第87話 魔王

 神聖ルべリオス王国王城ヴァンシュタイン城中庭、軽い食事がテーブルに乗せられ、ささやかなパーティ会場となっているこの場で今、最も名が知られた者同士が邂逅していた。

「俺がお前らを引っ張てくことになったフィンケルだ、よろしく」

「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」

 挨拶とともに差し出された右手に、言峰明は恐る恐る握り返した。


「なんだよ、よそよそしいな。

これから三日三晩寝食共にすんだから、もっと楽にしようぜ」

「善処します…」

 初対面であるはずなのに、まるで長年付き合ってきた友人のように接するフィンケルの態度に言峰はどう対応していいのか分からなくなりたじろいでいた。

 無理もないだろう、対面する相手を歴戦の勇者で百戦錬磨の強者と聞かされていた彼は、その風貌と雰囲気を漫画でよく見る厳格な軍人だと勝手に思い描いて緊張していた。

 しかし、目の前にいる男はどう見てもその面影はなく、どこにでもいそうな面倒見のいい兄貴としか言葉が浮かんではこなかったのだ。


「まぁ、これからこの先、魔王を倒すっていうでっけぇことするんだ。

緊張するのは仕方ねえことだな」

「は、はい、僕がどれだけやれるかはわかりませんが、微力を尽くしていこうと思っています」

「そうだ、その域だ!」

 大笑いしながら背中をバンバンと叩いているフィンケルの頭上に、落雷のように手刀が降り降ろされた。


「フィンケル、暑苦しい」

「なんだよ、セシリア。

いいじゃねぇか、男ってのは難関への挑戦に熱くなってなんぼだろ?」

「コトミネが困ってる」

 フィンケルの陰から現れた少女を見て言峰とその場にいた男子は息をのむ、プラチナの髪と目が端正な顔つきとともに輝き、まるで氷の妖精がその場でたたずんでいるように思えたのだ。


 周囲の注目を集める中、セシリアはただ一言、

「セシリア」

 そう言峰に言葉を投げかける、あまりに短く感情のない言葉にぽかんとした彼が、それが彼女の短い自己紹介だと気付くのに10秒ほどの時間を要した。

「あ、あぁ、えぇと、よろしくお願いします」

 とにかく話を先に進めようと、フィンケルのように右手を差し出して握手を求めた。

「よろしく」

 彼女は言葉を返し、お辞儀・・・をしてすぐにパーティメンバーの場所へと帰って行ってしまった。

 その場には言峰の右腕だけが浮かんでおり、差し出した言峰の姿がより一層哀れに映る。


「すまんな、彼女に悪気があるわけじゃないんだ。

どうもあいつはスキがないように見えて、結構抜けているというかずれているところがあってな…」

 フィンケルが気まずそうに頭を掻きながら、言峰の肩に手をやって励ます、その対応は手馴れているもので、恐らく過去何人も同じ状況に陥っただろうことが容易に想像できる。

 彼女が歩いて行った方角を見れば、遠くでクラスメイト達がセシリアを囲んで話していた、今現在、柿本が猛烈にアタックをかけている最中らしい。

 一緒に剣術の稽古をしてくれないかというお誘いに、彼女が頭を下げ柿本の膝が悲壮感を漂わせながら崩れ落ちる光景が見て取れる、次は彼を立ち直さなければならないだろうと、やれやれとフィンケルが首を振った。

「安心しろ、あれでも俺のところの最強戦力だ。

ダンジョンに潜ったら頼りになるぜ?」

「そうなんですか…」

 言峰は赤ローブの男に向き直り、改めてその相貌を観察した。

 頬に一線切り傷のようなものが見て取れ、よく見れば所々に細かな傷跡が残っていた、陽気な話し方からは想像もつかないが、それはフィンケルという男がこれまでの戦いを乗り越えてきた勲章のようなものだ。

 彼もまたダンジョンに、いや戦場いくさばに立てば一騎当千の強者へと早変わりするのだと、言峰は改めて目の前の男に敬意を抱いた。


「…フィンケルさんが戦った中で、手ごわかった敵ってどんな奴ですか?」

「おっ、やっぱり興味があるか?

そうかそうか聞かせてやろうじゃねぇか」

 腕を組んで顎髭をさすりながら、自慢げに誇らしげに語り始めた。

「まず、冒険者を始めたころは物理防御力が高い敵にお世話になったもんさ。

剣や槍じゃ傷がつかねぇし、魔法も魔力回復のポーション買う金がねぇもんだから、いっつも仲間の魔術師メイジに残り回数聞いてたもんだぜ。

一回、調子こいて奥まで進んで、アリアドネの糸忘れてそいつらに囲まれたときは死ぬかと思ったね」

 あんときは翌日歩けなくほど逃げたもんだ、と感慨深げに頷く。


「次に何といっても階層ボスだな。

大体は討伐用に遠征部隊を組んで当たるんだが、油断すると手痛い一撃を食らって見方が混乱するんだわ。

そうなると厄介で敵を殴る前に味方の態勢を立て直さなくちゃならない」

「そうなんですか…」

 するとフィンケルは意地悪気に言峰のほうに向きなおった。

「そうですか、って言っていられるのも今のうちだぜ?

お前さんもそのうちあいつら率いて魔物モンスターに挑むんだからよ、先任者の言うことはありがたーく聞いておくこった」

「す、すみません」


「そして、だ。

一番記憶に残ってる戦いって言ったら…何といっても魔王だろうな」

「魔王ですか!?」

 その言葉はフィンケルの雰囲気に委縮していた言峰の心に、好奇心という名の波紋を呼ぶに足りえる刺激となった。

「まぁ、戦ったといっても偶然出会った形だったし、あちらさんも戦う気がなかったから引き分けに終わったけどな」

「構いません、聞かせてください」

 言峰の変わりように、さしものフィンケルも少しばかりたじろいだ。

「なんだ、王国側から聞いてないのか?

坊主は勇者なんだからそういった情報は真っ先に聞かされるもんだと思っていたんだがね」

「はい、そういった情報を得ようとしたのですけれど、王城の図書館にも百年前に倒された事柄しか記載されていませんし、文官に尋ねてもあまり具体的な情報がないと申し訳なさそうに断られるんですよ」

「ほう…」

 その言葉にフィンケルの眉がいぶかしげに寄った、なにかと具体的な説明はできないが、彼の思考が歯に小骨が刺さったような違和感が払拭できずにいたからだ。

 そして、同時に磨き上げられた勘が彼に危険信号を告げた、この話題にこれ以上踏み込まないほうがいいと。


「それでですね、フィンケルから見た魔王の実力はどうでしたか?」

「そうだなぁ」

 彼の質問に対してフィンケルが答えることを渋ったその時。

「コトミネ様」

 鈴のなるような声が聞こえて、言峰の背後から一人のメイドがこの場に割って入ってきた。


「どうしたんだ?ティファ」

「セシリア様がコトミネ様の活躍を聞いて改めて話がしたいそうです。

ぜひ、こちらにおこしいただけませんか?」

 言いながら言峰の服の裾を引っ張るその動作は、傍から見ればまるで主人のことを待っていた飼い犬のようで愛らしく思えた。

「で、でもフィンケルさんとの話が…」

「俺なら大丈夫だぜ、コトミネ」

 渋る言峰にフィンケルは彼女の提案を受けるように勧める。

「この先、話す機会はいくらでもあるさ、そん時の楽しみにとっとけ。

そいつは俺とばかり話すから妬いたんだろうさ」

 言峰の背中を叩いて彼女のほうへ、押し出す。

「男っていうもんは美女美少女をエスコートしてやんないと嫌われるぜ?」

「…わかりました」


 少女に手を引かれて向こう側の話の輪に参加する少年を見やり、フィンケルは肩をぶるりと震わせた。

「こえぇな、女ってやつは」

「いつの時代もそうですよ」

 声がしたほうにふり返ると、一人の少年がローストビーフを盛った皿を片手にこちらに視線を送っていた。

 スポーツヘアーの黒髪が紺色の衣装とよく似合い、言峰とは真逆の暗い雰囲気を出している人物であった。


「自己紹介が遅れました、遠藤えんどう 秀介しゅうすけと申します」

「フィンケルだ、敬語は使わなくていいぜ?」

「分かった、どうぞよろしく」

「おう」

 言峰とはまた違う口調の変わりように、フィンケルは思わず視線を向けた。

 年齢は言峰と同じだが、彼とは違って初めて会う人間にとても落ち着いて対応できている、加えてほとんどのクラスメイトがセシリアの周りで騒いでいるのに対し、こいつは今一人でいた俺のところに迷わずに関係を持ちに来た。

 肝が据わっていて、抜け目のない少年というのがフィンケルの遠藤に出した評価であった。


「査定はいかほどで?」

 目を細めながらいう遠藤の言葉にフィンケルの背筋は寒くなった。

「すまねぇな、つい値踏みしちまったよ」

「構わない、俺もあんたのことを値踏みしたんだから」

 その遠慮のない口調はフィンケルの中に怒りを生み出さず、逆に興味深い人間だという好奇心が浮かんできた。


「そんで、俺に聞きたいことでもあるのか?」

「さっき話してた、魔王のこと詳しく教えてほしい」

「それか…」

 遠藤の言葉に思わず周りを見渡す。

「安心してくれ、今を見張っている奴はいないし、俺のスキルで存在感を薄く出きる」

「だが…」

 言いよどむと、少年は懐から一つの紙を差し出した。

「ここで聞いたことは秘密にしておく。

なんなら契約書を書いてもいい」

「察しがよくて助かるよ」

 親指で庭の隅にあるテーブルと椅子を指し、そこで話を聞かせると促すと遠藤も無言で首を縦に振った。


 腰を掛け、一息つくと同時に話は再開した。

「まずこの国でいう魔王っていうものは何だと思う?」

「魔物の王じゃないのか?」

 遠藤が答えると、フィンケルは人差し指を振ってチチチと舌を鳴らした。

「いや違う、実は正式には定義されていねぇんだ」

「定義されていない?」

「あぁ、そうさ、いつの頃からか誰かが言い出した言葉、それが魔王なんだ」

 勇者と敵対したものだけ使われる言葉ではない。

 強力な力を持っているせいで、勝手に人々が危険視して『魔王』と呼ばれた者。

 とある国家と敵対しているという理由だけで、勝手その国家が『魔王』と呼称しているもの。

 いくつかの勢力を束ねて、勝手に『魔王』と名乗っている者もいる。


「結果的にこの東の大陸だけでも、四人も魔王がいることになっているんだ」

「四人…四天王みたいなものか?」

「いいや、そんなふうに呼べるほど力は拮抗してねぇんだよ」

 そういうとフィンケルは懐から二枚の銀貨をとりだしてテーブルに並べ、銀貨を交互にさして話を続けた。

「一枚目がが悪魔族デーモンの皇女イザベラ、そんでこっちが牛人族ゴシールの王ケルヌンノス、この二つは今んとこルべリオスに敵対している勢力のトップってことで『魔王』って呼ばれてんだ。

悪魔族デーモンはもともと人間族ヒューマンと仲が悪い、牛人族ゴシールはこの国が盟約を結んでる耳長族エルフと対立してるという感じにな。

この二柱は同じぐらいの実力だと思ってくれ」

 フィンケルはさらに一枚の金貨を取り出して、銀貨から少し離して置いた。

「魔人ラインハルト、人間の魔王様だ」

「人間なのにか…」

「元は国を引っ張ってた傑物だったんだがな。

その力の強大さが仇になって国の重鎮に恐れられ、指名手配されるようになった悲劇の英雄ってやつさ。

こいつの実力は前の二人より強くてな、人間族ヒューマン最強の一角とまで言われてんだ」

「…あまり他人には思えないな」

 遠藤の顔がわずかに曇った、自分たちもまた、元老院という権力の上に立たされた象徴であると改めて確認したからだ。


「それで、残りの一人は?」

 すると、立板に水を流すように言葉を発していたフィンケルの口が止まり、改めて周りを確認し内緒話をするように顔を近づけて小声で囁いた。

「名はヴラド、種族は吸血鬼バンパイアなんだが…」

「が?」

「こいつは知らなくていいし、知る必要もない、どうせならこの話が終わったら忘れてもいい」

 そう話すフィンケルの様子を見て、遠藤は愕然とした。

 まるで獅子の前に隠れた兎のように、彼が縮こまっているのだ。

「こいつだけは別格だ、ひとつの生物だと思わない方がいい」

 懐から取り出したのは拳よりも大きな超綱魔石アダマンタイトだった、それが矮小な貨幣のとなりに鎮座する。

 呆気に取られる遠藤に、一息吐いて言葉を続ける。

「世界におけるひとつの概念なのさ」


 遠藤はその言葉を咀嚼した後、顎に手を当ててフィンケルを見据えた。

「あんたと言峰の会話になんでティファが割り込んできたかやっとわかったよ。

つまり元老院としては、すべての魔王たちを討伐しようとは考えてないわけだ。

勇者たちを危険な目に合わせたくないし、何より言峰を強い魔王と当たらせて失いたくないからな」

「あぁ」

「イザベラあたりの比較的弱い奴を諸悪の根源だとでも教えてやればいい。

そいつだけ倒せば、リスクが少なくて済むだろうし、言峰たちの中じゃ、晴れて世界の平和が訪れたと信じ込ませられるだろうからな」

 遠藤の出した結論はフィンケルの導きだしたそれと同じであった、だからこそ先ほどの言峰との会話を切り上げたのだ。


 フィンケルが改めて喋るなと念を押そうとすると、目の前に紙が差し出されてきた。

 話しながら書いていたのだろうか、それは今話した内容を秘匿する旨をつづった契約書で、すでに遠藤の血判が押されており、フィンケルがサインをすればすぐ効果が発動するまでに完成されていた。

「手際がいいな」

「言葉よりも行動のほうが説得力があるだろう?」

 そのままフィンケルに書類を渡して、改めて握手をする。

「ありがとう、有意義な話が聞けた」

 少年は礼をするとそのまま席を立ち、人ごみの中へと体を交ぜていった。



「…有能な男だ。

出来るなら俺のパーティの参謀役になってほしいくらいだな」

 フィンケルは契約書をうちわのように仰いだ後、手の平から炎を繰り出して燃やし尽くした。

 どのみちあそこまで理解が早いのなら、こんなものがなくとも約束は守ってくれるはずだ。


「しかしなんだ、言いにくいことをはっきりという奴だな」

 先ほどの言葉の数々、聞く人が聞けば争いの種になっただろう、そういった意味では癖が強い人物のかもしれない。

「言峰はあいつを制御できているのか?」

 視線をパーティ会場で一番大きな集団に移す、どうやらセシリアとまた会話をしている最中のようだ。

 あのたどたどしい様子からは、遠藤をうまく使っているようには見えない。


「まぁ、長く見ていこうか」

 フィンケル自身も戦場とそれ以外の場所では雰囲気を変えるようにしている。

 ダンジョンでの鉄火場の空気をパーティー会場などの華やかな場所で出すのは、冒険者として二流と言わざるを得ない。

 言峰も今はあんな頼りない感じではあるが、いざとなれば変わる可能性だってある。

 この場ですぐに出すべき結論でもない。

 疑問を一度置いておくとして、ここはパーティー会場なのだ、楽しまなくてはもったいないと思い直す。


 気持ちを変えるスイッチとして、手元にあったワインを一気に飲み干した。

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