第141話 断章/談笑 クロードとカレラ

 下品な話題から始まるが、冒険者ギルドの受付嬢カレラは便秘を経験したことがない。

 しかし、便秘を経験した人間の気持ちなら痛いほど分かるつもりだった。


 ずっと自らのうちに留まる不快感、

 いつ排出されるか分からない焦燥感、

 人を不快にさせる負の感情の集合体とも言うべき異物感、

 カレラにとってのそれは何か、答えはいつまでも消化の出来ない担当作業タスクだった。


「また、これも長期間受け持つことになるのですか……」

 桃色の唇から、深い……実に深いため息が漏れる。

 頬杖をついてうんざりするような表情の先には一枚の書類、とある地方貴族が出した宝石採取依頼であった。


 事の発端は一週間前にさかのぼる。

 Sランク冒険者パーティー『レッドギガンテス』が、ダンジョン60階層にて珍しい宝石を発見した。普段はすいこまれるような深緑であるのだが、日の光を浴びると燃え上がるような赤に染まるのだ。


 『陽焔緑柱石サンライト・フレイム・ベリル』と命名された話題性十分の宝石は、瞬く間に貴族間で噂となり誰もが欲しがった。最終的には、とある一等公爵が目が飛び出るような金額で買い取り、いつも支えてくれている妻へ首飾りとして送ったという。


 発見した冒険者達もギルドも十分に懐が潤ったのであるが、これにてみんな万々歳と完結しないのが社会の難しいところである。

 手に入れ損ねた貴族たちから、再度採取の依頼がギルドへと殺到したのだ。


 需要があっても供給が追い付かない。

 ダンジョン60階層とは現時点での人材のすいを集めてようやく到達できる領域、Sランクパーティーに位置するフィンケル達ですら一週間の準備期間を要する魔境なのである。

 加えて、辿り着いたとしても宝石を確実に持ち帰ることが出来るわけではない。フィンケルが発見した経緯も偶然によるものだった。

 結果、全ての採取依頼が採取待ちとなってしまった。


 貴族たちも鉱石が希少であることは重々承知しているはずなのだが、なにせ一日千秋の思いで待っている身である。

 文面はやんわりとしているが、それでいて圧を感じる催促の手紙があらゆる貴族から届く。国を支える重臣であり、ギルドの大事な顧客が出したそれを無視することは許されない。

 ギルド職員は言葉の一つ一つに気を使いながら、事務的な返信を行うのである。


「ふぁ……」

 目を閉じるとふわふわとした浮遊感を覚える。

 ここ最近は心を安らかにしてベッドで横になることが出来ていない。趣味の煙草と果物も最後にたしなんだのはいつだったっか。

 神経を削るような作業の連続は、少しつではあるが着実にカレラの精神をすり減らしていった。


「カレラ、受付の交替お願い」

「分かったわ」

 業務の引継ぎを知らせに来た同僚も、目元に深いクマをこしらえていた。


 両手の手の平で左右の頬にマッサージを行い、笑顔を作るための準備を行う。

 やや古い椅子に腰かけ、手元の書類や道具を使いやすいように配置すると、さっそく一人の男が自分の受付の前に立った。


「冒険者登録を行いたいです」

 背はやや高く、白い仮面の奥から聞こえる声は少年のものだった。


「登録ですね、承知しました」

 慣れた手つきで、書類の中から登録用紙を差し出す。 

「こちらの登録書にお名前、御種族、御年齢、住所を書いたうえで提出ください。

 なお、近くの宿をご利用している場合、その宿の名前でかまいません」


 彼は説明に頷くと、名前の欄にペンをはしらせた。




『Name クロード』




◆◆◆




 冒険者ギルドのとある一室、目の前の床が影で黒く染まった。

 クロードが手を横に払うと、いつの間にか満杯の大きな袋が三つ並ぶ。

「こちらが今回依頼の採取物になります」

「拝見します」

 

 紐を緩ませて、閉じていた袋の口を大きく開ける。

 中に詰め込まれているのは、数カ月に一度見つかれば運が良いという希少鉱石、市場に出回れば屋敷が買える値段で取引される幻の薬草、そして陽焔緑柱石サンライト・フレイム・ベリルだった。


 一つ一つ慎重に手に取って、注意深く確認する。仮に傷つけて弁償となった場合、カレラが一生働いてようやく届く金額の品々である。

 自作したチェックリストに印をつけていき、最後の欄に丸を付けて安堵の息を吐いた。


「……はい、依頼していた採取物全てが揃っていることを確認しました」

 カレラはテーブルの上に今回の依頼書を横一列に並べ、片手に持った達成確認の判子で順番に押印おういんしていく。


 次々と高難易度の依頼が片付いていく目の前の事実に、受付嬢の心はおどった。

 いままで苦戦していた敵が、雑魚のように簡単に蹴散らせる快感に近い。いきなり強い力を手に入れた冒険者の気分を味わっているようだった。


 クロードが冒険者となってからカレラの仕事状況は一変した。

 すさまじい勢いで保留となっていたSランク依頼が片付いていき、当然カレラの仕事の負担は目に見えて減っていった。

 もう貴族の催促の手紙を気にしなくて良い喜びは、あの地獄を経験した者にしか分からないだろう。


 ギルドの受付嬢たちの間でカレラはちょっとした有名人になっていた。

 持てあましていたSランクの仕事が、次々とカレラの担当に変更されていき、その全てが驚くべき速度で達成されていくのだ。

 喜びさえ通り越してもはや恐怖となったその事実は、噂好きな一部の女性職員が作り上げた『カレラ七不思議』の一つとして編纂へんさんされていた。


 他の六つは、

『夜にカレラの影を見ると赤い光点が見える』

『カレラ一人しかいないのに男性の話し声が聞こえた』

『酔った勢いでカレラを襲った男が闇に消えて、いつの間にか宿のベッドで寝ていた』

『仕事はあれだけ早くて正確なのに、何故か散らかっている彼女の部屋』

『一つしか食べていないはずなのに、鞄の中に二つ存在する空の弁当箱』

『実は冒険者ギルドの影の支配者である』

 といった具合である。

 なお、カレラ本人は自分が噂の対象となっていることをまだ知らない。


「それではこれにて本日分の依頼は完了とさせていただきます」

 テーブルの上に置いていた金貨の袋を差し出す、これをクロードが受け取って影と共に姿を消すのがいつものパターンだった。


 しかし、今日は様子が違う。

 クロードは金貨を受け取らずに眺めた後、緊張した様子で口を開いた。

「……すみません、この報酬についてなのですが……受け取らないという事は出来ますでしょうか?」

「はい?」

 この仕事を続けてきて初めての言葉に、素っ頓狂な声を上げてしまう。


「正直この金の使い道に困っているんです」

 彼の話を聞くところ、依頼達成で懐に入ってくる金貨が使い切れないのだという。

 高難易度の依頼を一日複数こなすため、それ相応の報酬が支払われる。しかし、その大金を使おうとすれば否応なく注目を集めてしまい、それは彼の『目立ちたくない』という主義に反した。


 日が経つごとに金貨の山が屋敷の地下に積みあがっていく。

『金持ちは金をばら撒いて、世の中を金の巡りを良くすることも仕事のうち』と鬼塚に教わった影山は、手元にこれだけの資産を貯めこむことに申し訳なさを感じ始めていた。

 実に贅沢な悩みである。


 これを親友に相談したところ、目から鱗の発想を貰ったという。

 彼いわく、

『何だと影山? 頼みもしないのに使わない金が増えていく?

 影山、それはお前が真面目に正規の額で報酬を受け取っているからだよ。

 逆に考えるんだ。「ただで働いちゃってもいいさ」と考えるんだ』……と。

 本気の意見なのか、はたまた冗談なのかは発言した彼のみぞ知る所であった。


「クロード様」

 事の経緯を聞き終えてから、カレラは事務用の眼鏡をはずす。

「申し訳ありませんが、その要望を承諾することは出来ません」

 背の高い彼の前に立ち、仮面の奥の瞳を見つめた。

 

「クロード様はこの冒険者ギルドにとって、今やとても貴重な戦力なのです。

 ですからお願いします。その実力を安売りするような真似だけはおやめください。

 他の冒険者、そしてクロード様のためにも」


 過去に冒険者ギルドで起きた一つのトラブルをカレラは知っていた。


 とあるDランク冒険者が、善意で安い報酬にて依頼を引き受けていた。すると依頼主が別のDランク冒険者に対して『あいつはこの値段で引き受けてくれたから、お前たちも同じ額で引き受けてほしい』と言い出したのだ。当然冒険者間でいさかいとなり、結果両名が王都から出ていく事態となってしまった。

 もしこれが替えの利かない高ランク冒険者で発生したらどうなるか、想像するだけで背筋が凍る。


「替えが利かない人材や素晴らしい仕事内容には、それ相応の対価が支払われるべきなのです。

 どうかご理解の程をお願い致します」

「……分かりました」

 渋々金貨を受け取る彼を見て、少し説教が過ぎたかと少女の心に罪悪感が芽生える。


「……国家認定冒険者証を取得して、Bランク冒険者に昇格してはいかがでしょうか?

 そうすればギルドより専用の口座が用意されますので、小切手にて報酬を渡すことも可能になります」

 金貨で直接渡されることが問題なのであれば、口座の数字が増えるだけの方法に変えるのはどうかという代案を提示した。


 クロードはすまなそうに首を振る。

「Bランクは冒険者として一流の証で、周囲から一目置かれてしまいます。それは私の目標からかけ離れたものです。

 せっかく提案してくださったのに申し訳ないとは思いますが……」

「左様でございますか……」


 問題が解決したのは、これより少し先の話であった。

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