると、先輩は短く息をすって、美しい声を響かせた。


「ねぇ、あなたはどうしてそこにいるの?」


 それは、僕ではなく虚空に向けて発せられた言葉だった。

 もちろん、彼女の視線の先には、舞台の魔法で言葉の相手がみえ……なかった。

 僕は正直、その状況に焦る。


「あの……なにに向けて話しているのですか?」


 僕が尋ねると、先輩は不思議そうに、そして無邪気に言った。


「なにって? お兄さん、この人が見えないの?」


 純粋そのものなその瞳。

 青い瞳に見つめられる。


「この人?」


 僕が戸惑いながら問いかけると、先輩は指をさす。


「この女の人だよ」


 指さす先には何も見えない。

 背筋がぞわりとした。


「なにも、見えないけど……」


「そっかぁ。お兄さんも見えない人なんだぁ」


 先輩は口に手を当てて残念そうな表情をする。


 僕は頭の中でなんとか状況を整理する。

 先輩の力で、見せられていないということは、そもそも僕に見せる気がないということだ。つまり、それは……?


「幽霊……?」


 僕がその言葉をつぶやくと、途端に先輩は不機嫌になる。


「お兄さんも、この人たちのこと、そう呼ぶんだね」


「そ、そんなこと……」


 先輩の不服そうな顔を見て、僕は正直焦るが、幽霊と思ってしまったのは代えられない事実だ。

 現に、幽霊でもなければ、この場において僕が見えないはずがない。


「幽霊って呼んだよね」


 澄んだ目でこちらを見てくる先輩の言葉に、僕は何も言えなくなる。

 先輩はそんな僕の様子を見ると、小さくため息をついた。


「そうやって、この人たちのこと幽霊とか思っている人ほど。こういう風になっちゃうんだ。特にお兄さんみたいに、人の目が怖い人はね」


 こういう風に……?

 僕の体は金縛りにあったように動かなくなる。

 額から冷や汗が流れていくのを感じる。


「人の目を恐れて、避けているうちに、どんどん、どんどん、薄くなっていくんだよ。そして、いつの間にか、誰にも見えなくなる。この女の人のように」


 先輩は悲しそうにそう言う。そして、僕の方を再び振り向いたとき、あっ、と声を上げた。


「ほら、いわんこっちゃない。消えてきちゃったよ」


 先輩の言葉に、僕は自分の足もとを見る。

 そこには、ただの地面、しかなかった。

 自分の足が途中から消えているように見える。


「あ、あ、ああああああああ」


 僕は半狂乱になる。

 消えてしまう、消えてしまう。

 僕が、自分の存在が。

 舞台の魔法で、この世から消されてしまう。


 透明はどんどん、頭の方へと迫ってくる。


 怖い、怖い、やめて、消さないで。


 人の目におびえ、何度消えたいと思ったことか。


 だが、こう言うことじゃない。


 消えたい、なんてもう思わない。


 だから。


 ここにいさせてくれ……


「お兄さん、目を開けて?」


 自分の頭の上から声が聞こえる。

 どうやら僕はいつの間にか座り込んでしまっていたみたいだ。

 僕が彼女の方を向くと、彼女はにっこりと笑っていた。


「もう大丈夫。お兄さん、心が強かったみたい。でも、一かいあっち側にいったら、もう見えちゃうの」


 彼女の周りに、たくさんの薄くて白い魂のようなものが見える。


 その恐ろしさで、僕は声を発せない。


 僕はあまりの恐ろしさに、そのまま意識を失った。


「はい。お終い!」


 しばらくして、舞台の世界が閉じられ、仲田さんが遠くでそう言う声が聞こえた。

 僕はかろうじて意識を取り戻したが体に力が入らず、舞台に倒れたままとなった。


「あれ、神崎君、だいじょぶ?」


 僕の異様な様子に、仲田さんが気付く。


「なんか、気絶してますね」


 体をつつかれる感触がした。声の距離からして、明石さんだろう。


「おーい、大丈夫かー」


 耳元で叫んでいるのは翡翠だ。

 一応、大丈夫。

 そう答えたかったが、体が全く動かない。


「蒼斗君、やりすぎた。ごめんね」


 朱里先輩の声。彼女の声が僕の中に染みわたり、緊張をこわばりを解いていく。


 優し気に頭をなでてくる手も心地いい。


 そんな安らぎの中で、僕は再び意識を手放した。

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