第123話 屍喰鬼は吸血姫の夢を見ない Ⅹ
「ごめんなさいねメリヘム、いえ夜神さん」
マーガレットの細かく震える腕が、夜神の滑らかな銀髪を撫でる。
「私はあなたに対して愛しい一人娘のように接していたの。看取ることさえできなかったあの人の子供と、別の人生を歩めていたら生まれていたかもしれない我が子の分まで……ただ愛情を注いであげたかった」
皺の刻まれた目尻に涙を貯め、瞼を閉じてメリヘムを見つめることを一度止める。
「夜神さんは鬱陶しく感じてたかもしれないけれど……」
「そんなことないよマーさん」
魔女の言葉を鬼が遮った。
メリヘムを見やると両の手で片方になってしまった手を包む。
「ありがとう、ずっと私を気にかけてくれて。この世界で初めて一緒に過ごした人があなたで私は幸せでした」
「こちらこそ……その言葉が聞けてうれしいわ」
安心しきったような笑みを浮かべ、胸元のネックレスを手に取る
「【
いつ見ても、どんな状況でもその魔法は夜神の瞳に罪深いほど美しく映った。淡い輝きが治まると一本の鍵へと変形する。
「これで廊下の隅の部屋を開けなさい、あなたを一度も立ち入らせたことのない部屋よ。私の研究の成果の全てが収めてあるわ」
少女は鍵を受け取り、力強く立ち上がった。
「お待ちなさい」
駆けだそうとした少女をマーガレットは静止する。
「最後に私がしてあげられる事が一つだけ残っているわ。種族が吸血種へと進化した今のあなたなら、本能で理解出来るでしょう?」
「やめて」
両手が自然と拳をつくり、声が震える。
「マーさん、これだけあれば私はあいつに勝てるわ」
「確かに吸血鬼サルチナに勝つ可能性は高いわ。でもね、もし不測の事態が起こったらどうするの? 奥の手はあるだけ損ではないわ」
「本当にいいの?」
理解はしていても、実行したくないという彼女なりの意思表示だった。それに対してマーガレットはいつも通りの笑みを浮かべる。
「もうあと数分で燃え尽きてしまうもの、遠慮はしないで」
決心がつくまでの間、時間にしてわずか数秒、しかしメリヘムにとっては人生で一番長く感じる逡巡だった。
「……うん、分かった」
両手を魔女の肩に添えて抱き起す。最後に大きな深呼吸で小さな肺を空気で満たし、心を出来る限り落ち着かせた。
「メリヘム」
「うん……」
「覚えていて、どんな姿になっても私は最後まであなたの味方でいるわ」
◆◆◆
己の血液で作った鎌を片手に、服についた埃を払う吸血鬼サルチナ。
目の前には、胴体を切断されたヴェヒターが転がっていた。
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種族・
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「何故だ怠惰の魔女! どうして今になって私に反逆した!」
順調に進んでいない現状を憎むように、魔女の家の方角を睨みつける。
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種族・
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怒り狂う心をひとまずおさめ、物事の優先度を決める。
魔女は確かに自分を裏切ったが、指示していた作業は行っていたはずだ。
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種族・
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ならばもう、生かしておく必要は無くなった。
製作者は処分して、成果物だけ確保すれば何も問題ない。
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種族・
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「余計な介入がなければもうしばらく作らせられたのに……くそ!」
横に生えていた樹木に拳を叩きつける、嫌な音を立てて樹皮に
魔女が反抗するきっかけとなったのは間違いなくあの
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種族・
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サルチナがメリヘムに対して殺意を抱くのはこれが初めてではない。
あの渓谷の上で出会ったとき、彼女は見事に逃げおおせ、自分と言えば流水を受けるという失態を犯してしまう。顔に
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種族・
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「奴だけは逃がさない、確実にっ!」
この場を後にしようと翼を広げたところで、足に違和感を感じた。
振り返るとヴェヒターが残った上半身を引きずって、右腕で己のふくらはぎを掴んでいた。
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「クソッ! 硬いだけが取り柄のでくの坊がっ!」
大鎌を大きく振りかぶり、渾身の力で
するとヴェヒターの体中を走っていた白線が輝きを失い、黒い巨体は力なくその場に伏した。
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種族・
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「
完全に沈黙したことを確認して、忌々しい元凶がいるあの場所へと飛翔する。
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壁に開いた大穴から魔女の家に入ると、血の跡があるのみで家主は見えなかった。
気配を探ると、奥のほうに一つだけ感じることが出来る。
「……まさかこの方角は」
背筋が凍り、足早になりながら鎌を構える。廊下の突き当り、特別な鍵でないと開かないその扉を強引に蹴とばして開けた。
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かくしてその先にあった光景は、埋め尽くすほどに転がっていたはずの『知恵の実』が消えた寂しい空き部屋であった。
薄暗い部屋の中心に少女の影が見える、それはサルチナの見ている前で最後の一つを大きな口でがぶりと喰らった。
「貴様っ!」
瞬間的に頭に血が上り、床を蹴って飛び掛かる。
「ガッ⁉」
しかし次の瞬間、後ろに吹き飛ばされていることに気が付いた。
喉を掴まれ、強引に外へと連れ出される。何とか抜け出そうとするが、万力の如き怪力にはどうあがいても勝てなかった。
家の外に出たところで地面へと放り投げられる。
「っはぁ⁉」
サルチナは背中を強く打ち付け、呼吸が一瞬止まる。体勢を立て直そうとすると、足元から銀の鎖が四肢に巻き付き、無理やり大地に縛り付けられた。
「怠惰の魔女よ! お前は何を生み出したというのだ!」
もはや相対しているのは、先ほどまでの矮小な存在ではない。
自分とは何段階も次元の違う、高位の強者だという事実に辿り着き戦慄した。
せめてもと首を精一杯上げて、敵の姿を確認する。
それは目の前の空中で優雅に翼を広げ、水色を帯びた気品に満ちた銀髪を夜風に揺らしていた。
「【
形のよい唇が呟くと、地面から黒鉄が植物のように飛び出てくる。細い指先でそれを手に取り髪に当てると、黒鉄は茨の形を成しながら少女のシニョンヘアに絡みつく。まるで冠を模しているようであった。
「控えなさい。頭が高い」
生まれたての吸血鬼は、足元に這いつくばっている元創造主を睨む。
「我が名はメリヘム・ディ・ファールハイト、偉大なる魔女マーガレット・ディ・ファールハイトの娘にして最高傑作よ」
威厳と冷たさに満ちた声は、月夜の空によく響いた。
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