02:あなたの夢


 厄介者を捕まえてしまった。そう気付いたのは、女の話が一時間経過しても続いてる段階であった。

 キッカケは、いつもの活動だ。金のありそうな奴を拉致し、金を根こそぎ奪う。スラム街では常識的な手段。中には悪事と言う奴もいるが、知ったこっちゃない。生きるために必死なんだから。

 そしてオレは、このスラム街付近を歩いていたノーテンキな白衣女を拉致したのだ。隙がありすぎて、逆に護衛が潜んでいるかと警戒したが、とりあえずは今の所は大丈夫らしい。

 いつもの廃墟に連れ込んで、手を絡ませて縄で縛る。勿論、柱にも絡ませて。真っ暗ではないが、窓がないから光は少ない。そんな中なら悲鳴ぐらい上げるかと思ったのだが、まさか自己紹介を始めるなんて……。


「――で、バイオスフォトンって生態学よりエネルギー学で有用でね……って、聴いてる?」

「聞いてない。解らないし」

「そう。なら、貴女が興味を持つまで話を続けるわ」


 こんな調子だ。この女、自分を科学者と名乗ったが、頭がイカれているのか訳の解らない言葉しか喋らない。これで言葉も通じなかったらまだ良かったものの……縄で縛っているからか、呼吸の代わりに言葉が絞り出されているらしい。

 大きな溜息が出てしまう。こういう奴は初めてだ。


「ねぇ、貴女ってなんて名前?」

「言う必要あるか?」

「あるわよ。だって、ずっと貴女って言うの、疲れるじゃない?」


 興味津々といった瞳でオレを見つめてくる。一理あるからムカつく。

 名前ぐらい、いいか。どうせ、あまり使ってない。多少はレッテル貼りのために使われていても、オレに損はない。


「……スーミン・スノー」

「あら、意外と可愛らしい名前」

「意外は余計だ。自分でも思ってる」


 だから、仲間にはスミスと呼ばせている。そっちの方が強そうだからだ。男勝りで、勝気な感じがする。


「あんたは? 教えろよ」

「私? 私の名前はツバキ。ツバキ・シナプス。知らない?」

「知らない」

「あら。有名人のつもりだったけど、案外知られてないのね」


 残念ながら、そんな有名人がどうとか、そういう情報はスラムに入り込まない。そんな余裕はない。その情報を得るなら、生きるための糧を探した方がいい。

 しかし、この女の言葉を信じるならば、多少は金品などを持ち合わせてもいいはずなのだが、白衣の下にはまともな物を持っていなかった。強いて言えば、パッド状の携帯端末だが、これもありふれてるからあんまし売れない。


「あんた、自分の状況、解ってるのか? 場合によれば、命の危機なんだぜ?」

「えぇ。解ってるわ。でも私、この結ばれている縄を弾き飛ばす怪力も持ってないし、抜け出す手品なんて覚えてない。切り抜ける術なんてないわ。だから、私は貴女と会話するのよ」

「…………」


 ツバキと名乗った女は、さも平然にそう言いのけた。科学者である女からすれば、スラムという底辺な立ち場のオレと会話がしたい、と。

 有名人の情報は入ってこないが、身分による貧富の差ぐらいは意識する。少なくとも、オレは最底辺。女はそれより上のはずだ。


「何が楽しくて会話するんだ。あんたからすれば、オレは格下の人間なんだぞ」

「あら、そうかしら。私は少なくとも、貴女は人間に見えるわ。それなら貴女も私も格は同じだと思うけど」


 正直、その言葉は意外だった。これまで拉致してきた人間は、オレ達を見下していたからだ。自分達の境遇に不平不満を言い、オレ達を国の負債だとか、家畜にも満たない泥とか。罵詈雑言を吐き出すから、中には殺した奴もいた。それをしたのはお前達だろ、と言いたくはなかった。

 世界には平等という言葉があるが、オレはそれを信じてはいない。だが、この目の前の女の言葉の続きが気になるのはどうしてだろう……。


「貴女には、夢がある?」

「夢?」

「そう。お金持ちになるとか、何かを食べるとか――そういう普通のでもいいの。死ぬまでにはやっておきたい事」


 ……それはなかった。仲間内でそういう話はたまにあるが、誰が希望的な夢を語っても、結局は絵空事。明日、死ぬ可能性がある現実で夢なんて金の足しにもなりやしない。


「むー、なさそうな顔ね。若いのに、そんなんじゃ楽しくないでしょうに」

「生きる事で必死なんだよ。あんたには解ら――」

「解るよ。生きるのは辛い事だから」


 その言葉を向けるツバキは、真っ直ぐにオレの瞳を見つめていた。先程までの軽快な声の主ではない。それだけは譲れない。それは私だって同じ、と言わんばかりの真剣な表情。

 息を飲む。オレが内心、馬鹿にしていたこの女は、こういう表情を見せる女だったのだ。透き通るような、純粋な瞳だった。その表情はガキを思わせるような幼稚さがあったのに、今は憂いと強い意志を持つ大人に見える。


「誰だって生きるのに必死よ。貴女が毎日を生きるために必死になっているように、私も夢のために毎日を生きているの。必死よ。だって、夢というものは叶えるものだから。やろうと必死にならないと、叶える事なんてできないわ」

「オレと同じだと言いたいのか?」

「うん。だって貴女は生きているじゃない。違うのは夢を持っていない事だけ。人は夢を持たずにも生きる事はできるけど、それはただ生きているだけよ。何も変わらない。何も叶わない」


 そう言われて、オレは何も返せなかった。夢なんて言葉をそこまで想った事がない。そんな余裕なんてなかったから。

 あぁ……でも。もし、彼女の語るような夢を抱ければどんなにいいだろう。高望みなのかもしれないけど、それはとても――尊い。


「私の夢はね――宙を浮く戦艦を作る事よ!」

「ブフッ!?」


 唐突のない彼女の告白に、思わず吹き出してしまった。

 何言ってんだこの女。そんな漫画やアニメのような絵空事を語って――


「あぁ、そうか……それが、夢なんだ」


 一人で納得してしまった。絵空事だ。だからこそ夢なんだ。

 他人が聞けば馬鹿らしいと笑う。でもそれは、それほどにありえない事なんだ。それを必死に叶えようとしている。そのために生きている。

 同じだ。ツバキもまた、必死に生きている。


「なぁ、その夢って、叶うのかな?」

「叶うわよ。実現まであともう少し!」

「……それって、見てみたいな。だって、誰もがありえないと思う事だし、それってすげぇ事だし……」


 ポロポロと口から、その夢への想いが漏れ出す。その果てしない夢に挑んでいるその様が、なんだかとてもカッコよく見えてきたから。そんな想いを抱くなんて思ってもいなかったけど、それはたぶん、この人が自分の持っていない物を持っているからなのだろう。


「見ればいいじゃない。今時、そういう情報は入ってくるでしょう?」

「有名人を自称するあんたを知らないんだ。たぶん、入ってこないよ」

「なら、いっそ私の近くで見てみる?」

「――――」


 その一言は――ズルい。考えてもいない言葉だった。

 あぁ、でも、その言葉にはなんと魅力があるだろうか。夢を知らないオレにとって、その手は輝しくも触れられない。太陽だ。彼女の笑みは、私には勿体ないほどの、光だったのだ。


「……オレは、夢を知らない。五年前の戦争で親が死んでから、一度も夢なんて見たことはない。オレは他人が言う悪い事をやってきた。そんなオレが、夢なんて見ていいのか?」

「私も同じよ。本当の親なんて知らない。それに悪い事なんて散々やってきたわ。そんな私が夢を見てるの。ほら、貴女と私って合わせ鏡みたい。姿は違うけれど、同じ夢を見る事も簡単よ」


 同じ夢を見る……彼女についていったら、それ以上の夢を知る事もできるかもしれない。そう思えるのはなんでだろう。オレはこの人の言っていることを信じてしまっている。

 不思議な人だ。最初の一時間の会話も、もしかしたらオレでも解る話だったのかもしれない。彼女の夢の話。夢に溢れた輝かしい話――


「さぁて」


 オレの心が揺れ動く中、彼女はそう背伸びをするように両手を上げた。

 ――両手?

 違和感を覚えたオレの思考よりも先に、ツバキはゆっくりと立ち上がった。しゅるしゅると縛っていた縄が解けていく。


「えっ、ちょっと!?」

「ん? いやぁ、職業柄、よく捕まったりするからねー」

「切り抜ける術はなかったんじゃないのかよッ!?」

「そうよ? だから縄を切るんじゃなくて解いたの。結び目をちょちょーいっと」


 そう言って彼女は軽いストレッチのように、手首や足首を回し始める。

 縄の目はきつく締めたはずだ。だというのに、この人はこうも簡単にも抜け出した。彼女はそれを手品ではないと言っていたけれど、オレからすれば手品同然だ。

 だが――それは困る。もっと彼女の夢を知りたいのだ。ここで逃がしてはいけない。


「行くのかよ?」

「えぇ。待っている人がいるからね。あまり遅くなったら怒られちゃう」

「……オレはどうすればいい?」

「そうね。では、ちょっとだけ考える猶予を上げます。悩んでいる少女を、無理矢理に連れていくわけにもいかないし」


 そう言って、彼女は唯一の持参品であったパッド状の携帯端末を手渡してきた。そこに映し出されていたのは、文字の読めないオレでも解るような画像付きの地図だ。そして、その港付近に強調するように赤い点が描かれていた。

 ありふれていると思っていた物であったが、今はその意味が変わっていた。


「明日、私は船でこの島を離れるわ。時間は今時。一日を与えます。選びなさい、貴女の今からを」


 真面目な口調で、彼女はオレに言葉を残して軽やかに去っていった。

 追う気にはならなかった。それほどにして、彼女は自分にとっては大きな存在になっていたからかもしれない。拉致に失敗したのはこれが始めてだ。

 ――あぁ、でも。悪くない。



     ◇◇◇◇



 駆ける。駆ける駆ける――

 悩み、悩んで、頭が痛くなって――それでも考え続けて。

 やっと決めた。このスラム街の毎日が嫌ではなかった事に気付いてしまって、悶々としたけれどやっぱり決めた。

 この選択に後悔はない。未練はあるけれど、その時は戻ってこればいいだけだ。

 数年間だけ住んだこの街。オレにとっちゃ、綺麗な思い出ばかりじゃないけれど――そこは、オレの第二の故郷みたいなものだ。

 でも、うん。行こう。ここでオレは生きる事を知った。なら、今度は夢を知りたい。あの人の元で、オレは一緒の夢を見たいんだ――

 駆ける。駆ける駆ける――一心不乱に、携帯端末を持って。

 あなたの元へ向かう。夢を追いかけて。必死に。

 さぁ、みらいへ向かって走り抜けよう――

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