雷電抜刀神伐鬼人旅伝(リハビリ短編)

 紅く燃ゆる木々溢れる山の下に一つの村あり。

 村の民、僅かばかりの貯えを森に還す慣わしあり。

 森構える山中には神がおわし召すと語られり。

 神、召し物が足らなければ村の若者を喰らう也。



     ◆



「――とまぁ、この先の村ってのはこんな感じで鬱々とした厄介者の集まりサァ」

「…………」


 川辺の近くにある団小屋で、そう語り笑う一人の吟遊詩人がいた。赤と青の派手な着物で彩らせながらも、その頭は白い被り物で隠され矛盾を孕む。対しその笑みは満面であり、総じて派手と隠匿と情動を見せる奇怪な輩である。

 白の団子を喰らい、詩人の話を聞き流していた男は茶をすする。


「嫌よナァ。あの村の民ってば、ならばと生け贄を差し出す慣わしを作っちまったってェわけサ! そうすりゃ、僅かな貯えも潤沢になるってもんよォ」

「…………」

「お前さん、聞いてる? こっからが大事なんだけど……」

「聞いている。早く話せ」


 今まで黙していた男は、鬱陶し気に詩人を睨んだ。

 かの詩人を矛盾に満ちた人物と語るならば、この男は陰険にして鋭利であると語られよう。紫の小袖に黒の袴。鋭い眼は笠のせいで一層は刃のように見え、その腰には一振りの刀が納められていた。

 睨みだけで人を殺せそうな男であるが、詩人はそれに笑みを浮かべて返してみせる。


「良きかな。今回お前さんに頼みたいのは何を隠そう、かの村の民の一親の頼みでなァ。狭い村の中でも珍しい、慣わしに違和感を覚える数奇者サァ」

「…………」

「どうにもその親御さん、お子さんを贄に選ばれたらしくてノォ。たまたま通りかかったオレに、まさかの頼み事をしてきたのサァ! 刀も持っていないのにネ」

「……人を斬るのは好かん。他を当たれ」


 二本目の串団子を腹に収めた男は興味なさげにそう呟く。詩人の言葉など川のせせらぎにも劣る煩わしい雑音でしかないように。

 詩人は狐の女子のような困った顔を見せ、関心を失いつつある男へ喚きたてる。


「いやいやいやいや! 村長を斬れとか言ってるんじゃないのサ。これは傾奇者であるあんたにしか頼めネェもんなのサ!」


 三本目の団子に手をかけた男はピクリと動きを止めた。僅かばかり笠を上げ、その黄色の瞳を詩人へ向ける。

 引っかかった、とほくそ笑んだ矛盾者はこれを好機と減らない口の数を減らした。


「神を斬ってほしい――あんたにとって相応しい頼み事だろ、ライ?」

「……お前は相変わらず何がしたいか解んねぇな」


 三本目の団子を詩人に投げ渡した侍は、浅くなった笠を深く被り、ゆらりと立ち上がる。


「いやなに。オレはあんたに惚れてんのサ。あんたの志はオレが語るに相応しいってもんサ。だから教えてやる。あんたの望むものなら特に」

「二本まで奢ってやる。それ以上は自分で賄え」


 音が鳴る。それは刀が勢いで跳ねた音だ。まるで来る時が来たと喜ぶかのように、その鯉口は鮮血を求め口を鳴らす。

 詩人に駄賃を渡すと、ライと呼ばれた男は団子屋から立ち去った。向かう先は言うまでもない。

 紅葉彩る森と男を見つめ、詩人は笑みと茶柱を浮かべていた。



     ◆



 燃ゆる炎を思わせる山の下には村があり、田畑は黄金の波が生まれていた。収穫の時なのだろう、子供も混じって村民は田畑は駆り出されているようであった。

 それゆえ、影のように陰鬱で息を殺した旅人が山へ向かっている様を見ている者は少なかった。元より流浪の侍などに興味を示すほどの余裕はない。

 逆に言えば、彼に接触する者は村の栄華を重要視していない者と言える。


「お侍さん……あんたが、あの詩人の言う神殺しかえ?」

「……詩人に化かされたのはお前か」


 村民と違わない姿をしている女が一人、山の目の前の森の付近でライと接触をする。目の下のクマ、やつれが見える表情には活気あふれる村の雰囲気を否定しているようである。


「この村はくじで生け贄を決めとると。おかげで私の旦那も、子も、山の中へ放り込まれたんよ……」

「逃げればよかっただろう。何故、それをしなかった」

「私らはこの村で生まれ育った。外の世界など知らん。逃げるなんて、そんな……」


 唾が吐き捨てられる。男の体液は土に染み込み僅かな泡だまりを作る。

 引き攣った声を出す女に、ライは心底どうでも良さそうに問う。


「それでお前の望みはなんだ。よもや、神を殺せば失った者も黄泉から帰ってくるとは思ってはおらんだろうな」

「そんな……そのような奇跡、高望みはせん。ただ、数日前に贄として差し出された我が子を、どうかお救いくださいませ……」


 女の懇願には返す事なく、ライは黙したまま山道を歩み始めた。

 例え空が赤い葉に覆われていたとしても、生まれ落ちるのは葉型の影だ。正午に差しかかろうとしている中、多少暗い山道を淡々と歩んでいく。

 秋になるからか虫のさざめきは様々であり静寂はない。獣が男を見ては去っていき、紅葉の先には鳥が鳴いては去っていく。


「……人食いか」


 強いてこの道に怪しさを見出すならば、男の前に現れた骨の数々だろう。ライはしゃがみこんでその骨を触っては元の場所に戻す。

 獣が食ったにしては非常に綺麗な骨が多い。腐敗し溶けるとはいえ肉の残った痕跡は少なく、自然の中の死にしては歪である。


「外れやもしれんな……」


 バラバラに放置されていた一人間の骨格を跡にし、男の足取りは変わらず山頂を目指す。

 気配はまだ確かではなく。されど騒めく胸の音は否定せず。外れだとしても多少の望みは抱いたまま、歩く。



     ◆



 ケモノとケダモノ。この二つは都の文人が修めたる文字にして同じ字で表せられる。

 彼女からするとそれは馬鹿らしい。彼らにとっては獣は畜生以下、それ故同じと捉えているのだろうが事実は違う。


「——でヨ、向こうの村のおなごの胸をな、こぉぎゅーっと握ってナ、引っ張ったわけヨ」

「カヒャヒャヒャッ! オメェの馬鹿力じゃ胸もげるワ。キャッヒャッヒャッ!」


 化生の物。そしてあれらは化生から堕した物。人でいう俗物に堕ちた物達。

 少女は一際影が濃い木々の下でその宴の様子を伺っていた。火を中心として三匹の化け物が囲い下品に談笑していた。顔は茶色の狼だが、明らかに人のような服を纏っており、傍らには奪った物なのだろう刀が無造作に置かれていた。


「そぉそぉ、ぐしゃしゃーっとなァ!! 人の肉は柔らかすぎるのが難点ヨォ」

「……で、何故にガキなんだ? 柔らかさの極みだろう」

「こりゃカシラの土産サ。カシラは何故かガキを好むからな」


 そして武器と同じく無造作に寝かされている一人の少年の姿がある。彼らが語るカシラの献上品にして、捧げられた村の女の子供である。


「んじゃ……俺らの今日の食べ物は?」

「ギャハハッ! 無いッ!! だから、今から狩るんだろ。あそこに隠れているおなごをヨォサァッ!!」


 馬鹿笑う狼男は、ぐるりと振り返り影に潜んでいたはずの少女を睨む。それに合わせて他の狼男も振り向き、夜の闇すら無視できる瞳孔を煌めかせる。


「さ、最悪、じャァッ!!」


 予想外にも鋭い視線を前に少女は叫び、されど冷静に仕込ませておいた刃を構えた。短く、歪な星のような形をしているそれを投げ込んだ。

 狼男どもはその的確な手裏剣を躱しつつ女を見るがもういない。


「ライの到着までに情報収集、何ならお子さんを助けて邪魔を減らす作戦が水の泡じゃァ!」


 牽制しながらも、少女は紅葉の影を縫って宙を移動していたのだろう。さっと子供を庇うように降り立っていた。

 赤と青の着物が目立つ、白い被り物をしているそれは、先程とは違う短い刃——苦無を構えつつも少年を抱きかかえる。


「女ァ! そのガキは村の民からのカシラへの献上品だ。黙って返しな」

「ハンッ! 何が献上品サ。お前さん達からすれば大将の機嫌を取るための食べモンなんだろうがサ、親御さんからすると大事なお子さんなんサ!」

「キヒヒヒッ。人の事情なンて知らねェナァ。それにおめェ、俺たちと同類だろ? 解れヨ。人を喰らう俺らをサァッ!!」


 笑いの中の確かな狂気は躊躇いなどなく、吟遊詩人の少女へ刃を縦へ振り下ろす。左手で構えていた苦無で受け止めるが仮にも少女の細腕、男の一撃を受け止めきれる道理はなく、刃先を逸らすのがやっとである。

 加え右腕には意識が無い少年を抱きかかえている。逃げようにも数と重量で押し切られるのは自明の理。


「忍びの真似事はヤめてヨォ、俺たちに肉をくれヨ」

「キャハハハッ! これだけ鍛えてあったら胸を引っ張っても取れないかもナァ!」

「……その肉、貰い受ける」


 にじり寄ってくる狼男三匹。詩人の少女はぎりりっと歯を食いしばるしかない。


「かくなる上は……」


 苦無を握りながらも髪を隠す白布に手をかける。少女にとっては我慢できないものであるが、命散らすよりはマシであると考えたのだろう。

 それを晒す事は己の出で立ちを肯定する事となり、同時に本来の己として振る舞うだろう。もしかしたら、右腕に眠る幼子を喰らうかもしれない。

 ——あぁ、それでは、今の私は涙するだろうなァ。

 乾いた笑いは、されど光る獣の黄金瞳のせいで湧き立つケダモノの血の狂喜にしか映らない。


「汝らにワシの尾を見せるのは癪じゃが……」

「テメェ、何ほざい——ッ!?」


 刹那、ぼとりと何かが血を晒しながら落ちた。同時に血が沸騰し蒸発する音も聞こえる。目を見開いた首が少女を見ている。

 はっと黄金瞳が煌めくのをやめる。少女の瞳がその色を認めたのだ。空を明かす赤でも、島国を包む青でも無い、夜闇に走る煌めきのような輝きに。


「ッ!!」

「なんじゃ——!?」


 一匹の死を認識した馬鹿笑いの狼は、笑い声をあげる余裕もなく胴へ刀の刃が突き刺さる。瞬間、刃から紫の稲妻が走り刺し跡を焼き焦がしていく。

 無論、化生の物とはいえその肉体の主は狼。生きているのであればその雷撃は全身を突き進み脳髄をも裂き殺す。


「邪魔だ」

「ガッ——!?」


 死んだ狼男を引き抜くために、その笠を深く被った男は右足で蹴り飛ばし、残された最後の一匹にぶつけてみせた。

 一連の中で訪れる一間の静寂。笠の奥から男の視線が少女に向けられる。


「何をしている、メイ。詩人は歌を歌うのが業であるはずだ」

「は、ははは……いやナニ、チッとはカッコつけてみたかったのサ。ほらオレ、ちょっち前は忍びやってたしヨォ」

「……そうか」


 へへへ、と惚気た笑みを浮かべつつもギュッと胸に手をやる。湧き立っていた少女の血は男の姿を視認した事で安心を得ていた。伸びつつあった頭の耳も鳴りを潜めている。

 しかし静寂はほんの数十秒だけ。死体に覆われていた最後の一匹が同胞を弾き飛ばし、刀を構えながらも立ち上がってみせた。


「クッ……奇襲とは卑怯な」

「女一人襲うのに三人で挑んだテメェらには言われる所以などない。それよか問うが……テメェが神か?」


 はっ? ——狼男はライの言葉の意味が捉えきれていなかった。

 その言葉だけで十分であった。袴に隠された脚は大地を抉るように飛び、その巨大な一歩と共に刀を突き刺すように構えていた。

 問答に一瞬気取られた狼男は反応が遅れつつも後ろへ下がろうとするが——


「ナ——ギャッ!?」


 そこは彼らが立てた火柱の中。足元の熱が足を焼き、布を焼き、意識を焼かんとする。

 語るべくなく。意識を強制的に下へ向けられた狼男は、ライの一振りなど意識を向けられるわけがなく——いとも容易く瞳を抉られ、引き抜かれた。

 後は巨大な火だるまが浮かぶだけ。しばらくの悶える抵抗も、数分もすれば黙した。


「……火で焼かれる神はおらん、な」

「間抜けとはこの事……うーん、伝記に残すか悩む次第」


 刀を鞘に納める男と、子供を下ろした少女はそうボヤいて溜め息を吐いた。

 時にして黄昏。影が濃くなりつつある中、獣焼きは特に輝いていた。



     ◆



「お侍さん、あの化け物を殺したんだよな? スゲェ!」

「…………」

「そォそォ! ライはとっっってもカッコいいのサ! こう近づいてはズバッ、ギリッ、ギャギャッとナァ!」

「…………」


 生贄にされた少年とメイと呼ばれた詩人は、虫の騒めき以上に声を出しながら山を登っている。ライは笠を深く被り黙々と歩んでいた。

 朝となり陽光は紅葉を照らし、赤い影を作っていた。おかげで迷いなく山道を歩む事はできており、その足先は軽快だ。


「メイ。登頂にいる奴らの頭を殺せばいいんだな?」

「オウサ。忍んでいる間に聞き出した限り、ケダモノ供のカシラこそ神騙り疑惑あるってェワケ!」

「俺たちの村でもそう言われてる。頂にいる神様のおかげで秋は豊作だって」


 山道の途中で放っておくわけにもいかず、さりとて村へ戻すわけにもいかなかった子供の言葉のおかげで目指すべき物の居場所は掴めていた。

 しかし戦闘となれば邪魔になるのも見越している。メイはいつでも彼を抱えられるように隣にいる。そのためにこの五月蝿い状況を彼は容認していた。


「しかしどうしよ……このまま村へ戻っても、俺と母ちゃん、居場所ねぇよ」

「んー……確かに。生贄になった子供が戻ってくるなんざ、罪に問われるのはその二人だもンネェ……」

「…………」


 それこそ神を殺す事も伝えるわけにはいかない。二人は大罪人となり、親子も同じ縄で縛られる。

 生贄に選ばれた時点で……否、あの村で生を受けた時点で詰みである。

 答えも出ないまま歩んで行くうちに頂を示す古い看板が見えた。誰が建てたのか——恐らくは山を登る事に意味を見出した数奇者だろうが——、それを前にして男は振り返り少年を見つめた。


「な、なんだい、お侍さん」

「……ここから先は死合う場所だ。そこの詩人と一緒にいろ」

「うん……でも、どうせ生きても」

「一つ助言するがな。何があっても最後には村を出ろ。生きるためならば、それぐらいはできる」


 紫色の侍はそう言い残して頂へ歩みだした。

 残された少年はその言葉の意味を探っているが、少年の手を繋いでいる少女はその意味を理解できていた。


「……重ねたか」


 忌み子と言われ、親を亡くした男の過去を知る少女は、僅かに目を細め少年を見やる。ギュッとその握った手を強くし、看板の前でライの無事を祈るしかできなかった。



     ◆



 かつて忌み子と言われた男、山の頂に至れり。

 その身に宿る血潮は頂の神を起こすに値せり。

 風吹き荒れる中、山の神と対峙し太刀筋は高みを目指す。

 燃ゆる葉咲き乱れる中、紫電が降り立ち二人の袂を分かつ。



     ◆



 山の頂は平地であり、豪風が吹き荒れている。

 そこには一回り大きい狼が横たわっていた。毛色は茶色ではなく灰色であり、その毛一本一本に何かが湧き立っている。

 白狼——神と謳われるのも納得の、神秘と威圧を身に宿した獣がそこにいた。


「……人か。しかし子ではない。成人しておる」

「……貴様が、神か?」

「そう呼ばれている。だが儂はそこまでは至ってはおらん。崇める者も多いが……どうでも良い」


 横たわっていた灰色狼は胡座をかき、見上げる笠を被った男を見つめている。

 あの茶色の狼男の頭目にしては理知的で、老齢しているようにも見える。身につけた鎧は古き戦国の時代の遺物であり、腰に挿している太刀は厳かで冴えが感じられる。

 僅かに期待していたのか、男はその狼の言葉に溜め息をついた。だが、鯉口は楽しそうに鳴いている。


「俺はお前を殺しにきた。神を騙るお前を」

「殺すか。久しく聞いておらん言葉だ。しかし、山を登り狼の如く生き、その果てに死合えるならば——本望」


 灰色の狼は立ち上がり刀を構える。6尺をも超える巨大な肢体とそれに見合う縦に構えられた大太刀は、覆うようにライを相対する。

 対し紫色の侍も、笠の下の瞳を爛々と輝かせ刀を抜く。その動きには一切の迷いもなく白狼へ突きつけるように太刀を構えた。


「来い。その小さき肢体で耐えられるものならば——ッ!!」


 白狼の挑発——それに応じるかの如く、ライは土を抉り散らし懐へと跳ぶ。呼吸をする間も必要なし。突きつけた彼の刃は獣の心の臓を抉らんと突き進むのみ。

 無論、如何に早けれどその軌跡が単純であれば相対するのは刃だ。直進する笠目掛けて狼は躊躇いなく振り下ろす。


「ッ——!!」


 大太刀を前にし、太刀は唐突に横へ構え直される。攻勢を崩しその一撃を受け止めんとするだろうが、ライの太刀よりも数倍の巨体である大太刀の前にそれは愚策である。

 切り結びは白狼が勝る。元より宙で構えていたのだ、一撃を受け止めるための大地はなく、ゆえに斬り下ろしと共にその重量の負荷はライに襲いかかる。


「ガッ——ァァッ!!」


 大太刀の刃先の進行は止まる。本来であれば終わりを示す停滞。

 だが白狼は見つめる。それは大地には届いていないことを。刃文が震えている。その感触を持って目の前の現実に感嘆を漏らす。


「貴様……人では無いな?」

「答える道理など……ない」


 息は荒れていた。しかしそれは疲弊によるものではなく、その一撃への賞賛を示す興奮によるものだった。

 笠を被る侍は、辛うじてその太刀で大太刀の一撃を受け止め切っていた——否、辛うじてでは無い。人並みの背丈でしか無い男が、巨人の一撃を受け止められるわけがない。

 ゆえに白狼は定める。目の前の者は人の身を持つ者ではないと。その怪力と振るわれる刀の質、そして闘争に発奮するその性質こそ——化生の物であると。


「認めよう。貴様こそ終生、儂が求めた——化物だッ!!」


 その身が獣に堕ちようとも、もはや生物の域から逸脱してようとも。かつて戦場でその生を駆り立てた猛者が求めた真なる強者は目の前にいる。その事実が白狼の毛を逆立てさせる。

 対し男は苛立ちを隠せなかった。舌打ちをし、笠の影から見上げる瞳は軽蔑が籠っていた。


「ケモノ、だ……? お前、そんな形しているくせに、まだ人として俺を騙るのか?」


 彼の言葉に呼応するかのように、紫色の何かが浮かんでは音を弾かせて消えていく。ライの周囲を走る煌めきは生命を拒む光であり、同時に人外である事を示す力でもあった。

 大地から湧き上がる稲妻は彼の笠を燃やし、炭となったそれは山を吹き抜ける風によってどこか遠く飛んでいってしまった。

 一つに纏めた傷ついた黒髪は、その主張する二本の角を隠せず風に晒される。紫色の牙のような瞳は細くなり、その頭上の元人間を睨みつけている。

 人の肌の色をした、鬼がそこにいた。


「人かケモノか、どうであろうが——俺は生きて、神を殺す。それだけだろうがッ!!」


 片腕の勢いで大太刀は弾かれる。その強烈な勢いに慄く狼に対し、鬼は静寂にその太刀を鞘に収める。

 闘争の放棄——否。腰を深く屈め、真っ直ぐに白狼の顔を見つめている。彼を中心とし大地から湧き出る電光の奔流は、右腕と鞘へ纏わり付いていく。


「その光、その稲妻——そうだ、それこそ儂が求めた人を超えた闘争者。天の神威をその身に宿す鬼であるならば、その一刀、我が太刀で——ッ!?」


 老狼は嬉々としてその一撃を受け止めようと構えるが、もはや鬼はその言葉に耳を貸さなかった。

 光が弾かれた音が消えたその瞬間、ライの右腕は白狼の胴へ届いていた——一歩も動く事なく。右腕が握る太刀は紫電に包まれ、長い一閃を描き、一振りの刀を作り上げていた。

 電光石火の如き抜刀は白狼の大太刀を通り抜け、その胴へと伸びた。ゆえにその一刀は狼の鎧を溶かし、その肉を焼き千切ろうと右へ薙がれる。


「そうか……これが真なる、神に近しき化生の力……獣に堕ちようとも届かんわけだ」


 それ以上の言葉はなかった。その身に宿していた仮初めの神威は霧散し、巨大な胴は地に伏した。音を立てて大地へと落ちた大太刀は、主人の死と共に折れ彼の墓標となった。

 神を騙る者を殺した紫電は霧散し、そこには残された紫電に当てられた紫色の右腕と、紫色の刃を持つ太刀が残っていた。

 最後のバチリとした音が消え、太刀は鞘へ収められる。


「真ではない。紛いだ、俺の力は」


 かける言葉はそれだけであった。



     ◆



「かくして、我らが雷電鬼は燃ゆる山の狼を討ち、再び旅路へと戻るのであった——以上、閉幕ってネェッ!」

「……それ、さっきのか」


 山を越えたライは、潜んでいたメイを連れ再び歩みによる旅路へと戻っていた。

 ——燃ゆる山の紅葉は未だに紅く、賑やかな装いをしている。しかしそこには楓よりも赤い血が滲んだ地であり、それの原因は村民にあった。贄が化け物を呼び、山に住まうようになったのだ。

 などと語り、村民に追い出されてから数刻が経っていた。


「あれぐらい派手にやらなきャ、ねェ。人間、誰しもお前さんのように強かないのサ。だから、悪役を演じてやれば効果は絶大ってネェ!」

「…………」

「ま、後はあの小僧が上手くやれば終わりサ。鬼に助けられた、化け物死んでたーってナ」


 村に戻ったメイは吟遊詩人らしく一芸を見せ、それが贄を送っている山の事だと高らかに謳う。村民は動揺し、嘘だと言って喚いてはメイを追い出した。

 後は「山から無事に戻って来た生贄」が、今回の出来事を言えば疑問を抱く者も現れるだろう。果たして自分達が行なってきた事は正しかったのか、と。


「人間は弱いからネェ。ちょっといつもと違う事があれば、神様のせいにしやがるのサ」

「おかげで外れを引いた」

「まァまァ。これにて一件落着……ってなるのは人間様次第ってワケサ」


 上機嫌な詩人は、赤と青の派手な着物の袖を振り回して舞っている。頭に被っていた白い布は無くなっており、金色の稲穂のような髪が露わとなっている。

 笠を失った侍は、代わりに受け取った白い布で頭を隠していたが、僅かばかり額から伸びた角で浮いていた。


「……やはり笠だな。布程度では隠しきれんか」

「オレは妖術で隠せるケド、ま、しばらくはそれで我慢してくれヨナ。夜なべして作るからサ」

「……お前は本当にナニモンだよ」


 コンコンっと鳴く、元忍者、現吟遊詩人の少女は笠の材料となる物でお手玉をしながら歩く。その隣で人である鬼は訳もわからず溜息を吐いた。

 かくして、人と鬼の子である雷電鬼と、人の身でありながら妖の記憶を有する鳴子娘の神殺しの旅路は未だ終わりを見せず続くのでありました。彼らがその後どうなったのか、それを語るのはまたいつの日か。

 雷電抜刀神伐鬼人旅伝、今宵はここまで……。

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