第4話

いつもは夜行大型バスがひっきりなしに行き交う時間帯だが、タクシー待ちの行列はおろか、バスが一台も停車していない。薄暗いターミナル一帯には養生幕が張られ、緑の十字マークと『工事中』との文字がうっすらと闇に浮かんでいる。


「お客さん、もしかしてバス待ちですか?」


近くにいた警備員の男性が恭弥に声をかけてきた。


「ここ、閉鎖したのはご存知ないですか」

「……え?」

「先月から全線バスタ新宿発に切り替わってますよ。案内も結構出てたんですけどねえ」

固まる恭弥を見てか、男はさっと赤色灯の先端を明後日の方向に向けた。


「バスタ新宿、場所は分かりますか。ここからだと、そこの地下広場から小田急エース南館、京王モールを突っ切って……」




「冗談じゃないよ……!」


足音を響かせ、さきほどの道を逆走する。格安のネット販売サイトを利用したのがいけなかったのか、今の今まで、まったく知らなかった。まさか、バスターミナルが移設していたなんて……。

ここしばらく、仕事や家事に追われていたことも災いした。


混乱して何度も道を間違えた。あちこち付近を奔走すること数分、あきらめて入場券を購入し、駅の構内に入りなおす。


警備員の言ったとおりだ。新南改札を出て3階、左手の自動ドアの真上には『バスタ新宿』との看板が。館内は人でごった返している。目の前にインフォメーションカウンターもあるが、数名のスタッフが客の対応に追われていた。


「すいません、高速の松山・八幡浜行きってどこですか」


一組のカップルの対応が終わったところで、制服姿の女性スタッフが「少々お待ちください」と手元のモニターを確認する。


「4階A1のエリアでございます。後方のエスカレータを上がって降り口から向かって壁側に」

「わかった、ありがとう!」

「あ、お客様、まもなく発車ですからお急ぎください!」


「21時50分発、松山・八幡浜行きオレンジライナー号、A1乗車場よりまもなく発車いたします――」早口でまくしたてる館内アナウンスに焦り、エスカレーターを駆けあがる。

やはり人でごった返している。迷路のように人をかきわけ、ときにぶつかりながら、乗車口からようやくバスに飛び乗った。




まぶたの裏に陽光がにじんでいる。いつの間にか寝落ちしたようだ。

心地いいエンジン音に揺られ、恭弥は目を覚ました。


硬くなった体をひねって小さく伸びをすると辺りを見回す。

乗車率は八割くらい。ほとんどがスーツ姿の男性だ。ほぼすべての席のカーテンが閉じられ、全体的に薄暗い。手前の老夫婦が座る席だけはカーテンが半分開けられていて、その木漏れ日が恭弥の顔に掛かっていた。


カーテンを少しまくって、外を見る。

コバルトブルーの空の下、青々としげった緑の大海原が一面に広がっている。


(すごい……)


驚くほど見晴らしが良い。途中、河内ICの表示が通り過ぎる。早朝だからか車の通りは少なく、二車線路はほぼ貸し切りの状態だ。

ガードレールの向こうは一面畑になっていて、周囲はすべて山で囲まれている。いま『らくれん』と書かれた白い工場の前を通過した。


こんな光景、映画か本でしか見たことがない。

いつしか体を前のめりにして、窓の外の景色を食い入るように見つめた。


旅行サイトの隅っこに小さく出ていた広告、『愛がいっぱい 愛南町』。移住者を募って、町の財政課が期間限定で支援を行っているというもの。

孤独に押し潰されていた恭弥は、『愛』という文字に強く惹かれた。ここでなら、人生をもう一度やり直せるかもしれない。どうしてか分からないけれど、最初のインスピレーションから妙な確信があった。


鞄から携帯を取り出し開く。時刻は午前11時を過ぎたころ。


(陽平君は、もう仕事してる頃かな)


自然と頭に浮かんだその名前を、かき消そうとして、諦めた。

どんなに想っても、もう二度と会えない。それは何より恭弥自身が一番理解している。

日に日に歳を重ねて大人びていく姿も、ご飯をおいしそうにほおばっていた顔も、人懐っこい笑顔も、きっともう一生、この目に映すことはない。

全てが失われた世界で、いまだ陽平に思いを馳せること、それは愛美に対する小さな抵抗だった。


携帯電話のボディに、青空が映りこんでいる。雲一つない、冴えわたるような青。陽平が好きだと言っていた、コバルトブルーの青空だ。


「……ふふ」


再びカーテンを閉じるとシートにもたれる。背中を丸め、うずくまるようにして恭弥は再び目を閉じた。

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