第17話 二次元病

 あれだけ脅された割に、現実はやはり現実だ。

 特に何も起こらない。


 それが、一日過ごしてみての俺の感想だった。

 その後、普通に授業を受けてみたが、教室でこれといってなにか特徴的なことが起こることはなかった。


「やっぱりなにもないじゃないか」


 放課後の教室で俺はつぶやく。

 今日あったことと言えば、女子とやたらぶつかったり、授業で毎回あてられたり、売店のおばさんがガムをおまけしてくれたりしたぐらいだ。どれも少し起こりにくいが、現実の範疇に収まるものに違いない。


 そんなことを思っていると、下校を始めるきらきらの一団からざわめきが聞こえてきた。

 不審に思って近づいてみると、その中心には銀髪の少女がいた。


「蒼斗君……いる?」


 その言葉できらきらたちのざわめきが大きくなる。また、俺に気付いた人々が道を開けていき、俺と先輩の間に小さな一本道が出来る。


「あ、いた」


 朱里先輩は俺を見つけると顔をぱっと輝かせて、近づいてきた。

 そしてあろうことか、俺の腕にだきついてくる。


「部活、いこ?」


 朱里先輩は、上目遣いでこちらを見つめてくる。黒い瞳の奥の、青い瞳がこちらをのぞいてくるのがわかるような気がした。


「は、はい」


 俺が答えると、朱里先輩はぐいぐいと俺を教室の外へと引っ張っていく。

 廊下まで引っ張り、きらきらの一団をある程度抜けると、先輩は俺から離れて後ろを振り向く。


「みんなも演劇部に入りたかったら、部室に来てね?」


 いつもより少しだけなめらかに発声されたその言葉に、みんなの心が射抜かれていくのが見える気がした。


「いこ」


 朱里先輩はいい終わると、また俺を引っ張り出した。


「ど、どこ行くんですか?」


 部活と言われていたのに、この状況に焦った俺は尋ねてしまう。


「部活に決まってる」


 朱里先輩は少しぶすっとしながら俺をぐいぐいと引っ張る。

 そうしているうちに、部室は近づいてくる。

 だが、俺ははたと思い出してしまう。

 演劇部の部室にあるものを。


 ベッド……


 ここで、いかがわしい妄想をしてしまうのも健全な男子であることの証拠である、と俺は心の中で自分を弁護する。

 ただ、罪悪感が半端ない。


「そういうのは、まだ、しない」


「へっ!?」


 部室につき、扉に手をかけた朱里先輩が顔を赤くしながら言う。


 考えていたことを読まれたのか……?


 俺は、さらに赤面してしまう。

 朱里先輩はというと、部室に入ると、ベッドにぽすんと座って、枕元の電気をつけた。ろうそくを模した照明のかすかな灯りが部室内を照らす。


「名前、知ってるけど。自己紹介、まだ」 


 大きなぬいぐるみを抱きしめながら朱里先輩がこちらを見つめてくる。


「私、柊木朱里。二年生。よろしく」


 朱里先輩は少し顔を赤くしながら、俺に向かって言う。

 その可愛らしさに俺の体は熱くなる。

 この人と俺は付き合えるんだ。

 現実が少しずつ変わっていくんだ。


「俺、神崎蒼斗です。よろしくお願いします」


 いつか、敬語も消えて、彼氏彼女みたいに、リア充の奴らみたいに、俺もなるんだ……。


「蒼斗、いい名前」


 朱里先輩が微笑む。

 頭が熱くて、正常な思考を保てない。

 ただ熱い頭の中でも、一点だけは気になって俺は尋ねてしまう。


「どうして、俺が付き合うって決めたことを知っているんですか?」


 先ほどからの態度、そうとしか思えない。

 俺に対して照れたりして、それは俺の決心を知っているとしか……。


「紫乃が、さっき飛ぶように走って教えに来た」


 その返答に俺はくすりと笑ってしまう。

 あの仲田さんが慌てて走っているところなんて、笑わずにはいられない。


「紫乃のことなんて考えないで」


 俺がそうしていると、いきなりむっとした声が目の前から聞こえた。


「私のことだけ見て」


 朱里先輩は、そう言いながらベッドを降り、俺の方に近づいてくる。

 

 瞳が青かった。いつ、コンタクトレンズを取ったのだろう。

 

 その瞳に魅了される。


 心も体も、彼女のいいなりだ……


 俺は彼女のためなら、なんでもしてしまうだろう。


 そんな俺の様子を見て、朱里先輩は満足したように笑う。


「それでいいの」


 朱里先輩は少し束縛体質があるのかもしれない。

 まあ、まったく構わないのだが。


「俺……これからよろしくお願いします」


 俺がそう言うと、朱里先輩は妖艶に笑うと、俺の方に近づいてきて、唇に手を当てる。


「蒼斗君、俺、じゃない一人称は、僕、だよ」


 僕。

 彼女にそう言われた瞬間、その一人称がじんわりと体にしみこんでいった。

 今まで、俺、という一人称を何年も使っていたのが嘘のように僕の心の中で、それは当たり前のこととして処理される。


「私も、よろしくね」


 朱里先輩はそう言って僕の手を握る。


 正式にあいさつしてから初めての接触。


 そんな接触では、今の舞い上がるような僕の心は満たされない。


 僕は朱里先輩の手を引き、自分の方へと抱き寄せる。


「もう、大胆だな」


 朱里先輩は嫌がらない。

 そう言って笑う。


 とても幸せな時間が僕らの間に流れる。



 こうして、二次元病という病を持つ女の子が僕の彼女になったのでした。

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