合うか合わぬか水色に
朝起きるといつも、耳元でうるさい目覚ましの音がする。朝起きるのが苦手だから馬鹿でかい音量を流す時計を買ったが、これはもう目覚ましの域を超えていると思う。
幸い遅くてもその騒音は五秒で止められる。だからご近所にあまり迷惑がかかることはない。
「朝か…」
重く肌にひっつくような瞼を開けると、そこにはいつも人生が広がっている。
布団の感触。視界に差し込む朝日。鳥のさえずり。少し乾いた口の中。我が家の匂い。今僕が感じ取れる全てだ。
部屋にあるものを一瞥し、耳元にある絡まったイヤホンを解き、部屋のドアを開く。階段を下りる時はそっと、父さんを起こさないように忍び足をする。
この瞬間が、僕は結構好きだ。階段を下りてすぐ左にあるリビングを開けると、そこには静寂に満ちたリビングがある……はずだった。
「おはよう。ご飯作ったりするとか言ったわりに起きるの遅いんだね君。目覚ましの音うるさいし」
大きな瞳がこちらを見てニヤリと笑う。
あぁ、そうだ。もうここは静寂になんて満ちていない。
「僕が遅すぎるってより、君が早すぎるんじゃないのかな」
ありったけの不快感を込めて言うと彼女は無邪気に、早起きは今日だけだよ。と笑って返事をした。
ダイニングテーブルの横にある広いスペース。そこに設置されたソファに堂々と身体を預け、乱れた部屋着で彼女はここに溶け込んでいる。
こんなにも世界に溶け込めなさそうな見た目をしてるのに、本当におかしな奴だ。
「…何で今日に限って早起き?」
「君の朝ご飯作りを監視するため。私意外と味にはうるさいの」
別に意外でも何でもない。むしろ優しかったら僕はこんなに嫌そうな顔をしていないと思う。
「まぁ、頑張るよ」
「楽しみにしてる」
昨日の夜、彼女と出会ってから、その声音はずっと赤色に聞こえる。もちろん一切褒めていない。ただの傲慢な赤だ。
昨日の夜は大変だった。荷解きを手伝えだのトイレはどこだの風呂を沸かせだの。一気に水色の夢を壊されてしまったショックは大きい。
軽くため息を付きながら、台所へと足を運ぶ。朝は別に凝った物を作るつもりは無い。昨日の残りのチンジャオロースを弁当に詰め、昼用のをいくつかと朝ご飯を用意するだけだ。
今は午前五時。もう一人分増えるからと早く起きたが、正しいかどうかは疑問だ。
手を洗い、慣れてしまった手つきで野菜やその他の材料を切っていく。肉は事足りてるだろうから、卵焼きとブロッコリーを塩茹でにして、あとはてきとうにポトフでも作ろう。
まだ肌寒いから、暖かいスープがあると身体は喜ぶはずだ。
ふと、卵焼きの味付けは何が言いかと聞いたら、甘いの!とこちらを見ずに答えられてしまった。
お願いをする時は顔を見ろ顔を。
弁当の分を作り終え、次は朝食に取り掛かる。昼の分にご飯を使ったためメインは食パンだ。
まずは軽くトースト。次に炒めたベーコン、そしてレタスを食べやすいサイズにした後、ターキーの代わりにスクランブルエッグを作って薄切りトマトと共にまとめてトーストに挟む。
マヨネーズも嫌いらしいため、ちょこっとごま油をまぶせば簡単なクラブハウスサンドの完成だ。
最近ハマっているコーヒーを付けて、得意顔で彼女にそれらを出す。
「おおおおおぉ!」
感嘆の声だ。それだけじゃないぞ。さぁ食って態度を改めろ。
まずは一口。
「おおおおおおおおお!」
「……結構美味いだろ?」
「うん、満点っ!」
意外と採点甘いんだ。
落ち着きなく食べる彼女を見て安心したのか、何だか穏やかな気分になった。父さんの分は起きてから用意しよう。僕も少し早めの昼食だ。
母さんが好きだったという、ひよこ型の掛け時計を見ると、時刻は六時になっていた。
どうやら早起きは正しかったらしい。
*
その後は自分の分も一緒に二人で朝食を食べた。彼女はうるさいくらいに美味いを連呼し、満足気に食べ尽くした。朝にしては女の子には多いかなと思ったが、丁度良かったらしい。今後の食費が危ぶまれる。
朝からシャワーを浴び、制服に着替え、春之の朝食を作り終えた秋人は、いざ出発と玄関で靴紐を結び直していた。
……女の子ってのは、大変なんだな。
朝食の後、星咲は急に動きを早くし、身だしなみを整え学校の準備をしてにかなりの時間を割いていた。何をそんなに時間がかかっているんだと聞くと、色々女の子にはケアが必要らしい。
だが、化粧はしないと言っていたので、何に時間がかかっているのかは結局分からなかった。
そして。
「何で君は僕と一緒に登校しようとしてるんだ?」
「君こそどうして私と登校しようとしないの?」
「いやいや、質問で質問を返さないでくれよ……」
そう言われてしまったが、確かに通学路も出る家も同じなら一緒に登校しても不自然ではない。星咲の場合はまだこの町に慣れていないだろうから尚更だ。
だが僕には先約がいる。渡と舞華の声を聞いて一日を始めるのが日課だ。
どうして?と不思議そうに顔を近づけてくる彼女を追い払うように、声を少し大きくする。
「先約がいるんだ。幼馴染みが二人。いつも三人で登校してる。だから君とは登校できなーーー」
「じゃあ私も連れていけば四人になるじゃないっ!」
「えっ」
「楽しみだなぁ〜」
「いや、ちょっとっ!」
彼女を引き止めるよりも前に、その姿は空の青を浴びている。ローファーを履いて少し背の高くなった彼女は、また水色の声で僕を取り込もうとする。
「どうしたの?早く行こうよ地味眼鏡」
何て強い言葉なんだろうか。逆らうことさえ許さえない。いや、そう思うことさえできない。彼女に染まれと全身が訴えている。これは一体何なのだろうか。
「…地味眼鏡って言うなよ」
「朝川君ってなんか呼びにくいんだもん」
「だから僕って誰かに声かけられる時、いつも、ねえ。とか、あのー。とかなのかな」
「それは単にあんまり関わりたくないからじゃない?」
「君ってかなり最低だよね」
彼女と話すと、自分が惨めに思えて頭が痛くなってくる。まだ出会って二日目。普通はよそよそしくて、言葉一つを交わすのにも時間がかかるはずなのに、どうしてこんなにも口から溢れていくんだろう。
赤色な彼女は面倒くさい。黄色な彼女は話しやすい。水色の彼女は逃がしてくれない。
もうこんなにも様々な彼女が見えた。あとどれくらいの色を彼女は、その華奢な細い身体に隠しているんだろうか。
「えっと、あとどれくらいで待ち合わせ?」
「日本語がおかしいよ。一人は元々隣に住んでるんだけど、寝坊助を起こしに行ってるだろうからそいつの家に集合なんだ」
「へぇ〜。何だかいいね、そういうの」
「まぁ、悪くはないかな」
もう殆ど散ってしまいそうな桜道を歩いていく。毎日歩く道のりは、どんなに楽しい話をしていても、悲しみで俯いてしまっていても、何故かその通りに進んでしまう。身体が覚えてしまっている。
だから、僕の隣で話しながらも不安げに辺りを探る星咲の姿は、なんだか微笑ましかった。
通学路から少し外れた住宅街。寝坊助がいる家の近くに辿り着くと、少し先から二つの人影がじゃれつき合ってこちらに近づいてくるのが分かる。
「渡っ、舞華っ」
少し声を張り上げると、二人はこちらへ顔を向けた。
「おぉっ、秋人…………?」
「……嘘っ」
初めは友の元気な姿を見て喜んでいたはずの彼らの目が、一瞬で驚きと困惑に変わる。まぁそうなるとは思っていた。僕の隣にいるのは、星咲なんだから。
「あぁっと、星咲。説明」
「え、私が?君がするべきだよ」
「自己紹介も含めてって事で」
「う〜ん。腑に落ちない」
良いから良いからとなだめると、彼女は納得のいかない様子で事の経緯を説明し始めた。
本当、予想もしない出来事だろうなぁ。でも、この二人は多分、何とも思わないんだろう。帰ってくる返事も大体想像ついている。
「―――――というわけなんです」
説明し終えると、星咲は少し姿勢を低くして、上目遣いに二人の反応を見ようとする。昨日から今にかけてのことが普通でない自覚はあるらしい。
「へぇ、そうなのか。俺、筒ノ木 渡。渡で良いぜ」
「えっ?」
「私は荒川 舞華。私も舞華で良いよ。これからよろしくね、クーちゃん」
「クーちゃん!?」
突然あだ名で呼ばれ狼狽えながらも、彼女はこちらを必死に見つめてくる。
まぁ言いたい事は分かる。
でもこの二人は、どんなに予想外な事も受け止めてしまうような人間だ。適応力というか、そういうのが尋常じゃないくらいにある。だからこそ星咲をここに連れてくるのを無理に止めたりはしなかったのだ。
「良いから、よろしくだってよ」
「良いって……」
彼女はまた不安気に渡と舞華を見やるが、とうの二人はやけにニコニコしている。どっちも美人好きだから当然と言えば当然か。
その反応に戸惑いを覚えながらも、星咲はよろしく…です。と、やけに遠回りな挨拶を返した。
「……何。何その目は。馬鹿にしてるの?」
「いや、意外と僕以外の人には初対面でも低姿勢なんだなって」
「君に対しては、その惨めさを際立てるために姿勢を高くして頭も高くすることを心がけるつもりなんだけど、そうじゃない他の人には敬意を示す必要があるの」
「どうして?」
「君を人と見なすかの判断にあぐねているから……かな?」
「君は本当に最低だ」
「その言葉は容易に人に対して使うべきじゃないと思う」
「じゃあそう言われないように努力すべきだね」
昨日から続く口論を僕らが繰り広げていると、突然渡が大きな声で笑い出した。
「ちょっ、渡、あんた何よいきなりっ。隣で大声出さないで!」
「あははっ、わりぃわりぃ。でもこいつら面白くってさ」
そう言って彼は僕らの方を見る。
「お、面白いって。渡、僕は真剣に彼女の性根を正そうと」
「わ、私もこの地味眼鏡の卑劣さを実感させようと」
そこまで声を重ねて二人で訴えると、またもや渡は、ほら面白い。なんて笑い出す。
イラッとしたからまた食いつこうとすると、間に舞華が入ってそれを制した。
「はい、そこまでで終了。クーちゃんもアキも一旦落ち着く。言っとくけどあたし達通学中なんだからね?皆勤賞狙ってるんだから足を止めないで」
「うわっとっと!」
そう注意すると、彼女は渡の襟首を掴み、高校の方へずかずかと歩き出す。うん、パワフルだ。
「……荒川さんの言う通りね。今回は多めに見てあげるから、早く行くわよ」
「それは僕の台詞だ。道も分からない癖に」
「なっ、道が分からない訳じゃーーーーーーー」
「二人共ぉっ!さっさと付いてこいいいいっ!」
星咲を上から踏みつぶすように、舞華の声が叩きつけられる。
「は、はいっ!」
「わ、分かったっ!」
僕達は本能的に良い返事をして、駆け足で二人を追う。舞華を怒らせたら面倒くさいという事が、身体に染み付いているみたいだ。
星咲も、危険を察知する能力はあるらしい。
それにしても……。
もう視界に、淡いピンクの花びらは見えない。ここから先は段々と世界は色味を帯びていき、とても暑い日々が続いていく。
高校生活二日目にして、もうブレザーを脱ぐべきか迷うほどだ。この時期の気温の変化は、十五年生きても慣れるものではない。
住宅街を抜け、通学路に戻ると、自分と同じ服を来た男女で溢れかえっている。誰も彼も知らない人で、誰も彼も人生を持っている。
色んな種類の人間でこの道は色づいているのだ。
そして本当に、それにしても……。
僕と星咲という人間は多分、この先もこんな不毛な言い争いと共に毎日を送っていくのだろう。
彼女と僕は、根本的に異なる人間だ。渡とは共存することが出来た。じゃあ彼女とはどうだろう。
そんな事はまだ分からない。分かる日なんてこないのかもしれない。
今はただ、幾ら見た目が良くても、性格が合わないならうんざりする事実を学べた事に、大きくため息をつくことにした。
「……ため息をつくと幸せが逃げるよ」
「誰のせいだと思ってるんだ」
「大丈夫。君みたいな人間にも、いつか良いことは訪れる」
そう言って彼女は自信満々な笑みを見せる。
あぁ、こんな時だけ水色だ。
もう分かってしまったじゃないか。早ければ早い程良いなんて言うが、流石に早過ぎる。それでも確かなんだ。僕はやっぱり、彼女とは根本的に合わない。
もし、合うんだったら、会うんだったらそれは、一種の奇跡だ。
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