第13話 教室

「じゃあ、また後でね」


 下駄箱の所で朱里先輩はそう言って、俺の手を離す。

 俺の頭はぽわぽわとしていて、夢見心地だった。


「あ、はい!」


 そのせいで、俺が先輩に向けて返事をできたのは、彼女がいなくなってからだった。

 俺は、一人下駄箱で返事をしてしまったことに赤面しながら、自分の上靴をはく。


 そして、初めて教室へと向かう。一応、場所はちゃんと把握しておいたので、なんなくたどり着けた。


 一人の教室は落ち着く。

 出席番号順に割り当てられた席に俺は座り、周囲を眺める。

 これから、人が少しずつやってきてここはきらきらに押しつぶされると思うと残念でならなかった。


「おはよ。早いな」


 ちょうど俺が登校してから30分くらい後だろうか、さわやかな汗をかきながら翡翠が教室へとやってくる。俺以外では教室に一番乗りだ。

 こんなに汗をかいているのは、自転車登校だからだろう。翡翠は自転車が趣味だから、さらに早朝サイクリングにもいっていたのかもしれない。


「まあ、遅刻は二度とごめんだからな」


 俺がそう言うと、翡翠はそりゃそうだ、と笑う。


「初日の遅刻は特に目立っただろうよ、後々に響かなきゃいいけどな」


 翡翠のその言葉に、俺はぶるりと震える。悪目立ちして、はぼられクラスから存在を消されるなんて現実でも日常茶飯事だ。むしろ、いじめとかそういうものは、二次元よりも現実が残酷だと思う。

 特に、いじめている側がその自覚がないのが最悪だ。自覚がなければ罪悪感もないし、更生の余地はない。


 人間だれしも、いじめに直面する機会がある。

 その時、どんな行動をとれるかがその人の真価であると、俺は思う。


 そんなことを考えているうちに、クラスがきらきらで汚染されていく。息が詰まりそうだった。これから、毎日この中で生活するのかと思うと憂鬱だ。

 早くこの輝きが薄れてくれればいいのだが。

 だがどうやら、この息苦しさを感じているのはほとんど俺だけのようで、みんな楽しそうな顔をしていた。

 新たな友達作りに勤しんだり、同中からの出身者同志でわいわいやったりしている。


 俺の数少ない友達兼親友である翡翠はというと、いろいろなグループをぐるぐるとまわっていた。本当に社交性の高い奴だ。あいつと友達でいるおかげで、何度ぼっちの窮地からすくってもらったことか。感謝してもしきれない。


「さあ、時間よ。着席して」


 チャイムが鳴る。それと同時に、昨日の女性教諭が教室に入ってきた。


「みなさん、おはよう。このクラスの担任を務める桃井美紀ももいみきといいます。一年間、よろしくね」


 黒板に、見やすい綺麗な字で自分の名前を書きつつ自己紹介する。その手慣れた様子からして、桃井先生は見掛けよりベテランなのかもしれない。


「よろしくおねがいしまーす」


 一人の男子生徒が、先生の言葉を茶化すように言う。その言動に、小さな笑いが起こる。からかわれた先生はというと、笑顔を全く崩していなかった。


「笹野君、そういう態度で授業に関係ない発言や妨害を行ったら次からは……いいですね?」


 先生の目に一瞬だけ鋭いものが宿り、笹野と呼ばれた男子生徒は息を飲む。クラスの中が緊張に包まれるが、すぐに柔らかい雰囲気に戻る。桃井先生が、優しいまなざしにもどったからだ。

 この先生はやり手だな。

 俺は、冷静にそう分析する。


「それでは、学級代表を決めましょうか」


 手元の手帳を開きながら、先生が言った。

 すると、クラスでざわめきが巻き起こった。


「自薦、他薦問いません」


 もちろん、学級代表なんてめんどくさい仕事を自ら引き受けたいなんて酔狂なやつはおらず、みんなの目線は押し付けるための、探り合うような視線になる


 そしてあろうことか、その目線のすべてが最終的に俺へとたどり着いた。


「……俺?」


 俺がひっそりとつぶやくと、見つめる目線のすべてが肯定のために縦に揺れた。

 俺は助けを求めるように、翡翠の方を向く。

 すると、彼は口だけでこういってきた。


『ご愁傷様!』


 どうやら、逃げることは出来ないらしい。

 遅刻なんて、しなきゃよかった……。

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