06:あなたに贈る物(起源回帰のラグナスより)

 バレンタイン。私の住んでいた修道院の近く、クリェートに伝わっている一つの風習のこと。

 大事な人、大切な人、意中の人……残念ながら、今の私にはそのような人はいないんだけども。とにかく、そういう人に甘いものを贈り物として渡す日のこと。

 多くはチョコレートと呼ばれるお菓子を渡すようになっている。勿論、相手が甘いのがあまり好きじゃないのなら、クッキーやビスケット、せんべいとかを贈る。

 バレンタインの発祥は、南の国で栽培されているカカオ豆がニーロコに輸入された事が始まりだったらしい。実際、ニーロコにもチョコレートの文化があり、容易にチョコの材料が手に入った。


 ――……いえ、決して彼にあげるとかではなく。


 かつてならおじ様である――あった、ラルド修道長に作って贈っていた。確か、クリェートでチョコレートが輸入されて、それで流行になった時に私も真似をしたんだっけ。

 おかげで料理の技術が向上したのは言うまでもなくて、おじ様も喜んでいた。女の子は料理できる方がいいからね、と笑みを浮かべて……渇いた笑い声をあげていた。


 ――別に私のチョコが不味いとかではなかったはず……だよね?


 自分の技量にすごく不安を覚えるけど、たぶん、大丈夫……大丈夫なはず。

 湯煎して溶かしたチョコレートに砕いたナッツを混ぜていく。キッチンは宿屋の人に借りることができたので、彼が寝ている間に作業をしているのだ。


 ――いや、本当に、気まぐれみたいなもので。


 黙々と深夜で作業する自分にそう言い聞かせる。寝るまでに冷蔵庫にチョコを入れないとならないから、実はほんの少し焦っていたりする。

 先程から自分に言い聞かせているように、決して彼のために作っているつもりはない。ただ、旅をする上で彼の力はとても大切なものだし、自分の考えを優先的にしてくれる彼の行為を無下にできなかっただけなのだ。そうであれば雇い主である自分ができるのは、労う事だけ。


 ――……ん? それ結局、彼のために作ってない?


 夜も深いからか、ほんの少しだけぼやけてきた思考が何か言っているけど、とりあえず作らねばならない。簡易的で、だけど手作りで。さすがに市販の物は彼に悪い。だから、市販の板チョコを溶かして、買ってきておいたナッツを混ぜ込んでいっているのだ。

 相応の環境なら、ショコラケーキぐらいなら手を出せたかもしれない。でも、それぐらい本格的なのはかえって重いというか……彼が寝る時間を考えると相応しくないのだ。


 ――……寝てるよね?


 確認はしてきた。今日は二人で次の旅へ出るための道具などを買いに出ていたのだから、私も含めて忙しかった。だから彼もすぐにベッドに潜ったし、小さないびきも聞こえた。 

 ……いや、もし寝ていたとしても起きてこない確証はないわけで。


「急ごう。急がないと、変な顔される」


 バレでもしたら絶対にからかわれる。彼と出会ってからひと月も経っていないけど、あの人はそういう人だ。少しでも弱みでも見せてみたら、三日はネタにされる。タスク達の前で言われてみたとされるなら、彼との縁を切る覚悟だ。

 そんなこんなで四角の型の中へチョコを注ぎ込んで、そのまま冷蔵庫へ。時計を見ると深夜の一時。早く寝なくては明日の行動に支障が生じる。


「よーし……寝よう」


 明日のラグナスの困惑する――ほんの少しだけでも喜んでくれる――顔を思い浮かべながら、私はトタタタっと二階の自分のベッドの中へ飛び込んだのだった。



     【◆】



 それが昨夜の事であり、否定したいけど個人的にはすごく楽しみにしていたのは事実である。

 えぇ……えぇ、認めましょう。好意はありませんが、彼が褒めてくれるのが楽しみで作りました! えぇ、そうですよ。頑張って心を込めましたよ。私だってアマチュアですが、料理が得意と自負するお年頃の女の子。どんなに相手が油断できない悪魔でも、そりゃ労いの気持ちも混ぜ込みますよ。

 でも……でも、この悪魔はァッ!!


「な、なんで! チョコ食べてるんですかッ!!」

「……ん?」


 いつもより少しばかり遅い起床。まぁ、こういう日もあると思って、怠惰に身を任せようとした目覚めの時。そこはかとなく甘い香りがして、急激に目が覚めたのだ。

 何せ見知った……嗅ぎ知った香りだったのだから。それはそう、カカオ豆から生み出される独特で砂糖で彩られたシュガーブラウンのハーモニー――もとい、チョコレートの香り。

 そしてそれを食べている黒肌の男……ラグナス。


「宿屋の店長がな、お前のところのだから渡しておくと言われてな」

「なっ」

「まぁ、あとは……バレンタインだから、想像に難くない。チョコ買い込んでいたし」


 こ、この……こちらの気持ちも考えずに、もりもりとチョコを食べて……!

 この鬼! 悪魔! あ、悪魔でした。


「あ、あなたのための物じゃないとしたら? タスクやマナナちゃんとか」

「さりげなくガンツを外すのは止めてやれ」

「そんなつもりはなかったです。ごめんなさい、ガンツさん」

「……まぁ、そう問いかけている時点で三人に眼中はなかった事が解る。そうであれば、タスクやマナナちゃんのなのにー、と叫ぶはずだ」


 ぐうの音も出ない正論である。

 だけども、ラグナスがやった私の声真似が酷かった。そのおじ様よりも低い声質で高い声を上げられると、馬鹿にされているようにしか聞こえない。たぶん、小馬鹿にしているんだろうけども。


「しかし、亡きおじに捧げるにしては数が多い。となると、巡り巡って俺だと思ってな」

「ぐっ……。ぇぇ、そうです、ょ?」

「恥ずかしがるな。こちらからすれば作ってくれただけでも嬉しいのだ」


 そう言って、その開けば大きな口にチョコを入れる。味わってくれているのだろうか。それとも悪魔だから味覚がないのだろうか? マークスさん曰く、ラグナスは機械らしいけれど……美味しいと思ってくれている、のかな?

 ただでさえ表情の機微が解り辛いので、無愛想に食べて見える。つまんない味ならどうしよう。そういえば彼って甘さ大丈夫だっけ……? あまり気にした事が無いけど、そういえば彼がお菓子を食べている姿を見た事が無い。イメージは……お肉。むしゃむしゃガツガツ食べている感じ。


「どうした? お前も食べるのか」

「あ、あっ、いえ! 大丈夫です、大丈夫です」


 じーっと見過ぎたせいなのか、訝しむラグは苦笑を浮かべる私に、私の作ったチョコを手渡してくる。変なところで優しい。しかし、残念ながらそのチョコは私が作ったものなので嬉しくない。

 やんわりと彼からのありがたくない施しを断って、私は期待していた彼の予想外な顔が見れなかった事に溜め息を漏らす。面白くない。あわよくば彼の弱みを握って、少しでも気を強く持ちたかったのに。


「……どう?」

「どうも何もチョコだ。それ以上でも以下でもないだろう。市販のチョコを溶かして、そこにナッツを入れ込んだだけ……そこに味を問われると困る」

「……確かに、そうかも」


 所詮は簡易的なチョコだ。特別に何かを施したわけじゃない。そうだと解ってはいるけども、やっぱりその何かしらの一言は欲しいわけで……。

 あ、あ、いやいやいや! 求めてない、求めてない!


「だが――バレンタインという催しは、味などあまり関係ないのかもしれないな」

「……え? どういうこと」

「そのままの意味だ。そりゃ、美味しい方が良いに決まっているが、もらえない事を考えるならもらえる方が嬉しい。男の思考としてはそれだな」


 ……単純だなぁ。だけども、それはちょっとだけ嬉しい一言だった。

 男の人が皆そうだったら、おじ様だって嬉しかったに違いない。あくまで私の中での結論だけど、ほんの少しだけ心残りが軽くなった。


「しかし、まさかこのような物をもらえるとはな……用意していた甲斐もあったものだ」

「え?」


 複数個あったチョコを平らげたラグナスは、感慨深く鼻を鳴らすと羽織っていた黒のローブのポケットから何かを取り出した。

 ブレスレットだった。赤色と青色の紐が螺旋を描いて輪っかを作っている。ミサンガのようだけども、つなぎ目にはちょこっと紫色の玉が付いていた。派手な色合いだけども、ラグナスの趣味なのだろうか。


「なに、ちょっとしたお守りついでなんだが……お前、あまりオシャレとか詳しくないだろう?」

「……私服持ってますよ?」

「ありゃダメだ。もう少し栗色とか、せめてベージュにしてくれ。あの土色のカラーリングはとても地味だ。お前の素材の良さが引き立たない」

「素材!? 私を食べるとでも!」

「……喰うか!」


 やっぱりこの人、悪魔です! 私の美的センスを疑ったと思ったら、今度は私を食べようとするのですよ!? あぁ、おじ様……慈悲を。

 とはいえ、ブレスレットを彼からもらえたのは嬉しい事なので、恐る恐る受け取る。明らかに呆れた表情を浮かべるのが見えたけど、無視無視。


「うわぁ!」

「存外、似合うな」

「う、うん!」


 右手にかけて見ると、彼の言う通り似合っているような気がしてくる。認めたくはないけど、ラグナスのセンスは良いのかもしれない。


「あ、ありがと……」

「どういたしまして。折角のバレンタインだからな。いつ終わるか解らない旅路の中で、お互いに残せる物があった方が良いだろう」

「……チョコで良かったの?」

「あぁ。食べ消える物もまた思い出さ」


 ラグナスはフッと笑って、赤い一つ目を嬉しそうに歪めた。そういう顔を見せられると、これ以上、口をはさむのは間違いだろう。

 想定外なバレンタインだったけども、少なくとも二人にとっては思い出になったと思う。いつか終わるかもしれないその日まで、私は悔いのない毎日を生きていたい。その隣に彼がいるのなら、その彼と共に。


 ――好意じゃありません。けども、彼は私だけの騎士様なのだから。


 否定しようがないたった一つの真実を、私は心の中で自分に言い聞かせる。

 ニーロコの朝が過ぎてゆく。チョコの甘い香りは、ほんの僅かにこの個室の中に残っていた。

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