第85話 声のない叫び


 何度朝日が昇ったのだろう。

 生気のこもらない瞳を光の当たる床に向ける、光の強さからして今日は晴天らしい。


「…もう朝なのか」

 寝てしまえば朝がやってきてしまう、だからと言って寝なければ次の日がつらくなる。

 当たり前のことだ、当たり前のことだからこそ受け入れるのはつらい。

 明日が楽しみで寝られないという人間の気持ちが僕にはわからない、小さいころならそんな気持ちがあったかもしれないが今は未来に不安と恐怖以外感じない。


 いつからだろう?

 周りとは違うと、僕自身に特別感を抱いていたのが、

 周りとは違うと、僕自身に劣等感を抱くようになったのは。

 僕ならやれると思っていた時を、身の程知らずだと自覚するようになったのは。


 考えたところで、答えが出ることも何かが変わるわけでもない。

 もうそろそろみんなも活動する時間だ、いつまでも布団にくるまっているわけにはいかない。

 気だるげに体を起こそうとすると、心と体に蓄積された疲労や、ストレス、眠気や、何とも言えないやるせなさが一気に意識に襲い掛かり、もっと寝ていたいと脳内に訴えかけてくる。

 はじめのうちはつらかったがもう慣れた、頬を引っ張って痛みでごまかし無理やり体を起こす、少しばかり立ちくらみをしたけどまだ体は動く。


 クローゼットの前まで歩いていき、今日着る服と鎧を適当に選ぶ。

 豪華絢爛な刺繍も、僕の目にはいろなんてとうに抜け落ちてどれも布と糸を加工した何かにしか見えなくなっている。

 選ぶのも無意味に思えて、一番端に掛けてあった夏服を無作法に掴み、袖を通して支度を始める。

 防具の胸当ての紐を結び終わったところで、部屋のドアがノックされた。


「ナカムラ様、起きていらっしゃいますか?」

 声の主は僕のおつきのメイドだ。

「大丈夫、もう起きているよ」

「朝食時に勇者様方一同でダンジョンにおける会議を行うそうです」

「分かった、後で行くよ」

 彼女を扉の前から早く立ち去るために、受け答えに素早く返事を返した。

 しかし、彼女は動く気配が一向にない。


「…ナカムラ様、差し出がましいことではございますが、一度私と面と向かってお話ししていただけませんか?

日頃から見させていただいていますが、少しばかりご無理をなさっているように見えるのですが」

「大丈夫だよ、その時は少し疲れてただけだから」

 従者とはもう顔も合わせる自信が起きなかった、合わせたところで彼女から僕に対して憐れみと失望の視線しか送られないことはわかっている。


「…あまりご無理をなさらないでくださいね。

その、いつでもお話をお聞きいたしますから」

「大丈夫、大丈夫だから」

 出来るだけ元気そうな声で対応すること一分弱、扉の向こうから足音が遠ざかっていく音が聞こえた。

 扉の隙間から彼女が去ったことを確認した後、食堂へと向かった。


 長い廊下を小走りで通り抜けようとする、別に何も悪いことはしていないのに人目に付くのが怖くて足音を立てずに誰とも会わないことを祈ってそそくさと通り抜けようとする

「おい、無職ニート!」

 けれど、運が悪いのか待ち伏せをされていたのか、中曽根たちと鉢合わせしてしまった。


「お前は会議に参加したところで使えねぇんだから無意味なんだよ、奥で引っ込んで黙って飯でも食ってろ」

 ドスのきいた中曽根の声が細長い通路に響く、僕はその声を聴いただけで足がすくんでしまった。

 今すぐにこの場から逃げ出したい。

「わ、わかってるよ…それじゃぁ僕は」

 こんな時の僕なりの対処は一つだけだ、反発をせず、彼にかみつかずただ彼の神経を逆なでしないような言葉を並べればいい。

 中曽根は僕の言葉を聞くとこちらをにらんで黙ってしまった。


「そ、それじゃぁ僕はこれで…」

 会話が終わったと判断して僕は彼を横切ろうとする、この廊下の先を右に曲がればみんなが待っている食堂のはずだ。

 目の端から見える彼の眉が少し吊り上がったと感じたそのとき、腹部に鈍いいたみが襲ってきた。


「ぐっ!」

 内臓が一瞬激しく揺らされたかと思えば、胃の腑から何かがこみ上げてきそうになった、幸いにもまだご飯を食べる前だったから、口元を抑えるだけでその衝動は少しずつ収まっていった。

 体が大丈夫なことを確認した後で、僕のお腹を蹴り上げた張本人を見上げる。

「ヘラヘラ笑いやがって、何が可笑しい?」

 こちらを不快そうな表情で見下すその口から、そんな言葉が飛び出してきた。


「悔しかったら殴ってみろよ。

俺の部屋はお前の二つ隣だ、いつでもかかってきていいぜ、ノックもいらねぇ。

まぁ、もっとも」

 そういうと彼は胸倉むなぐらをつかみ上げて、目線を合わせてくる。


「そんな度胸があればの話だがな?」

 言い終わるや否や中曽根は片手で振り回し、強引に地面に叩きつけた。

「がはぁ…」

 肺の空気が圧縮されて一瞬息ができなくなって、体の節々や後頭部が痛みを頭にねじ込んでくる。


「おい!何をしている」

 その時通路の食堂の方角から覇気のこもった声が聞こる。

 首を回してそちらを向くと、言峰君が向かってくる様子が見えた。

 言峰君は僕と違って【勇者】の称号をもっているらしいけど、今の僕にとって彼の存在は紛れもなく英雄ヒーローだった。


「中曽根、いい加減中村に突っかかることをやめたらどうだ?

魔王を倒そうという仲間にそんなことする必要はないだろう」

 まるで断罪者のように言峰君は、彼を睨みつける。

 対する中曽根はその視線を交わし、手のひらをひらひらと振った。

「おいおい、誤解されちゃ困るぜ、勇者様よ。

俺は中村に警告・・しているんだぜ?」

「警告?」

 その言葉に言峰君の眉がやや上がった。

「あぁ、そうさ警告だよ言峰。

このままお前がいても何の役にも立たないし、このクラスに一つの利益もない。

カタツムリみてぇに部屋に閉じこもっているなり、さっさと城を出てってくれたほうが百倍ましだってな?」

 中曽根の言葉の一つ一つが心に突き刺さる、すべてが正論だ、彼は僕がずっと思っていたことをえぐり出していった。

「そんな、そんな残酷なこと誰が言うものか…

彼にだって何かしらの才能はあるはずだ」


 ややひるんだ言峰君に対して、中曽根は大きく言葉を返す。

「残酷? おいおい、勇者様よ。

こいつに対して残酷なことをしているのはむしろお前のほうなんじゃないか?」

「どういうことだ」


 中曽根は親指で僕を指さして、上機嫌に語りだす。

「お前たちは一応こいつのレベリングを手伝ったんだろ?

それでもなお、こいつが取得できるスキルはなかったっていう話じゃねぇか。

ずっと言ってたんだよな? 『きっと強くなれる』って。

無様な結果だよな? 可能性も保証もない希望をこいつに語って、こいつの使えなさをより主張するだけに終わったんだから」

「それは…」

 言峰君が口ごもる。


「てめぇらみてぇに傷つけないよう腫物扱うようにこいつに接するぐらいなら、いっそケツを叩いて世の中の厳しさを教えてやりゃいいんだよ」

 仕上げとばかりに僕の背中を蹴って、満足そうに締めくくり食堂へと向かった。

 残った僕と言峰君の間に何とも言えない、気まずい空気が流れる。


「中村君!」

 そんな空気に一石投じるようにして、鈴のような声が割り込んできた。

「村上さん」

 小学校からの幼馴染が食堂とは反対の方向から、こちらに走ってくる。

 慌てて痛む体を起き上がらせて今度は彼女と向き合った。


「大丈夫、誰かに酷いことされたの?」

 クラスの中でも一二を争うほどの美貌が目の前に近づいてきて、瞳に僕の顔を映しだした。

 思わず心臓の鼓動が早くなる。


「村上さん…実は…」

「心配させてごめん村上さん! 不注意でカーペットに引っかかてね転んだだけなんだよ」

 言峰君が真実を話そうとする前に、割って入って嘘をついた。

「そうだよね、言峰君」

「あ、あぁ…」

 そして、言峰君にも無理やり同意してもらう。

 罪の片棒を彼に担がせてしまったようで、心が苦しくなる。


「中村君って時々何もないところで転んでいるよね?

ちゃんと足元を注意しなきゃいざっていうときに危ないよ?」

「気を付けるよ、本当に僕って注意不足なんだから…」

 あはは、と空笑いでごまかす。

 どうやら村上さんは納得してくれたらしい、おまけに注意までしてくれるんだから本当にやさしい人だ。

 本当にいつも話し相手にしてもらっていいのかと思えてくる。


「それじゃぁ食堂に行こうよ、一緒に朝ごはん食べよ?」

 花が咲くような笑顔で、僕に右手を差し出してきた、手をつないでほしいということだろうか?


「ごめん村上さん、忘れ物しちゃったからちょっと取りに行くよ、言峰君と先に行ってて」

 彼女の誘いを断って、言峰君とともに行動することを勧めた、言峰君なら成績も優秀だしスポーツもできてさらに人格者ときた、彼と一緒にいたほうが僕なんかより彼女の幸せにつながるはずだ。


「うん、分かった、隣の席とっとくから早く来てね?」

 手を振る彼女に振り返して、すぐさま食堂とは反対側の通路を走り、近くにあったトイレの個室へと駆け込んだ。


「うぅ」

 そのまま床にしゃがみ込み、体を丸めてうずくまる、ここは誰の目もない一人きりの空間だった。

 目頭が熱くなって涙腺が緩みそうになっていることを感じて必死に堪えた、目を腫らしたら村上さんに余計な心配をかけてしまう。


 いつからだろう?

 努力すればそれだけ認められると、周りの評価を気にしていたのが、

 失敗しなければ失望されることはないと、周りの評価を気にするようになったのは。


 僕は村上さんの前だけでは、何も気にすることがない明るい少年を演じたかった。

 彼女に本当のこと、そして心の弱さを打ちかけられるほど、僕は心が強くなかった。

 本当に僕は自分勝手でくだらない人間だと、ほとほと自身であきれ果てる。

 そんな三文芝居でいつまでも隠せるわけがないというのに。

 

 でも僕がただ黙ってこのつらさを押し込めて演じ切れていれば、村上さんは笑顔でいられるしクラスメイト達も僕と中曽根の関係をあまり気にしないはずだ、すべてはうまく回っていく。

 だから僕は叫ばず波風立てず、ただ声を潜めて歩いて行こう。



 いつか彼女に僕の虚飾がすべてばれて失望されるその日まで。

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