第10話 淡い時間

 深海が部屋に戻ると桜はベッドの上で膝を抱えて座っていた。


「なんだ、横になってくれててかまわなかったのに」


「……いきなり人のベッドで寝てていいって言われたって、戸惑うわよ」


 桜は聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でボソボソ答えた。


(いきなり人の部屋に上がり込んできたくせに……)


 深海は心の中でツッコミを入れて、思わず笑いそうになった。


「な、何よ。私だって戸惑うことぐらいあるわよ」


 桜は口をすぼめた。


「いや、悪い悪い。桜は本当に見てて飽きないな。急に部屋に来たと思ったら、魔術は使うし、かと思えば、急にモジモジしてるし。そういうところ、君の良いところだと思うよ。ほら、よかったらどうぞ」


 深海はテーブルに紅茶とクッキーを置いた。ティーカップから湯気が立ち上り、紅茶の良い香りが部屋中に広がる。桜は顔がふわっと明るくなった。桜はベッドから降りると、少し迷ってから深海の隣に腰を下ろした。


「飲みながらでいいんだけど、もう少し魔術のことを教えてくれないかな。いつまたあの男が来るかわからないし、できるだけ知っておきたいんだ」


 深海はあえて自分から結界のことには触れず、自然な流れで桜から魔術のことを聞き出した。桜によれば、魔術はだいたい三つの種類に分類できるという。最初に習った「空っぽの影(invisible shadow)」のように術者当人に作用する自己変質系。「幽霊の悪戯(work of Haunting)」のように自分以外のものに作用する外部操作系。最後に桜がパッツォ相手に使ったものや、この結界のように、魔力そのものを放出したり、魔力で何かを作り出したりする高等魔術系。この三つだ。


「文字通り、術として最も難しいのは三つめの高等魔術系よ。多くの魔力を消費する上、コントロールも難しい。これは教えたからといって、すぐにできるものではないわ。それこそ、魔術師としての長い修練が必要なの」


「高等魔術系の技を、もちろんパッツォも使えるんだろうね?」


「えぇ、そうよ。壁を抜けたり、宙に浮いていたのは自己変質系の応用。でも私の結界内に入って来れたのは、結界の内と外を、魔力で作ったトンネルのようなもので繋いだんだと思うわ。前に言ったけれど、結界の内側と現実世界では、世界のレイヤーが違う。パッツォはそこを繋ぐ抜け道を作ったというわけ」


 深海は話を聞きながら、頭の中で情報を整理した。今の話の通りなら、パッツォが作り出した抜け道が、この結界内のどこかにまだあるかもしれない。しかし、深海には桜の作った結界の規模がわからない。深海がこの家の外に出た時も、桜は追ってこなかった。追う必要が無かったのだろう。つまり、この結界内の空間は、かなりの規模だということだ。加えて、結界の境界線を認識することのできない深海には、おそらく抜け道も認識することができない。結界内のどこかにある抜け道を、深海が見つけることは相当困難なことだろう。


(まぁいいさ。なんとかなるだろう)


 深海はクッキーを美味しそうに食べる桜を見ながら思った。この子としばらく一緒にいるのも悪くない。深海は桜の横顔をぼんやり見つめた。桜は深海の視線に気付き、また少し顔を赤らめたのだった。

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