03:心を殺して

 すぅーっと息を吸う。額から垂れる汗は、大地を焦がす熱光線のせいか、それとも緊張感のせいか……どちらにせよ、心臓は未だに落ち着きを取り戻すことはない。

 その噂は、身内のテロリストの間でも持ちきりのものだった。黒塗りの、それこそ戦場に現れる死神のようなギアスーツが、様々な戦場に現れていると。正体不明のそのギアスーツは、少なくとも反政府組織である俺達と敵対していると。

 馬鹿な。と最初は笑ったものだ。ギアスーツは一種の強化服で、中身は人間が入っているのだ。爆発物で燻せば死神だろうが倒せるさ、と仲間と一緒に盛大に語り合った。

 だが、いざ眼前に見えると、笑みなど浮かべられるわけがない。


「クソがッ」


 乾いた口から漏れ出す悪態はそれしかない。たった一人になってしまった反政府組織。その最後の一人である俺を、やつは仕留めに来たのだ。

 政府の犬――いや、あれをそう言うのなら、ビビッている自分が惨めに思える。処刑人だ。もしくは本当に死神なのかもしれない。

 ――まだ、やつはこちらに気がついていない。

 あの赤いバイザーは、未だに周辺の警戒を解かない。漆黒の鎧にこびりついた血痕も気にせずまま、大地に突き刺した大剣を引き抜いていた。その大地からは、小さな赤い噴水が生まれる。

 チャンスだ、と思う一方でここで手を出せば殺される、という確信があった。


「畜生……」


 逃げるという選択肢がないわけではない。奴がいる荒野から離れた森林地帯で潜んでいる俺は、そのまま森林を突き進みさえすれば、戦線から離脱できる。

 けど――あの光景を見てしまえば、人として、男としてその選択は選べなくなる。

 荒野には不自然な、ある色に塗れていた。その色を踏みにじるのがあの死神だ。突き刺していた刃には、同胞であったギアスーツが貫かれている。それ以外にも、首が跳ねられた者もいれば、真っ二つにされた者も。中には盾にされたのか、銃痕で誰かさえ判別できないほどにぐしゃぐしゃの死体もあった。

 全部、仲間だった。血の沼に曝された動かぬ騎士達は、俺を生かすために殺されていった。


「クッ……」


 やっぱり無理だ。あの惨劇を前に逃げ出す勇気はない。託された想い――生きて再び会おうという、小さな願いさえ奴の手で葬られたのだ。

 ならば、その願いを根絶した奴を殺さなければあまりにも報われない。たとえ、逃がしてくれた者達の想いに背いても――彼らはもう、何も言ってくれないのだ。


「残弾は……二百か」


 右手に握られているアサルトライフルの残弾を、ヘルメットのバイザーに映し出されたバイザーで確認する。俺の生還の確立を上げるために、唯一の未使用の銃を仲間は託してくれていた。

 使用するギアスーツはカルゴと呼ばれる、公表されてから四年目の最新の機体だ。軍からくすねてきた物で、その性能は前量産機であるアークスよりも扱いやすい。機体としての性能は申し分ない。

 アサルトライフル以外にも、両腰部には白兵戦用の近接武装、加熱式小剣ヒートソードが二振りも装備されている。それに、アークスの武装であるが、脚部にはグレネード射出装置が装着されている。当て辛いが、使い方次第では必殺の武器にもなるだろう。

 用意はいい――あとは、俺だけだ。


「覚悟しろ――俺は今から死地に挑むのだ」


 深呼吸をして自己暗示の言葉を呟く。何のことはない。言ってしまえば、自分自身に過剰な緊張感を与えるに過ぎない。

 心はビビってしまっている。しかし、思考は奴と戦う事を望んでいる。ならば――思考から発する言葉で、心を無理矢理にでも前進させるしかない。それはたぶん、愚かな事だ。理解している。

 思考しろ。これは弔い合戦だ。元より脆く崩れ去った大義であった。だからこそ、そんな壊れた理想を抱くよりも目の前にいる復讐を遂げた方がいい――そう思考しろ。


「そうだ……退路はない。帰る場所もない」


 使命を思い出す。俺達は世界機構という支配者に居場所を奪われた難民だ。だから、かつて悪と断じていた行為を繰り返し、戦力を整えた。反旗を掲げ、反政府組織として世界に挑んだ。

 ゆえに、帰る場所はもうない。今先程、そこから逃げ出したのだから。


「なら――前に進むしかないだろッ」


 自棄に近い叫びをそのままに、俺は森林地帯を抜けた。

 樹海の先ではなく、荒野へと。右手で握ったアサルトライフルの咆哮が誇らしい。背中に接続されているスラスタージェット噴射装置が風を切る。同時に世界に響く静寂に寂しさを感じた。森のざわめきなど、耳には入らない。

 ――堂々とした俺の出現に、奴はただ機械的に見つめていた。

 鋭い眼光を向けるわけでもなく、嘲笑を浮かべるわけでもなく――奴はただ、俺がいたとしか思っていないように見える。殺人機械。その忌名こそ相応しい。


「うぉぉぉぉっ!!」


 奴との近接戦闘は危険だ。奴の右腕に装着されている、背丈の半分はあるであろう大剣は、素人目でも危険な物だと判断できる。加えて、金属の鎧であるギアスーツの装甲を容易に斬り裂けるあたり、加熱式の武装なのかもしれない。

 しかし、だからと言って遠距離主体の戦闘も望めない。なぜな――


「グッ!?」

『――――』


 ――ら、殺人マシンの左手には時代錯誤のレールガンが装着されていたからだ。

 素人である俺の銃撃は敵には命中せず、レールガンによる攻撃を許してしまった。思考の端で回避できたのも、攻撃をする動作が認識できたから。警戒心が命の危機に応えてくれたらしい。

 レールガンは威力は高く、放たれた銃弾は速い。その分、取り回しは悪く、装弾数も少ない。そして何より命中率が悪い。反動が強く、狙いはどうしても曖昧になってしまう。十メートル強の石像を攻撃するならまだしも、二メートルほどしかない人間を標的にしても、ズレた銃弾の軌道では捉えるのは難しい。

 だが、当たれば必死である。だからこそ、最も自分が優位に戦える距離は――


「ここだッ!」


 自分が思い描いた距離に到着する――そこまで奴は動かなかった。左腕で仕留めようとしたらしいが、次弾の装填が間に合わなかったらしい――と同時に、俺は脚部のグレネード弾の射出装置を起動させる。

 必要なのは、レールガンでは捉えづらいほど近く、しかし大剣では届かない中間距離。大雑把な武装を持つ死神に対し、身軽な自分が勝てるのは速度と旋回能力、そして攻撃速度だ。

 放たれたグレネード弾が血溜まりを跳ねて爆発する。その余波から逃げるように、敵を中心とした円を描くように右方へ移動しながらもアサルトライフルの引き金を引いた――爆風でも十分であるが、念入りに攻撃は止めない。


「ギッ――!?」


 刹那、爆風は不思議な流れを見せた。爆炎が中から現れた空気の球体に押し込まれて霧散する……その中心にいるのはあの黒のギアスーツ。爆風を物ともせず、ましてや銃弾は受け流されていくばかり。

 化け物だ――そう認識するのは、奴の目を見れば明らかだ。悠然と立ち尽くし、ただそこで殺戮するのが当然のように俺を睨みつけている。

 赤のバイザーの光が増し、そこに映し出された深紅のツインアイがモノアイに変わる。それが合図となるように、黒の鎧は俺に振り向き剣で薙ぐ。体重移動を利用した斬撃は俺に当たる事はない。恐れのあまりに、俺は荒野のただなか後退していたのだ。唯一誇れるのは、それでもなおあの敵から目を離さなかった事か――その実、目を離せられなかった。


「うわぁぁぁぁぁッ!?」


 口からは悲鳴が漏れていた。思考を心が振り切った瞬間であり、自分でもみっともなく思う。しかし、叫ぶしかない。ライフルから漏れ出す音は絶叫を奏で、殺される恐怖は思考をも飲み込む。

 その一瞬――思考がショートした瞬間こそが生死の境界であった。自分がどの方向へ逃げているのか、そしてそれが無我夢中である事が解っていなかったのだ。

 振り返るその反動は、同時に剣撃に繋がる――と共に、左腕のレールガンへと繋がる。気付いた時には遅い。思考の遅い警鐘が鳴り響いた瞬間、俺の肉体のどこかが消えていた。


「あ――うぇ?」


 痛みのあまりに目を見開く。どこが消えた? そう思考した瞬間にも、またどこかが消えた。その反動で身体は吹き飛ばされるるるるるるるる――

 軽快なライフルの音はもう聞こえない。バランスを崩した俺は、焼き焦げた部位を見つめて白黒とする。思考だけは唯一、それを痛みとして教えようとしているらしい。視界は真っ赤。でも、心が逃避したらしく、痛みという感覚はない。

 死ぬんだ。死ぬのだ。しぬ。


『――よかったのに』


 最後に耳に届いたのは、嘲笑か激励か、どちらかの意味を指す言葉であった気がする。

 あぁ、それも――どうせ意味のないことだというのに。

 叫ぶ声もなく。抗う誇りもなく。血まみれの視界の中。俺は――



     ◇◇◇◇



 殺しの感覚に馴染んでしまった両手を見つめる。眼前に倒れ伏したカルゴの胴体に剣を突き刺して、胸が痛んだ。

 逃げれば、死ぬ事はなかったのに。この人間は挑んできた。愚かな行為だ。でも、たぶんそうさせたのは自分だと思うと、蘇った心が軋む。


「…………」


 かける言葉はない。死人に口なしとはいうけれど、それなら自分もまさにそれのはずだ。

 死人が生者を殺した。そんな馬鹿らしい結末だ。

 これから自分はそれを繰り返していく。いつしか、この想いすら見向きもしなくなるだろう。そうしないと、いずれ壊れて死ぬのは自分だ。

 軋んだ心を忘れずに、思考に走る本能に従う。帰ろう。帰らないと、心が叫んでしまいそうだ。

 両腕にこびりついた血痕を見ないように荒野を進む。殺したという事実を隠すように――自分が心のない化け物と思い込むように――

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