第15話 桃井先生

「神崎君!」


 トイレを出て廊下を歩いていると、桃井先生が話しかけてきた。


「なんですか、先生?」


 俺はその様子に不審に思って尋ねると、桃井先生はにっこりと笑った。


「生徒会室の場所、わからないでしょ?」


 言われてみればそうだった。覚悟を決めた勢いそのままに飛び出してきてしまったので考えていなかった。


「案内するわ」


 出鼻をくじかれて少しへこんでいる俺に桃井先生がそう言って先を歩き始める。


「ありがとうございます」


 素直に礼を言って、後ろについて歩く。


「神崎君も大変ね。入学早々いろんな人に目をつけられちゃって」


 桃井先生がそう言いながら笑う。


「そうですね……」


 つい昨日もこうやって案内してもらったななどと考えていると、先生の言葉が思い出される。


『……じゃあ、あの子に会ったのかな』


 その言葉が妙に気になって、先生に尋ねる。


「先生、昨日言ってたあの子って有名なんですか?」


「あの子ね……朱里ちゃんに会ったんでしょ?」


 朱里ちゃん、そう先輩を呼ぶその声は随分と優しげで、なんだか生徒を呼ぶそれではないような感じだった。


「朱里先輩と仲良いんですか?」


「まあ、そこそこにね」


 どういう関係ですか? そう聞こうとして思いとどまる。他人の事情に深入りするものではない。そう思って黙っていると、桃井先生が口を開いた。


「私、顧問なのよ。演劇部の」


 言い訳のように言われたその言葉。なんだか歯がゆい感じが体の中に広がるが、俺は沈黙を守る。


「そういえば昨日あなたも、演劇部に行ったんでしょ?」


「あ、はい」


 さすが顧問というべきか、桃井先生は俺の見学を把握しているらしかった。


「朱里ちゃんと一緒にいることを選ぶなら、覚悟が必要よ」


 いきなりのその言葉に驚いて立ち止まる俺。


 どういうことですか?


 俺がそうたずねる前に、桃井先生が微笑みを浮かべながら振り返った。


「ただ、覚悟の前に魅了してしまうのがあの子の特徴だけどね」


 その微笑みは、どこか寂しそうで幸せそうな不思議な表情だった。

 俺がその顔に何も言えなくなっていると、桃井先生はすぐに表情を戻した。


「さあ、ここが生徒会室よ」


 桃井先生が目の前の扉を指さす。俺は小さく息をはいて、その扉に手をかけた。


「それじゃあ、行ってらっしゃい」


 桃井先生は、扉に手をかける俺の後ろで言う。


「ありがとうございました」


 お礼を言い損ねるところだった。俺が振り返りながら言うと、先生はもうそこにはいなかった。

 少し面食らったがすぐに気持ちを持ち直して、俺はゆっくりと生徒会室の扉を開ける。


 部屋の中は暗闇に包まれていた。

 中央に一つの影が見える。

 おそらくあれが、仲田さんだろう。


「こんにちは」


 俺が声をかけると、影がごそりと動き、小さなスイッチの音ともに部屋の中に小さな灯りがともった。


 そして部屋の中に奇妙に響く声が広がる。



「二次元病という病を知っているかい?」



 その声は、これから訪れることの恐ろしさを予兆しているようだった。

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