第3話:米に立ち向かえっ!

 昼休み。僕は校舎の屋上でヒーロー変身ウォッチを眺めていた。

 「やっぱりここにいました」

 不意にかけられた声に振り向くと、そこには小町がいた。後ろには小町よりも一回り小さい金髪縦ロールの可愛らしい少女が立っていた。今でも信じられないが、その少女はゴリラこと西園寺麗華だ。

 「一緒にお昼を食べましょうって約束したのに、急にいなくなるなんて酷いですよ」

 小町が腰に手を当てて口を尖らせている。

 「あぁ、悪い。忘れてたよ」

 実際には忘れてなどいなかったのだが、忘れていたフリをする。

 小町が僕に近づくと、続くように金髪縦ロールのゴリラも近づいてきた。小町との昼飯を避けた理由はこのゴリラだ。最近、小町はことある度にゴリラと一緒にいるようになった。小町のおしの強さに負けて、ゴリラも渋々と付き合っているようだった。でも、ゴリラはゴリラで一緒にいる小町に迷惑がかからないようにと人間に姿形を寄せてきているあたり、小町と一緒にいるのを受け入れているのかもしれない。そんなこんなで、小町が常にゴリラと一緒にいる所為もあり、転校初日からこの1週間、ゴリラが僕の命を狙うことはなかったのだが僕の心は休まらなかった。

 ゴリラと目が合うと、ゴリラはフンッと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。金髪縦ロールが揺れる。ぶっちゃけて気持ちが悪い。はたから見れば年端もいかない可憐なお嬢様が、機嫌悪そうにつんつんしているだけに見えるのかもしれない。しかし中身はゴリラだ。

 僕とゴリラの間にピリピリとした空気が流れる。しかし、空気の読めない小町はレジャーシートを広げ、次々とランチボックスを並べていった。

 「今日はいっぱい作ってきましたので、遠慮しないでいっぱい食べてくださいね」

 小町が満面の笑みを浮かべると、ゴリラと僕は渋々とレジャーシートに座った。

 ゴリラが手を合わせて「いただきますウホッ」と呟く。ぶっちゃけて気持ち悪い。何処から声を出せばそんな女の子みたいな声が出せるのだろうか。こみ上げる吐き気を抑えつつ、僕も手を合わせた。

 食事は黙々と進んでいく。会話が弾まないゴリラと僕を見て、小町がいろいろと話を振る。天気の話。授業の話。クラスメイトの話。テレビの話。そしてこの町で起きた事件の話。

 「この町でまた米兵器を使った銃撃戦があったそうです。最近、多いですよね」

 思わず箸が止まる。その事件はきっとブリスオブリスがらみの事件だろう。この町の水面下ではブリスオブリスを狙った物達の小競り合いが既に始まっているのだ。

 がつがつとサンドイッチを頬張っていたゴリラも、いつの間にか手を止めていた。

 「知人から聞いた話ゴリが、この町に怪しい外国人が日に日に増えているらしいゴリ。もしも、その方々が何らかの目的と米兵器をもってこの町に集まっているのであれば、これから先、この町は危険なことになるかもしれないゴリ」

 その話しぶりを聞いて気づく。ゴリラもブリスオブリスを知っているのだと。おそらくゴリラもブリスオブリスを狙ってこの町にやってきた口なのだろう。

 「ねぇ、小町さん。この町の騒動が収まるまでの間、私の別荘に行きませんウホっ?」

 ゴリラが微笑みながら軽い感じで小町に問いかけるが、目が真剣さを隠しきれていない。どうやらゴリラは本気で小町の身の安全を心配しているらしい。

 しかし、小町はゴリラの真剣さに気づいていないようだ。クラスメイトの冗談を流すように笑う。

 「お誘いは嬉しいのですが、学校があるから無理ですよ。学級委員がズル休みは見過ごせません」

 「でも――」

 食い下がるゴリラを見て、小町のまとう雰囲気が変わる。一瞬であたりの空気が張りつめたのが判る。

 「――また、お仕置きされたいんですか?」

 小町が笑顔を崩さないまま答えるが、目が笑っていない。……あ、これはヤバいやつだ。ゴリラも小町の変化に気づいているらしく、ガクガクブルブルと震えていた。……僕の知らないところでゴリラの身にいったい何があったのだろうか。

 「でも、ひとつだけ言わせてくださいゴリ。このままでは佐々丹くんにも危険が及ぶかもしれませんゴリよ?」

 その言葉を聞いて小町の目の色が変わるのが分かった。このゴリラ、小町の矛先を僕に向けやがった。不意に小町がスタンガンと注射器を取り出したので、とっさに小町の腕を押えた。困った顔をする小町。

 「ねぇ、ちょっと、志騎。手を離してください」

 「小町、何しようとしている?」

 「え? 志騎を無力化してから、西園寺さんの別荘で監禁しようとしているだけですよ? 大丈夫、逃げられないように手足は縛らせてもらいますが、私が付きっきりでお世話しますから安心してくださいね」

 「そうか、判った。いいから先ずは落ち着け」

 しばらくすると小町が諦めて力を抜いた。ほっと胸を撫で下してスタンガンと注射器を取り上げる。

 「ゴメンね、志騎。私、ちょっと混乱していたみたいです」

 小町が照れ笑いを浮かべて、少しだけ下を出して見せた。

 「この町では米兵器を使った事件も増えていますけど、最近はヒーローが助けてくれるみたいですし安心ですよね」

 「ヒーロー?」

 「はい、そうです。テレビとかでは発表されていないんですけど、この町で事件に巻き込まれそうになるとヒーローが現れて助けてくれるんだそうです。隣のクラスでは実際にヒーローに助けてもらった子もいるみたいですよ」

 ヒーローという言葉にゴリラが眉根を寄せた。

 「そのヒーローってどんな奴なのゴリか?」

 「それがですね、うちの制服を着た女の子らしいんですよ」

 「やっぱり奴ゴリか」

 ゴリラが横目で僕を睨んだが、僕は気にせず卵焼きを一切れ口の中に放りこむ。

 「そんなヒーローがうちの学校にいるんでしたら、万が一、志騎に危険が迫ったとしても絶対に助けてくれるはずですし、私が心配することありませんよね」

 そういうと小町は注射器を取り出して、ランチボックスのから揚げに謎の液体を注入した。そしてそのから揚げを差し出してくる。

 「はい、志騎には迷惑をかけてしまいましたから、お詫びにから揚げを食べさせてあげます。これは我ながら美味しくできたと思うんですよ。はい、あ~んしてください」

 いや、それヤバいやつじゃないか……。僕が口を開けずに食べるのを拒否していると、ゴリラがひょいとから揚げを奪って食べてしまう。大丈夫かゴリラ、という言葉が喉まで出かかる。

 「食いたくない奴に食わせるから揚げはないゴリ。たとえ何が入っていようと私は小町の――」

 そこでばったりとゴリラが倒れた。急いで脈をとるが反応は無い。どうやら呼吸もしていないようだ。まさか殺してしまったのかと慌てて小町を見るが、小町は慌てた様子もなく頬に手を当てていた。

 「もう、西園寺さんったらこんな所で仮死状態になっちゃうなんてしょうがない人ですね」

 なるほど、あの注射器の中身を摂取するとこうなってしまうのか……。

 「私、西園寺さんを保健室に連れていきますね。志騎はゆっくりと食べていてください」

 「あ、あぁ。ゆっくり食べさせて貰うよ」

 ランチボックスの中身を見渡して、どれが安全な食べ物なのか探っていると、僕の顔を見つめていた小町が静かな声で訪ねてきた。

 「……ねぇ、志騎。危険な事しようとしていませんよね?」

 「当たり前だろ、急にどうしたんだよ?」

 僕はできるだけ平然と言ってのけたつもりだったが、右手で無意識にヒーロー変身ウォッチを隠していた。

 小町が腕を伸ばして僕の頬をつねる。

 「嘘つき。見てれば判ります」

 何かを言いたそうにじっと僕の目を見つめる。そして、小さな声で「怪我だけはしちゃ嫌ですからね」と呟いた。

 「それでは、また後で」

 顔をあげてにこりと笑うと、ズルズルとゴリラを引き釣りながら小町が去っていく。

 小町の姿が見えなくなってから、左手首の上に置かれたままの右手をどかすと、まるで玩具のような見た目のヒーロー変身ウォッチが現れる。……危険なことはするな、怪我はするな、か。

 「志騎の周りには、個性的な女の子が多いねぇ」

 声のする方を向くと、いつの間にか僕の隣にひかりが座っていた。今日もひかりはうちの学校の制服を着ている。

 「うん、ひかりも含めてね」

 「私は炊飯器だからセーフだよ」

 何がセーフなのかわからない。自信満々に胸を張ってどや顔しているひかりを見ていると彼女が人間じゃないなんて信じられないくなる。本当にアンドロイドなのか確かめてみたくなり、ひかりの頬をつねってみる。ふにふにとした感触の頬。つねっている僕の指に吸い付くような張りのある肌。

 「いたたっ! 何すんのよ、志騎」

 ひかりの抗議の声を聞いて、ふと我に返る。彼女の頬から手を離して頭を下げる。

 「ごめん、ひかりがあまりに人間っぽいから、本当にアンドロイドなのかと思ったらつい」

 頬を摩りながら恨めしそうな顔でひかりが僕を睨む。

 「疑う余地もなくピンからキリまでアンドロイドだよ。そりゃ、潜入捜査とかしなくちゃいけないから人間に似せて造られているけどさぁ」

 そう言って立ち上がると、ひかりはくるりと回って見せる。制服のスカートがふわりと舞う。

 「どう、人間にしか見えないでしょ? あ、ちなみにこの服も潜入捜査用だよ。女子で学生ってだけで油断してくれる人が多くて助かるよ」

 「やっぱりウチの学生じゃなかったんだ」

 ひかりが頷いた。薄々は感づいていたことだったが、こうして本人から直接聞くと残念な気持ちになってしまう。

 「本当にこの学校の生徒だったら楽しそうだなって思うけど、私にはやらなくちゃいけないことがあるから」

 「やらなくちゃいけないことがある割に、いろんなところで人助けに励んでいるみたいだね。噂になってるよ、ヒーローが助けてくれるって」

 「しょうがないじゃん。ブリスオブリスを探して米兵器の反応を追ってたら、悪いやつに襲われている人がいるんだもん。助けるでしょ、普通。そりゃ目立てば目立つほど潜入捜査がやりづらくなるけどさ」

 少し拗ねた顔をしてひかりが口を尖らせる。そんな仕草がとても愛らしくて自然と頬が緩む。

 「いいと思うよ、ひかりらしくて」

 僕がじっと見つめるとひかりは恥ずかしそうにして視線を泳がせた。ひとしきり視線をさまよわせた後、ふと何かを見付けたように僕の左手を見つめた。

 「ところで、志騎の調子はどうなの? ヒーローには変身できた?」

 僕は首を横に振った後、ヒーロー変身ウォッチの縁を指で撫でる。

 「やっぱり全然反応しないんだ、壊れているんじゃないの、これ」

 「一応、博士が遠隔メンテナンスしているけど、何処も壊れていないみたいだよ」

 ひかりは近くにあるベンチに腰を掛けると、ぶらぶらと足を揺らす。

 「博士が言うにはね、ヒーロー変身ウォッチは人間の身体能力を引き出す特殊な米兵器だから、志騎の心理状態が影響しているんじゃないかってさ。何か心当たりあったりする?」

 ひかりの質問い言葉が詰まる。考えを巡らせまでもなく僕は回答を持っていた。

 「怖いんだ」

 「怖いって、米兵器が?」

 「もちろん米兵器は怖いよ。でも、それは大した問題じゃないよ」

 空を見上げると雲ひとつない空が広がっている。なのに僕の口は重く、次の言葉を発するのに時間を要した。

 「……小町を悲しませるのが怖いんだ」

 僕は自分の感情が高ぶらないように気を付けながら、ぽつりぽつりと言葉を続ける。

 「昔さ、幼稚園に通っていた頃さ、ウチに強盗が押し入ったことがあるんだよ」

 目を閉じると今も鮮明にあの日の記憶が蘇る。

 「今も忘れない。何の変哲もない日曜日だと思っていた。運悪く小町が遊びに来ていてさ。小町と僕を逃がすために、両親は身を挺して守ってくれた。そして、命を落とした」

 僕の話を聞いて、ひかりが悲しそうな顔をしている。

 「そんな顔するなよ。両親が死んでしまったことは悲しいけれど、誇らしくも思うんだよ。誰かのために自分の身を挺することなんて簡単にできることじゃない。僕はふたりの子供として生まれてこれてよかったって」

 両親のことを思うと今も胸が暖かくなる。この気持ちは嘘じゃないけれど、やはり両親を失った悲しみは拭い去れない。落ち込みそうになる気持ちを振り払って僕は話を続ける。

 「両親に助けられて逃げ出した小町と僕だけど、あと一歩というところで強盗に追いつかれてしまったんだ。絶体絶命のピンチだと思ったけど、小町だけなら逃がせるんじゃないかと考えた。僕は単純でバカだから両親の真似をしたんだ。小町に逃げるように言ったあと、無我夢中で強盗に飛びかかった」

 そこで僕は一呼吸置いた。

 「でも、それは間違いだったんだ。僕は運よく助かったものの意識不明の重体。何日間も生死の境をさまよった。目を覚ました時、小町が僕の手を握っていたよ。何度も何度も僕の名前を呼んでいた。食事もとらず、水分もとらず、不眠不休で僕に語り続けていたらしい。僕の目には、僕よりも小町の方が衰弱しているように見えたよ」

 あの時のことを思い出すと今も胸がかきむしられた様になる。呼吸を整えて少しだけ気持ちを落ち着かせる。

 「そして、僕は間違いに気づいた。僕は自己満足のために命を投げ出しただけで、残される人の気持ちなんて考えていなかったんだ」

 「私は志騎が間違ったことをしたとは思わないよ。志騎が強盗に立ち向かわなければ、小町ちゃんも志騎も助からなかったかもしれないじゃん」

 ひかりが涙を浮かべながら声を挙げる。感受性が豊かなのだろうか。僕が我慢しているっていうのに、ひかりが泣いてどうするんだよ。僕は苦笑しながらひかりの言葉に答える。

 「それは判ってるよ。でも、ダメなんだ。あの時の自分を肯定してしまったら、小町の気持ちはどうすれば良い? ヒーロー変身ウォッチを使おうとするたびに頭をよぎるんだ。今の僕は、強盗に飛びかかった時と同じで、自分から危険に飛び込もうとしている。僕はまた小町を悲しませようとしているんじゃないか、って」

 そこまで話して僕は黙り込んでしまう。ひかりを助けるためにヒーロー変身ウォッチを貰ったのに、こんな情けない理由で変身できない僕。自分の気持ちを吐露したことに後悔はないし、ひかりが僕を非難するのなら、それを甘んじて受けるつもりでいた。

 でも、ひかりに僕を責める様子は無かった。涙をぬぐって笑顔を浮かべるひかり。

 「じゃあ、良かったじゃん。変身できなくて」

 皮肉にもとれる言葉だったが、彼女が本心から言っているのだと僕には判った。

 「博士や私に協力してくれるって言ってくれた時は嬉しかったし、その言葉が嘘だとは思ってないよ。でも、志騎は戦っちゃだめだと思う。小町ちゃんのためにもさ」

 ひかりの気持ちを聞いて、僕の中にあるもうひとつの気持ちがむくむくと大きくなる。言うつもりはなかったはずなのに、膨れ上がった気持ちは口をついてしまう。

 「変身できない理由、もうひとつ思い当たる事があるんだ」

 一度膨れ上がった気持ちは止まることがなく言葉を発し続ける。

 「僕がブリスオブリスの破壊を手伝ってことは、ひかりを殺す手助けをするってことだろ。それが嫌なんだ。僕はひかりに死んでほしくない」

 その言葉の所為でひかりの顔が曇る。

 「それは……困るなぁ」

 僕に表情が見えないように俯くひかり。僕もいたたまれなくなり視線をひかりからそらした。

 「本当に、困るなぁ」

 しばらくの間、静寂が辺りを満たした。どちらも言葉を発しないまま、数分が過ぎてしまう。

 ふと、顔を上げたひかりが顔を上げると、明るい声をあげた。

 「志騎がヒーロー変身ウォッチを使えないなら、いざという時のために何か代わりの道具をもらってこないといけないね」

 そう言うとひかりが逃げるように立ち去ろうとする。フェンスを飛び越えて屋上の隅に立ったひかりが振り返る。

 「私は、ブリスオブリスを破壊するために造られたんだ。だから他の生き方はできないよ」

 そういうと、彼女は悲しそうに笑った。

 「じゃ、またね」


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 両親を失った後、僕はじいちゃんに引き取られた。じいちゃんだって息子夫婦を失ったばかりで悲しかったはずなのに、まるで何もなかったように自然と僕に接してくれた。それが僕には嬉しかった。

 じいちゃんは寡黙だけど優しい人だった。悪いことをしたときはメチャクチャ叱られたし、良いことをしたときはメチャクチャ褒められた。そして僕が喜びそうなことは何だってやってくれた。子供心に、じいちゃんが一生懸命に両親の代わりになろうとしてくれていることが解った。そんなじいちゃんが大好きだった。

 じいちゃんは米兵器を憎んでいた。米兵器の所為でばあちゃんが命を落としてから、ずっとずっとずっと米兵器を憎んでいたらしい。だから、ニュースで米兵器の事件を見るといつも険しい顔をしていた。そして決まって僕に「米には関わってはいけない」、「米に関わる奴にろくな奴はいない」などと言うのだ。

 ある夜、眠っていた僕は、苦しくて目を覚ました。暗い部屋の中、わずかに差し込む光でじいちゃんが見えた。そして、じいちゃんの手が僕の喉を絞めているのが判った。「何をしているの?」と問おうとしたが声が出なかったのを覚えている。そこで僕はじいちゃんが泣いているところを初めて見た。ボロボロと涙を流しながら「こんな世界に生きる意味はない」「こんな世界に生んでしまってすまない」など言っていた。その日は米兵器を使用した大規模なテロ行為があり、数万人の命が失われた日だった。きっと、じいちゃんはこの世界に絶望してしまったのだ。やがて、じいちゃんの手から力が抜けると、ふらふらとした足取りで自室へ戻っていった。

 その日からじいちゃんは死んだように毎日を過ごすようになった。まともに食事もとらず、日々をただ寝て過ごすようになった。そして、「命が惜しければ米だけには関わるな」といって息を引き取った。


 目を覚ますとそこは教室だった。現国の授業中。どうやら睡魔に負けて居眠りしてしまったらしい。

 昼休みに昔話をしたせいか、とても懐かしい夢を見た。

 隣を見ると小町がこちらを見て微笑んでいる。そっと小声で僕に耳打ちする。

 「おはよう、志騎。あとでノートをコピーしてあげるね」

 辺りを見渡すと教室にはゴリラの姿がなかった。どうやらから揚げの所為で未だ保健室で眠りこけているようだ。

 あくびがこみ上げる。満たされた食欲。程よい日差し。担任教師の単調な授業。ちょっかいを出してくるゴリラもいない。だんだんと瞼が重くなってくる。

 うとうとと頭が前後に揺れるのを感じ始めた頃、突然、窓の外で悲鳴があがった。なんだか校庭が騒がしい。

 「すげぇ、ロボットがいるぜ!」

 誰が声をあげた。その声に釣られるように次々と生徒が立ち上がり窓際に集まる。

 クラスメイトの合間から窓の外を見ると、校庭に1体のロボットが立っていた。4階にある教室から見ても、相当に大きく見える。体長は5~6メートル程度だろうか。ライトグレーとカーキを基調とした分厚い装甲をまとった、いかにも戦闘用といった風体のロボット。……嫌な予感しかしない。

 ロボットが両腕を校舎へ向ける。片方の腕は真っすぐこちらを向いていた。

 「伏せろぉっ!!」

 僕は大声を上げると、振り向きざまに小町を探す。思いのほか近くにいた小町をかばうように抱きしめて、倒れこむように伏せる。次の瞬間、巨大なミシンを動かしたような断続的な音が響き始める。校舎中で悲鳴があがった。誰かが倒れる音。ガラスの割れる音。蛍光灯が次々に飛び散り、部屋が徐々に薄暗くなっていく。言葉にならない声を発しながら廊下へ駆け出していくクラスメイト達に、何度か身体を踏まれる。やがてミシンのような音が止んだ。

 「大丈夫か? 怪我はないか?」

 僕の腕の中で小町が震えたまま頷いた。僕は低くした姿勢のまま、小町を連れて這うように廊下近くまで移動する。

 振り返って教室を見渡すと、10人ほどのクラスメイトが倒れているのが見えた。荒い息遣いやうめき声が聞こえる。非常時には生徒を率いるべき教師の姿は何処にも見当たらない。

 「ちょっと待ってて」

 僕は小町にそう伝えると、倒れているクラスメイトに順に近づいた。そして、3人のクラスメイト――萬と猿渡と日比――を小町の近くまで引きずる。

 3人のクラスメイトを壁に寄りかかるように座らせた後、僕は小町、萬、猿渡、日比の顔を順に見渡した。

 「これから僕は小町を連れて安全な場所まで退避しようと思う。みんなはどうする?」

 「みんな……?」

 小町が教室のいたるところに倒れているクラスメイトを見て呟いた。

 「あぁ、生き残ったみんなだ」

 僕の言葉の意味に気づいた小町が言葉を失う。しかし今はそんなことを気にしている余裕がなかった。

 僕は再度3人のクラスメイトを順に見渡す。

 「僕らと一緒に来る奴はいるか?」

 3人のうち萬と日比がおずおずと手を上げた。猿渡を見ると、弱々しく首を横に振った。

 「私はここで待つわ。佐々丹くんと一緒に行くのが安全とは限らないし」

 「解った。無理強いはしない。助けを呼んでくるから、それまで無事でいてくれ」

 比較的に軽傷の日比に小町が肩を貸し、立ち上がることすら出来なかった萬を僕がおぶる。教室を出るとき「気を付けてね」と猿渡が声をかけてくれた

 教室を出て階段付近まで来ると、そこには異様な光景が広がっていた。階段脇に高めに備え付けられた窓が、大きく開け放たれている。窓の下には踏み台にしたと思われる机。窓の外は……見たくない。階段から下を見渡すと、踊り場には倒れたまま微動だにしない人影がいくつもあった。

 「小町、僕の後ろについて、足元だけ見てろ」

 「う、うん」

 小町が僕の言うことに素直に従う。ひかりが僕の背中にぴたりとついてくるのを確認しながら、ゆっくりと階段に向かって歩き出す。

 「小町、段差に気を付けろよ」

 そう言ってゆっくりゆっくりと一段一段と階段を下る。階段脇に座り込んだ生徒が助けを求めて手を伸ばしてくるが、目を合わせないようにして歩を進める。しかし、小町の歩みが止まってしまった。

 「志騎、この人……」

 「あぁ、後で助けに来ないとな」

 「でも……」

 「――っ僕だって助けたいんだよ!!」

 つい大声で怒鳴ってしまう。怒鳴ったって何も良いことが無いと解っているはずなのに、気持ちを抑えられなかった。

 「……大声出して、ゴメン」

 背中越しに小町に謝るが、小町の表情は見えない。ふと背中に何かが押し付けられる。それはたぶん小町の頭だった。慣れ親しんだ高さ。慣れ親しんだ感触。

 「絶対に、あとで助けに来よう」

 そう伝えると、小町が何かを答える前に、壁が崩れて何か巨大な金属の塊が突っ込んできた。ライトグレーとカーキで構成されたそれは校庭に居たロボットの腕だった。腕が壁から引き抜かれると、ぽっかりと空いた外壁の穴からロボットがこちらを覗き込んでいた。

 「――100合炊きっ!」

 何処からともなく現れたひかりが、光り輝く大きな炊飯器でロボットの頭部を殴りつける。ロボットは大きくよろめいて地面に倒れこむ。

 「志騎、早く逃げて!」

 外から聞こえるひかりの言葉で我に返る。

 「急ぐぞ!」

 小町の手を取って、急いで校舎の外まで逃げ出す。逃げ出す途中、半ば引きずる様になってしまったが、萬と日比も無事だった。

 校庭ではひかりが大きな炊飯器を振り回してロボットと戦い続けていた。戦いが素人の僕が見ても判るくらい明らかな苦戦。

 僕がひかりにしてあげられることは何かないか。そんな考えが頭をよぎるが、すぐに頭の中から追い出した。今の僕には他にすべきことがあるだろう。小町と2人のクラスメイトを連れてロボットから離れるように移動する。

 裏門まで辿り着くと、小町と僕は担いでいたクラスメイトを下した。ここも決して安全とは言い難いが校庭近くにいるよりは幾分も安全だろう。僕が踵を返して校舎へ戻ろうとすると、小町が驚いた声をあげる。

 「待って、志騎! どこに行くんですか?」

 「逃げ遅れた人を連れてくる。絶対に後で助けに行くって言ったろ」

 僕の言葉を聞いた小町が半ばヒステリックに叫ぶ。

 「駄目です! いま助けに行くのは危険です!」

 「でも、いま助けに行かなきゃ手遅れになる!」

 「約束したのに!」

 小町が大粒の涙を流しながら僕に訴える。

 「危険なことには関わらないって約束したのに!!」

 その様子を見て僕は小町がどれだけ追い詰められた精神状況に置かれているのかを察する。おかしな話だけれど、いつもの小町ならスタンガンと注射器を取り出す場面だろうに、今は泣きじゃくるばかりだ。余裕が全くない程に追い詰められているのだろう。……まぁ、そりゃ、そうか。僕の両親の命を奪った強盗よりも、もっととてつもなく危険な相手が襲い掛かって来ているんだしな。

 僕は小町を落ち着けるように、ゆっくりと笑顔で語りかける。

 「大丈夫だよ、危険なことはしない。あのロボットは炊飯器を持ったヒーローが引きつけてくれているし、もうそろそろ自衛隊だって助けに来てくれるだろうから、何も心配することは無いよ。僕は無理しない範囲で頑張るさ」

 そう告げると僕は振り返らずに校舎へと走る。


 校舎へ向かう途中、ひかりの戦闘を横目で確認する。防戦一方でのひかりを見て、あまり時間に余裕がないことを悟る。ふとロボットが腕を斜め上に掲げた。その腕の先から何かが伸びる。あれは……銃身? 続けて数度の轟音が鳴り響く。次の瞬間、上空で大きな爆発が起こる。何かを打ち落とした……? 戦闘機か、ミサイルだろうか。答えはすぐに判った。前者だ。ロボットの攻撃を受けた戦闘機の内1機が、爆散は免れたものの片翼を失ったままこちらへ向かって落ちてくる。そして、校舎へ突っ込んだかと思うと爆散する。武装を抱えたまま墜落したのか、続けていくつもの爆発が起きる。それらの爆発を受けて土台となる部分を失った校舎は崩壊を始めた。

 崩落する校舎を見て呆然としていると、ロボットの攻撃を受けたひかりが僕の近くまで吹き飛ばされてきた。

 僕に気づいたひかりが驚いた顔をする。

 「なんで戻ってきたの、キミ達は!!」

 キミ達……? 僕が振り返ると、そこには小町が立っていた。ボロボロと涙を流したまま僕の顔を見つめている。

 「危ない、避けて!」

 ひかりの悲痛な声が耳に届いた。ロボットを見るとこちらへ腕を向けている。先ほど戦闘機を打ち落とした兵器ではなく、校舎を掃射した兵器のようだ。米兵器ではないとはいえ、生身で受ければ無痛であの世に旅立てるような兵器だ。小町をかばうように抱きしめる。僕が盾になったところで何の意味もないと分かっていたが、何もせずにはいられなかった。

 そして、断続的な発砲音が僕らを襲う。しかし、急に僕らをドーム状の光が覆ったかと思うと、雨のように降り注ぐ弾丸を弾いた。

 「汚い手で小町に触れてんじゃねぇゴリ!」

 いつのまにかゴリラが小町と僕を守る様に立っていた。不思議そうに周囲を見渡していた僕に、ゴリラが右腕を覆う巨大なガントレットのような兵器を持ち上げて見せた。

 「軍から横流しされた試作米兵器ゴリ。このぐらいの攻撃ならバリアで耐え凌げるらしいウホッ。……で、せっかく人が気持ちよくぐっすりと眠ってたのに、この騒ぎは何ゴリか?」

 ゴリラは、僕の腕の中でブルブルと震える小町を見ると、恐ろしい形相になる。ロボットを睨みつけてドスをきかせた声を響かせる。

 「ひとまずアイツをぶっ殺してから、ゆっくりと聞かせてもらうウホッ!」

 ゴリラが右腕を覆う兵器をロボットへ向けると、兵器から伸びた太い銃身が回転を始めた。どうやらガトリングガンを元に造られた米兵器のようだ。何かが震えているような音がした途端に、ロボットが数歩分後ろに弾き飛ばされた。米兵器にしては小さな音のように思えたが、威力は絶大らしくロボットが初めて防御に徹する。

 「ちっ、弾と米がいくら有っても足りねぇゴリな」

 ガトリングガンの射撃を小刻みに休ませつつゴリラが吐き捨てた。

 「ねぇ、ゴリラさん!」

 ゴリラの傍まで駆け寄ってきたひかりがゴリラに声をかける。

 「あと300秒、奴を釘付けにできる?」

 「あぁ!? なんでテメェの指図を聞かなきゃなんねぇウホッ!」

 「お願い、みんなを助けるためなの」

 ひかりが必死に頼み込む姿を見て、ゴリラが忌々しそうな顔をする。

 「……ちっ、300秒だな、それ以上は無理だからな! ウホッ! ウホッ!! ウホッ!!!!」

 ゴリラは空いている左腕で胸を叩いて自分を鼓舞し始めた。

 「ありがとう。米を粗末にする人は許せないけど、米で人を守る今の君はカッコいいよ。尊敬する」

 ひかりが大きく深呼吸する。

 「――100合炊きっ!」

 ひかりの持つ炊飯器が輝きを取り戻す。

 「圧力釜モード起動。10倍圧縮」

 ひかりがそう呟くと、炊飯器が小さくなるが、逆に輝きは増した。

 「10倍圧縮完了。20倍圧縮……完了」

 炊飯器が徐々に小さくなるが、輝きはどんどんと増していく。

 「100倍圧縮完了! 続けてリミッター解除。200合炊き……300合炊き」

 通常サイズまで小さくなった炊飯器がひかりの声に呼応するように再度大きさを増し、目を開けていられない程に輝く。

 「――10000合炊きっ!!!!」

 煌々と光り輝くドラム缶サイズの炊飯器をもってひかりがロボットに向かって駆け出す。ゴリラの攻撃に足止めされて身動きが取れないロボットにひかりが肉薄する。

 「当社比100万倍の威力をくらえええぇぇっ!!」

 ゴリラの攻撃よりもひかりの攻撃の方が脅威だと判断したのか、ロボットがひかりの攻撃を咄嗟にガードするが、そんなものお構いなしに炊飯器がロボットを叩き潰す。叩き付けた炊飯器の威力に地面が割れる。崩れた足場に埋もれて半ば地面に埋まったロボットは沈黙した。

 ひかりの持つ炊飯器が輝きを失い、いつもの大きさに戻る。ひかりの方も力を使い果たしたのか、その場にぺたんと座り込んだ。こちらを見て高らかに拳を突き上げるひかり。

 「なんとか、勝てたよ~!」

 そう弱々しく笑ったひかりの後ろでロボットが起き上がる。ひかりもロボットの復活に気付いたが、立ち上がることすら出来ないようだった。

 「なんで……機能停止しているのは確認したのに。まさか、自己修復できるっていうの……?」

 ロボットに蹴り飛ばされるひかり。そちらに気を取られた瞬間にロボットはこちらへ向き直り、米兵器を打ち込んできた。

 「これはっ……防ぎきれないゴリ!」

 僕らを覆う光のドームが米兵器を受けて霧散し、小町とゴリラ、僕は吹き飛ばされた。

 地面に叩き付けられた衝撃で息が止まる。しかし、運よく気絶までには至らない。僕はよろよろと立ち上がって周囲を見渡す。

 ひかりもゴリラも意識はあるようだが、立ち上がることすらできないようだ。それは小町も同様だった。どうやら動けるのは僕だけのようだ。

 ロボットは先ほどの場所から動かずにじっとしている。ひかりの予想が正しいのであれば自己修復の最中なのかもしれない。

 「志騎……、逃げ、て……」

 小町の消え入りそうな声が聞こえた。彼女はうつ伏せで倒れたまま顔を上げてこちらを見ていた。

 「何言ってんだよ、みんなを置いていける訳ないだろ」

 「お願い……、志騎。私……、志騎に何かあったら……すごく悲しい、よ……」

 悲しい……? 何言ってるんだよ、僕がここで逃げたらみんなは死ぬ。死んだら悲しむことだってできないじゃないか。

 僕にできることを考えてみる。僕に何ができるっていうんだ。僕にはひかりのような強さもない。ゴリラのような米兵器を持っている訳でもない。いったい僕に何があるっていうんだ。……思わず笑いがこみ上げる。何だ、たくさんあるじゃないか。

 ロボットに向かって一歩を踏み出す。

 僕には守るべきものがある。僕には守るべき人がいる。逃げられない理由がある。戦う意思がある。負けられない想いがある。そして、固い決意がある。

 ――Rice steamer stands by.

 ヒーロー変身ウォッチから機械音声が流れた。そうか、オマエも力を貸してくれるか。僕は駆け出す。

 「志騎!!」

 「約束破ってゴメン、小町。……でも、小町が死ぬのは僕が嫌なんだ!!」

 「志騎の……志騎のウソつき!!」

 何と罵られようと僕は止まらない。

 ヒーロー変身ウォッチが変身時間の入力を促す。博士に聞いたことを思い返す。たしか短期戦なら30分、長期戦なら60分をセットしろと言っていた。変身時間と身体能力は反比例するらしく、30分より短くすると身体能力に僕の体が追いつかず死に至る可能性もあり、60分より長くすると身体能力不足が否めないとかなんとか。……だったら、変身時間は決まっている。

 「炊飯タイマーセット、5分!」

 Accept. We just can't stop steaming rice!

 ひかりの怒鳴り声が僕の背中に届く。

 「5分なんて危険だ! 死ぬ気なの!?」

 「死ぬ気だよ! 死ぬ気じゃないとみんなを守れない!」

 僕がロボットの目の前に辿り着く。自己修復を終えたであろうロボットが立ち上がる。

 「――変身っ!!」

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