第137話 禁断の書は燃える

 元老院地下の巨大な空間で、これまた大きな炎が轟々と燃えていた。

まきべよ」

 クシュナー元老の鋭い声に従って、周りの従者が乾いた割り木を投げ入れていく。誰もが黒い外套を身につけており、顔は深く被ったフードに隠れて見ることはできない。


「クシュナー様」

 部屋の隅の影が徐々に形を成した。燃料を得た炎が、瞬間的に燃え上がって影を照らす。正体は、書類を抱える従者を引き連れた、メイドのティファであった。


「言いつけどおり、クシュナー様の書庫からエクムント様の奴隷所持の証拠をここにまとめました」

「見せろ」

 背の高い従者から書類を受け取り目を通す。見覚えのある文字列だったのか、驚くべき速さで紙がめくられていく。


「時にだ、冒険者ギルドから受けた奴隷の一報は、憲兵の耳に入っているか?」

 この国の警察機構である憲兵が重い腰を上げれば、狡猾な彼であっても対処に手間取った。

 老人の問いに少女は軽やかに首を横に振る。その姿は王都の暗部に巣食う者の立ち振る舞いではなく、年相応の少女のようなあどけない素振りであった。

「申し上げます。手筈通り奴らの耳に届く前に、情報を握りつぶせました。問題はないかと」

「よろしい」

 確認し終えたクシュナーは従者に書類を返す、受け取った従者は大事そうにふところにしまった。


「驚きました。クシュナー様はいつ、エクムント様からこれらの書類を没収されたのでしょうか」

 目前の老獪な男の先見の明に、メイドは首を傾げて質問する。以前指摘されたおしゃべりな口は快調であった。

 部下の仕事ぶりに機嫌が良かったのか、老人は口角を吊り上げながらティファに対して人差し指を立てた。

「……簡単な話だティファよ。エクムントの阿呆あほうは過去にも一度失策をやらかしてな、奴隷所持が明るみ出そうになった時があったのだ」

 苦笑しながらわざとらしく首を振る。エクムント二等伯爵は、クシュナー元老の三男にあたる。さながら、出来の悪い息子に手を焼く父親の気分であった。


「当時の憲兵総監を始末して、やっと事をもみ消すことには成功したのだが、念のために奴に奴隷所持を裏付ける決定的な証拠は、こちらによこすよう命令したのだ」

「なるほど。

 しかし……このような危険な書類は、手に入れた時点で破棄してしまっても良かったのでは?」

「それも思案した。

 しかし、エクムントは奴隷の一件さえ除けば、事務処理も難なくこなし、礼節を弁えて、誰とも人当たりが良く、領民からの支持も厚いとなかなかに優秀な男でな。

 奴に生涯首輪をつける意味で、残しておいたのだが……」


 クシュナーが中指も立てて、計二本指をティファに見せる。

「これで二度目だ。

 二度目は良くない。

 私の豊かな経験上、二度同じことが起これば三度目がある。我は三度目への備えをしなければならぬのだ」

 初老で血管が浮き出てきた手を炎に向ける。劇場の主演のような堂に入った振る舞いであった。

 

「燃やせ」

「は!」

 先ほど奴隷所持の決定的証拠をふところにしまった従者が、ふところから取り出した紙の束を猛火の中へと投げ入れた。

 すぐに茶色から黒へと色が変わり、端から罅割れ、離れ、火の粉となって宙を舞う。


 極小のほむらが魅せる幻想的な光景を、クシュナー元老は瞳に映して満足そうに髭を撫でた。 

「うむ、やはり何かを処分すると、実に清々しい気持ちになるものだ。

 仮にエクムントを怪しむ者がいたとしても、必死に探そうとも奴の屋敷からは何も証拠は出てこない。

 奴隷はどれだけ嘆いても、エクムントやこのクシュナーの恐怖からは逃れられぬのだ」

 想像するだけでクククと口から笑いが漏れた。

 名前も知らない誰かの努力をもてあそんでいるようで、実に気分が良かった。逃れようと足掻く猿を、手の平で転がしてみせる仏のような全能感に酔いしれた。


「さて、幕切れだ。この場に留まる意味はない」

 クシュナーはティファに向き直り、顎髭を震わせて言葉を続ける。

「我が忠臣ティファよ、奴隷を発見した冒険者と報告を行った者を炙り出せ。火種は燃える前に潰してこそ策士というものよ」

「かしこまりました、このティファにお任せを……」

 黒い策謀を思案するその笑みに、クシュナーは任せがいのある部下だと満足げな表情を浮かべた。


 元老とメイドの少女が部屋を後にすると、黒の外套の従者達も一人また一人と消えていく。

 最後に部屋に残ったのは、紙を炎に投げ入れた背の高い従者だけであった。














 ――もしもこの時、クシュナー元老とティファに、もう少しの用心深さがあれば、この先の未来が変わっていたのかもしれない。

 紙が炎によって黒く燃え尽きる直前、表紙の文字は次のように記されていた。


~~~


 漆黒ノ聖典 原初ノ章


  雲

 雲龍雲

 龍龍


 輪廻薔薇豆腐皇帝革命熾天使魔人獣最強

  

   全テノハジマリ ソシテオワリ

   闇ノ龍ガ蠢キ 世界ハ廻ル

 

 滅殺万億煉獄憐憫刹那夢幻銀河禍根玄武


 にねん よんくみ

 かきもと しゅん


~~~


 それは、証拠書類ではない。

 別の世界で一人の少年が親友から貰った、幼き頃の空想の結晶であった。


 最後に残った従者が、全ての気配が消えたことを確認して外套のフードを取る。出てきた顔は、クシュナー達の裏工作によって死亡したはずの影山亨かげやまとおるであった。


「……柿本、私は大好きだったぞこの漆黒ノ聖典しっこくのせいてん。暗唱が出来るぐらいに読み込んだんだ」

 誰もいなくなった部屋で、影山はもう燃えてしまった思い出の品の残骸に、名残惜しそうな表情を浮かべる。


 絶対に燃やしてくれ、マジで燃やしてくれ、大切に保管なんかしたら金玉を殴って俺が死ぬ、とは貰ったノートを久しぶりに見せた際に、必死の形相ですがりついた親友の言葉である。


 やや感傷に浸りすぎたと、瞼を閉じて気持ちを切り替える。

「……念の為に見張っておいて本当に良かった」

 王城を監視していた分身体から、ティファが奴隷発見の連絡と同時に、何やら怪しく動き回っていると報告が上がっていた。

 部下に化けてもぐり込んでみると、まさに証拠隠滅の真っ最中という訳である。


「これは私が大切に使わせてもらおうか」

 『漆黒ノ聖典』とすり替えた、奴隷所持の動かぬ証拠を大切に抱える。内容を何度も確かめてから頷くと、仮面を被り影を纏って闇へと消えた。



 この部屋の出来事全てを見届けた炎は、ただめらめらと室内全体を怪しく照らすだけであった。

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