第110話 記憶の個室

 飽きるほどに見慣れた光景が、僕――中村賢人の目の前に広がっていた。

 

「……帰ってきた?」

 この世界に迷い込んでからの活動拠点、帰る場所、国から与えられた唯一の小さな領地。住んでから400日弱という、長いようで短い時間を過ごした一室に間違いない。

 今は夜らしい。分厚いカーテンが窓を塞いで、陽射しの代わりにランタンの優しい光が部屋を薄暗く照らす。

 キラリと目の端で何かが光る、備え付けのクローゼットの金具だ。扉を開くと用意された服達が行儀良く並んでいる、今朝無造作に引っ張り出したものだけが欠けていた。


「こうしちゃいられない、早く、早く……、は……やく」

 心の焦りが脚を前に動かそうとしたその時、頭が疑問を投げかけてきた。


「……僕は何をしたらいいんだっけ?」

 気が付いたら立っていた・・・・・

 数分前まで僕は何をしていたのか、何をしている途中だったのかが分からない。時間を広げても部屋に入るまで何をしていたのか、そもそも今日一日どんな日程を過ごしたのかさえ思い出せない。

 記憶を取り出そうとしているのに、頭の引き出しと伸ばした手とを金網が隔てているようでもどかしい。出来の悪い白黒テレビを力業で強引に解決しようと試すように、側頭部を思いっきり殴りつける。ただ痛いだけだったので苦笑いした。


「ここにどうして……?」

 頭に聞いてみても分からないので、胸に手を置いて心に問いかけた。

 何か怯えて、後悔したように傷ついている。

 何かに憧れ、決心したように形が決まっている。

 遠い過去のようでつい先日のような出来事によって、今の状態へ変化したと答えてくれた。


「そうか……僕は変わりたかったんだ!

今以外の『何者か』に進みたかったんだ!」

 はやる気持ちに理由をつける、行動への根拠を頭へ金網越しに叩き込んだ。外へつながるドアへと足を一歩踏み出す、もうここに居座る理由はないのだ。



 その時、鼓膜に届いた音を無視できなかった。

「……今何か?」


 机の上で木と木がぶつかったらしい。視線を向けると写真立てが倒れていることが分かる。

 手を伸ばし裏返すと、額に収められていた景色が心に訴える、頭にひらめきが痛みと一緒にやってきた。

「あぁそうだった、もう僕は魔王を倒している・・・・・・・・じゃないか」

 映っていたのは集合写真だった。

 中央で僕と言峰君が照れ臭そうに笑っていて、僕の横には村上さんと遠藤君、言峰君には桐埼さんや生徒会長、皆瀬さんが並んでいる。

 その周りをクラスメイトほぼ全員が所狭しと並んでいた。


 ――違う。


「……あれ?」

 なぜ僕はほぼ・・全員だと思ってしまったのだろうか?

 誰かは分からない。

 僕がここまでたどり着くまでの道のりで忘れてはいけない存在が抜けている気がするのだ、真っ先に見つけられるはずのその人を見つけられない。


『約40人をひとりひとり確認して探していくのは面倒だ、どこかに映ってはいる。それでいいじゃないか』

 邪な考えがよぎった。首を振ってすぐさまかき消す、大切な人を軽んじているようで気持ちの良くないものだと切り捨てたかった。

 けれども、見落としているだけならば、今僕がしていることが無駄じゃないのかと不安が生まれる。


「僕がやるべきことを終わらせている、だからこれがあるんだろう?」

 一体誰を納得させようとしているのか、落として壊さないように額縁を握る握力を強めている。

 この一枚の板こそが事実を裏付ける決定的証拠なのだ、世界中の誰に見せても認めてもらえる僕の成した偉業なのだ。

 そこにどんな疑問が挟まれようか。

 すべて世はこともなし、何もかもが丸く収まるのだ…………収まるはずなのだ。


 ――違う!


 ……だったらどうして、

 ……僕の心がこんなにも、

「何でざわついているんだ? いてもたっていられないんだ?

あんなにも先が見通せない外なんて、未知数で危険で怖いだけなのに…………あれ?」

 声に出して初めて気が付く。どうして扉の向こう側をここまで恐れているんだろうか?

 魔王を倒すほどの実力を身に着けているのであれば、恐怖するものなど存在しないはずなのに。 

 恐らく心の問題なのだろう。

 触れなければ安穏と過ごせる禁忌、考えようとすれば頭が拒絶するほどに目を背けたいもの、向こう側で待っている正体に形を与えるならこんなところか。


 右手を無理やり動かして、ドアノブを掴もうと腕を伸ばす。

「……はぁ……っはぁ」

 皮膚が光沢を帯びた金属へ近づくだけで心臓の鼓動が乱れる、唾を飲み込むと頬を玉のような汗が伝った。

 行かなければならない、

 歩かなければならない、

 挑まなければならない、

 立ち向かわなければならない。

 目的を忘れってしまったのに、強迫観念だけが心の中をぐるぐる回って締め付けてくる。けれども本能的恐怖が立ちはだかる。二つの強大な気持ちにすりつぶされそうだった。

 あぁ、この感覚は覚えがある。王城の訓練、さかのぼれば学校に行きたくないあの時の僕だ。

 あまりのつらさに目をつむる。

 ……どうしてこんなことをしているんだろう?

 このまま布団にもぐれば何もかも忘れて眠りにつくことができるというのに、何をしたのかは忘れてしまったけれどとても疲れた気がする、きっと沈むように眠れるはずだ。


 ――違う違う違う‼


「……理想こんなものにすがっていて、何を証明するんだ?

何も変わっていないじゃないか……! 何も強くなっていないじゃないか!

這いつくばった記憶も血反吐を吐いた記憶もないのに、甘い夢を見ようとするなよ!」

 気が付けば写真立てを床に叩きつけていた、木とガラスが割れる音が耳障りだった。

 腹が立った、この状況に対してじゃない。こんな状況でフワフワと決断できず行動もできない、されるがままの僕自身がたまらなく情けなかったのだ。


 瞬間、目の前から部屋の装飾が消えた。

 初めからそれだけだったように、薄暗さと扉と僕だけが残っている。

 これは僕の心そのものだ。必死に虚飾を着飾っていたけれどそれを除いてしまえば何一つ残らない、カラッポなのだ。




 腕に一つの重さを感じた。いつの間にか捨てた写真立ての変わりにクリアファイルを抱えていたのだ。

「……」

 突然の、ありえない変化のはずなのに心はひどく落ち着いていた。伸ばしていた右手が自然と表紙をめくっていく。


「……これは!」

 中に入っていたのはたくさんの写真だった。勇者召喚前、召喚後の光景で最後の1ページ以外が埋め尽くされている。

 見ているだけで思い出す、つらかった思い出、悲しかった思い出、楽しかった思い出……うれしかった思い出………忘れられない思い出………………


 ……好きな人との思い出……


「……もう一度、村上さんに会いたいな」

 強制されたわけでも使命感に駆られたわけでもない、空になった心の底からぽつりと浮かんだ感情だった。


 頭が問いかけてきた、『最後の1ページはどんな写真で締めくくりたいのか』と。

 僕は答えた、『かっこいい写真がいい』。誰にでも胸を張れるような、誇れる僕で。


「あぁ。そっか」

 ここには誰もいない。

 そしてここに閉じこもっていては僕は何にも成れない。

 だから外に出るのだろう。

「いつまでもここにいられないよね」

 ドアノブに手をかけ回す、先ほどと比べて心は軽かった。

 今まで部屋だと思っていたもの、それは現状維持という心の居場所だったのだ。






 扉の向こう側は画用紙に鉛筆で地平線を引いただけのような景色だった。どこへ行ってもいい、どんなふうにえがいてもいいと語っているみたいだ。

「そうか……そうだ!」

 急激に頭が冴えてきて今までの記憶をはっきりと思い出す、僕は拘束術式を影山く……師匠に外してもらってから意識が途切れたのだ。


 だとすればここは現実ではないどこか、夢に近いのかもしれない。

 どうにか抜け出す手立てはないかと辺りを見回すと、足元に赤い子供の竜がちょこんと座っている。今の僕には勝負になるかさえ分からない相手なのに、不思議と恐怖は微塵も感じない。それどころか兄弟のような親しみさえ覚えた。

 アルバムを脇にかかえて、この小さな強者つわものき上げる。


「……!」

 すると四つの記憶が頭の中でフラッシュバックする、このが見て感じた記憶なのだろうか? 『感情』も付いてきた。

 一つ目は力がないことがバレて僕が周囲から失望の視線を集めた時、悔しがっているようだ。

 二つ目は中曽根君たちに殴られ蹴られた時、怒っているようだ。

 三つ目はダンジョンの血の池で力尽きようとした時、悲しいようだ。

 最後は拘束術式が解かれた時、嬉しく、そしてむなしいようだった。

 見終わって初めて理解する。

「君が僕を守ろうとあの部屋を用意してくれたんだね?」

 子竜を目の前に持ってきて質問する。解答側は何も答えないで僕に頬刷りしてきた。


「大丈夫、もう歩いて行けるから」

 その言葉を受け取ったのか、子竜は尻尾から光の粒となって消えていく。

 少し寂しいのか目の端が少し歪んでいた。

「ありがとう」

 すべてがなくなった後、僕の意識は暗転した。


◆◆◆


「戻ったか」

 次に僕の耳に飛び込んできたのはこの世界にて一番安心できる声で、瞳に飛び込んできたのは上半身ほとんど裸の師匠だった。下着のシャツが少し残っているけれど炭化していて服としての体を成していない。


 自身の体を見下ろすと、鍛えた肉体と頑丈な外殻が見える。

 ガラガラと何かが背中から崩れていく感覚に後ろを振り向くと、尻尾と翼が地面に落ちていることが分かる。

「あの、これは」

 身体の変化に追いついていない僕に、師匠はこちらの手を指す。二倍ほどに大きくなって例に漏れず外殻に覆われており、爪も一本一本が刃物のように鋭い。

「これが中村の才能、潜在能力だ。今はまだ皮と爪だけらしい」


 師匠は次に、僕の胸に指を動かした。

「そしてこれが中村が積み重ねた努力の成果だ」

 ただ単に胸部を指しているわけではなく、その奥について語っているのだろう。

「頑張ったな、本当に」

 胸の奥が熱くなった。小さいけれど確実な一歩を踏み出せたこと、それを理解し認めてくれた事が心の底から嬉しかったのだ。


「師匠」

 深呼吸をして、構える。

「改めて、僕たち・・が今出せる精一杯を見てください」


 師匠はいつの間にか取り出した服に袖を通してから、構え返してくれる。

「見せてもらおうか、朝まではまだ長い」

 嫌な記憶も後悔も後ろに置き去るように思いっきり地面を蹴る、そのまま真正面の恩人へ腕を振り上げた。

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