第26話 鳥は大空で再開する
深海は街のはずれにいた。結界の境界線がその辺りだったからだ。久しぶりの元の世界。深海はすぐに近くのコンビニに入った。品出ししている店員と目が合うと「いらっしゃいませ」と挨拶してくれる。深海はちゃんと自分が元の世界に戻ったことを実感してホッとした。
こちらに帰ってくるにあたって、深海には心配なことが一つだけあった。それは既に夏休みが終わって10日ほどが経っていたことである。結果的に深海は、結界の中に半月近く居たことになる。長居し過ぎたのだ。親には夏休みが終わるまで、桜の家で宿題をやると言ってあった。しかし、もうとっくに夏休みは終わっていたし、あれから親にも連絡していない。流石に騒ぎになっているのではないか。そのことだけが気がかりだった。
しかし、家に帰ってみるとそれは杞憂だったとわかった。深海の親が心配になって桜の家に電話をかけたらしいのだが、神崎家の人間が上手く取り繕っておいてくれていたのである。確かに、裏の世界の人々にとって、騒ぎが起きて世間から注目されるのは面倒なことだろう。この時ばかりは、神崎家の特異性に、逆に深海が助けられた形となった。
◇
それから数日遅れて、桜は元の世界に戻ってきた。桜が結界の術式を解き、鳥籠はあっけなく消滅した。深海に会わなければいけない。桜の中には、深海に会いたい気持ちと、会った時に何を言われるのだろうという不安な気持ちが入り混じっている。でも、と桜は思った。
(優一君は私を待ってくれてるんだ)
そこから逃げるわけにはいかなかった。この問題を避けて通れば、また元のどうしようもない自分に戻ってしまう。桜の気持ちはグラグラと揺れ続ける。それでも桜は、幾度となく襲ってくる不安に必死で抵抗し続けたのだった。
◇
授業に退屈した深海は、窓際の席なのをいいことに、ずっとぼんやり空を眺めていた。元の世界に戻ってから数日が経ったが、まだ桜は学校に来ていなかった。おそらくまだ、結界の中にいるのだろうとなと深海は思った。授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。深海は腕を突き上げ、大きく伸びをした。
ホームルームも終わり、深海は教科書を鞄にしまって、帰る準備をした。下駄箱で靴に履き替え、外に出る。友達のいない深海は、いつものように一人である。
(日常は日常で味気ないもんだ。さて、帰るか)
本屋にでも寄ろうか。喫茶店も悪くない。そんなことを考えながら、深海は久しぶりに訪れた日常を持て余していた。深海が取り留めもないことを考えながら、上の空で歩いていると、校門のところで不意に声を掛けられた。
「ちゃんと……会いに来てあげたわよ」
女生徒は校門にもたれかかっている。どうやら、ここでずっと深海を待っていたようだ。
(相変わらず、不器用な物言いだな)
深海は思わずクスッと笑いながら、スタスタ歩いていった。女生徒はびっくりして、慌てて深海を追いかける。すると深海は急に立ち止まり、振り返った。
「待ってたよ桜。君がいない日常は、結構退屈だってことがわかった。ようやく帰ってき……」
深海がしゃべり終わらないうちに、桜が深海の胸に飛び込んできた。そのままギュッと顔を埋めて離れない。
「ちょっと待ってくれ、ここ学校の校門だぞ。みんな見て……」
「バカ」
「ん?」
「バカバカ。優一君のバカ。黙って行っちゃうから本当に私のこと嫌いになったのかと思ったじゃない。私、怖かったんだよ。優一君にもう会えないじゃないかって思ったんだよ。でも勇気出して来たのに、頑張って来たのに、優一君のバカ……」
桜は今にも泣きだしそうになっている。
「……でもね、待っててくれて、ありがとう」
そう言いながら、桜の両目から、堰を切ったように大粒の涙がポロポロ零れ落ちた。周りにいた生徒がざわついている。深海はバツが悪くなり、意味も無く頭をかいてしまった。しかし、桜を見ていると不思議と温かい気持ちになる。深海は桜の頭をそっと撫でた。
「悪かったよ。どうもこういうことは不得手らしい」
深海は桜の涙を拭ってやった。桜はまだ深海に抱き着いたままだ。深海もそっと、桜の背中に手を回す。そして、しばらくの間、優しく桜の頭を撫でていた。
「それにしても君はちょっと見ないうちに、随分大胆になったね。魔術なんか使わずに、最初からこうしてればよかったんだ」
深海にそう言われて、急に我に返った桜は、涙でぐじゅぐじゅだった顔が、恥ずかしさのあまり、さらに真っ赤になってしまった。桜は深海の胸から顔を放すと、そのまま俯いてしまった。
深海はそんな桜の手を取って言った。
「君は特別な力に頼らなくたって、ちゃんと誠実に人と向き合える人間なんだよ。自信を持っていいんだ。桜は魅力的だし、笑顔も素敵だ。素直なくせに、変に不器用なところも、すごく可愛い」
深海の言葉が嬉しくて、また桜は泣きそうになっている。
「そうだ、ちょうど喫茶店に行こうと思っていたんだ。ねぇ桜。もしよかったら、僕と一緒にお茶してくれないかな」
桜はコクリと頷いた。ここはもう二人だけの世界ではない。でも深海は、他の誰でもなく、桜の手を取った。桜はそれだけでもう十分過ぎるほど幸せだった。鳥籠の外に出て、桜はやっと深海と出会うことができたのだ。深海に手を引かれながら歩く桜は、午後の日差しに目を細めた。夏の日の突き抜けるような青空を、二羽の鳥が気持ち良さそうに飛んでいる。頭上に広がる青空は、どこまでも高く、そしてどこまでも澄み渡っていた。
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