第2話:米を知れっ!

 霊長目ヒト科ゴリラ属が女子学生の制服を着て転校してくるなんて、どんな悪夢だ?

 「あら、あなた様は」

 麗華と名乗るゴリラが口に手を当てて、驚いた風に声を挙げる。その様子を見た担任教師が続ける。

 「おふたりはお知り合いなのですか?」

 「はい、縁ありまして、彼にはあられもない姿をお見せしてしまったことが」

 あられもない姿というか、米と銃の闇取引現場をな。そう指摘してやりたかったが、この場で迂闊な事は口に出せない。もしクラスメイトと担任教師に闇取引の事実を伝えれば、ゴリラが口封じのために皆を手にかける可能性だってある。唇を噛みしめてゴリラを睨みつけるが、ゴリラは不敵に笑うだけだった。

 「あられもない姿ですか。女子高生の裸なら先生も見たいので、次の機会には連絡をください。それでは、西園寺さんの席は佐々丹くんの後の席にしましょう」

 担任教師の急な提案に僕は驚いた。僕の後ろの席に座っていたクラスメイトも、さっそく荷物をまとめて席の移動を開始している。

 「先生、なんで僕の後ろの席なんですか!」

 僕が抗議の声を挙げると、担任教師はさも当たり前といった風に答える。

 「西園寺さんも知り合いの近くの方が不安がないでしょうし、あられもない姿になりやすいでしょう。事の際には、くれぐれも先生に連絡を忘れないでくださいね」

 担任教師の発言に続けて、もともと僕の後ろに座っていたクラスメイトも「俺にも連絡ヨロシク!」と親指を立てて見せた。こいつら、話にならない。

 しゃなりしゃなりと歩くゴリラが近づいてくる。僕の隣まで来るとゴリラは顔を寄せて小さな声で呟き始めた。

 「改めてよろしくお願いいたします」

 「……オマエ、雌だったんだな」

 「あら、心外ですわ。スカートを身に着けているではありませんか」

 丁寧な言葉を選んではいるが、ゴリラの言葉には殺意がこもっていた。

 横目で小町を見ると不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいた。なにデレデレしてんのよ、志騎のスケベ……とでも言いたそうな顔をしているけれど、もし小町の目にそう映っているのならば早急に良い眼科を探してあげなくてはいけない。

 ゴリラが顔を離すと周囲に聞こえる声で「佐々丹さまには、のちほど学校を案内していただけると助かります」と微笑んだ。そして、僕だけに聞こえるように「人目が少なくて死体処理がしやすい場所を教えてもらえると助かるウホ」と付け加える。心臓が凍りつくのを感じる。

 じいちゃん、やっぱり米に関わるとロクなことがないよ。


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 昼休み。僕はゴリラに脅されて体育館の裏へ連れてこられた。残念ながら辺りに人影はない。

 空は晴天だが、僕の心には暗雲が立ち込めている。僕の背中に押し当てられた銃口。ゴリラが指先に力を籠めるだけで僕の人生が終わってしまう絶体絶命の状況。頭をフル回転させて起死回生の方法を模索する。

 「言い残すことがあれば聞いておいてやるウホ」

 銃口が後頭部へと移動する。空気が張りつめる。生き残るためのアイデアは未だ思いつかない。何とか時間稼ぎをしないと……。

 「そうだな、だったら――」

 「そろそろ死ぬウホ」

 「聞く気ないな、オマエ!」

 こうなったら一か八か反撃に出るしかない。息を吐きだして覚悟を決める。少しだけ体に力が湧いてきた気がする。

 銃口から身体を離すように真横へ一歩踏み出す。踏み出した足が地面に接するのと同時に、身体を反転させて拳銃を弾くように腕を振り上げた。しかし、ゴリラは余裕の笑みを浮かべながら、僕の手の届かないところまで身体を引いていた。体重を乗せて放った拳が空を切る。バランスを崩した僕の脇腹をゴリラが蹴り飛ばす。身体をくの字に曲げた格好のまま地面を転がる。転がる勢いが弱まったところで何とか身体を起こすと、銃口が僕の身体の中心を向いていた。……まぁ、そんな上手くいかないよな。ここで僕の人生は終わりかな。

 その瞬間、視界の端に人影が飛び込んでくる。

 「――3合炊きっ!」

 光りきらめく炊飯器を振り下ろして、ゴリラの持つ拳銃を叩き落す乱入者。透き通るように曇りのない声。日の光に照らされ青く輝く長い髪。まぎれもなく昨日であった炊飯器娘だった。炊飯器娘はゴリラへ向き直って、炊飯器を構える。

 「お米を粗末にする人――ゴリラは許さない!」

 拳銃を叩き落された腕を押えたゴリラは、顔を歪めながらも炊飯器娘を睨みつけていた。スカートの裾をめくりあげたかと思うと、太ももに着けたガンホルダーから拳銃を引き抜いて炊飯器娘に照準を合わせる。続けて甲高い破裂音が3回だけ鳴り響いた。4回目の破裂音が鳴る前に炊飯器娘がゴリラの腕を打ち払って拳銃を弾き飛ばす。間髪をいれずゴリラが殴りかかるが、炊飯器娘は攻撃を軽くいなしながら素早く足を払ってゴリラを転倒させた。倒れこんだゴリラを見下ろす炊飯器娘。

 「もう一度お仕置きが必要みたいだね」

 炊飯器を持った腕を頭上に掲げる。

 「100合――」

 「やめてください!!」

 僕の後方から不意に挙げられた大声。炊飯器娘が動きを止め、声の主へ目を向けた。炊飯器娘の視線を追う様に僕が振り返ると、そこには小町が立っていた。なんでこんなところに!

 「小町、来るな!」

 「嫌です」

 制止に構わず小町は僕の近くまで駆け寄り、服が汚れるのも構わずに屈んだ。僕の姿を見て小町がかすかに涙ぐむ。

 「小町、ここは危ないから――」

 「だったら、なおさら志騎を置いていけません!」

 小町が涙をぬぐって立ちあがる。ゴリラに目配せした後、険しい目つきになった小町は炊飯器娘の目の前まで歩み寄る。

 「こんなことをして恥ずかしくないんですか!」

 「え? え? なに? どうしたの?」

 小町の剣幕に、炊飯器娘が目を丸くする。

 「志騎や西園寺さんをこんなにしておいて、とぼけるんですか? その振り上げた鈍器をどう説明するつもりですか?」

 小町のやつ、まさか僕に怪我をさせたのが炊飯器娘だと勘違いしているのか。炊飯器娘が驚いて弁解しようとするが、小町は耳を傾けない。回り込むようにしてゴリラの前に立った小町は、両手を広げて眼前の炊飯器娘を真正面から見つめている。どうやら炊飯器娘からゴリラを守っているつもりらしい。

 ゴリラを守る必要なんて無い、早く離れろ! そう僕が叫ぶよりも先にゴリラが動いた。小町を羽交い絞めにしたゴリラは小ぶりのナイフを小町の喉に突きつけた。

 「どうやら形勢逆転ゴリね。その物騒な物を下すウホ」

 炊飯器娘が苛立たしそうな顔をして、静かに炊飯器を持つ腕をゆっくりと下した。突然に現れた小町が場を乱した挙句に、ゴリラに形勢逆転されたんだ。心中おだやかなはずがない。

 一触即発。緊張と焦りが漂う中、指先ひとつの動きも見逃すまいと気を張りつめる。炊飯器娘もゴリラも、そして僕も。ただひとり、小町だけが優しい顔で微笑んでいた。そして柔らかい口調で話し出す。

 「西園寺さん」

 「黙るウホッ!」

 「大丈夫ですよ。こんなことをしなくても、私が西園寺さんを必ず守ります」

 その言葉に驚いた。僕だけじゃなくて、ここにいる小町以外の全員が。ゴリラがみんなの気持ちを代弁するように口を開く。

 「オマエ……、置かれている状況が分かっているゴリか?」

 「はい、もちろん」

 ナイフを持つゴリラの手に、小町が手を重ねる。ゴリラの心を落ち着かせるように。

 「友達の西園寺さんが暴力を振るわれていたので、黙ってみていられませんでした」

 「……オマエと友達になった覚えはないゴリ」

 「じゃあ、いま友達になりましょう。それで良いですか?」

 ゴリラが困っているような照れているような不思議な顔をして小町を見つめていた。終始おだやかに話す小町につられたのか、ゴリラの焦りが消えて緊張が解けていくのが見て取れる。やがてゴリラはナイフを投げ捨てて小町の拘束を解いた。大きくため息を吐く。

 「……白けたウホ。あとは勝手にするゴリ」

 僕らに背を向けてゴリラが、僕らを気にもせず無防備に歩き始める。

 「保健室いかないと。待って、西園寺さん!」

 小町が慌てたようにゴリラの背中へ声をかけると、僕の方へ振り向いて手を差し出した。「ほら、志騎も」と僕の手を掴むと強引に手を引いた。

 「僕は大丈夫だって」

 そういって手を振りほどくと、小町は悲しそうな顔をした。胸がちくりと痛んだが、保健室に連れていかれて怪我だらけで包帯だらけの身体を見せる訳にはいかない。

 小町がポケットからスタンガンと注射器を取り出したので、僕は小町の両手を掴んで押さえつける。いつも通りのことなのだが、一応は彼女の言い分を聞くことにした。

 「何をしようとしたんだ、小町?」

 「志騎をスタンガンで無力化した後に、注射器で仮死状態にしてから保健室に運ぼうとしただけですよ」

 思わずため息が漏れる。

 「本当に僕は大丈夫なんだってば」

 「でも……」

 小町が横目で炊飯器娘を見る。まだ炊飯器娘が僕に怪我をさせたのだと疑っているようだ。

 「僕の怪我に彼女は関係ないよ。僕が勝手にコケただけなんだよ。だから本当に大丈夫だって」

 ゴリラに蹴られた箇所に走る激痛で冷汗が流れるが、心配をかけないように平然と言ってのける。

 小町は不服そうに僕の顔をじっと見つめるが、諦めた様にスタンガンと注射器をしまい込み、遠ざかるゴリラの後を追う。何度もちらちらとこちらを振り返るので、その都度に手を振って返してやった。やがてゴリラも小町も居なくなった。

 「ねぇ、……あの子、ゴリラとふたりきりにしちゃって大丈夫だったの?」

 炊飯器娘が少し不安そうにしながら僕に尋ねた。

 「たぶんね。あのゴリラ、そこまで悪いやつじゃなさそうだし」

 「ふ~ん。キミ、おかしな人だね。二日連続で殺されそうになっておいて、よくそんなことが言えるね」

 炊飯器娘が呆れた顔で僕の顔を見る。なんだかんだ言いながらも小町や僕の意志を尊重してくれるらしい。

 僕は炊飯器娘に右手を差し出した。

 「ありがとう。キミが来てくれなかったら危なかったよ」

 炊飯器娘は少しだけ微笑むと、握手に応じてくれた。

 「どういたしまして」

 彼女の笑顔を見て少しだけ安心すると、僕の腹がグゥと鳴った。その様子に炊飯器娘が噴き出して笑う。

 「君はいつもおなかを空かせているの?」

 涙を浮かべて笑う炊飯器娘が、蓋を開けた炊飯器と箸を僕に手渡す。

 「どうぞ。食べるでしょ?」

 僕は頷くと、炊飯器に箸を突っ込む。つやつやと白く光り輝く粒々を頬張ると、口の中で粘り気のある粒がほろほろと分かれて、口の中いっぱいにいく。噛むほどに広がる甘味。箸が止まらなくなる。

 「美味しい?」

 炊飯器娘がにこにこと笑う。僕がもぐもぐと口を動かしながら何度も頷くと、とても嬉しそうに笑って僕の食事を眺めた。

 「もちろん、美味しいよ。でもそれだけじゃなくて、食べれば食べるほど怪我の痛みまで和らいでいくなんて、すごいよ!」

 「あ~、それはプラシーボ効果なんじゃないかなぁ……」

 炊飯器娘が困ったように笑う。プラシーボ効果ということは、僕の感じている鎮痛効果は思い込みってことらしい。痛みを忘れてしまうほどの美味さだということに改めて衝撃を受ける。

 僕は最後の一粒まで平らげると、箸と空になった炊飯器を炊飯器娘に返す。

 「ごちそうさま」

 「おそまつさまでした」

 炊飯器娘は上機嫌に鼻歌を歌いながら箸を片付ける。

 「さてと、私もそろそろ自分の用事を済ませないとね」

 そういうと炊飯器娘は、ゴリラが捨てていったナイフや拳銃を拾い始めた。

 「キミの用事って?」

 弾き飛ばした拳銃を探して茂みをかき分ける炊飯器娘に問いかける。

 「う~ん、探し物……かなぁ?」

 2丁目の拳銃を拾い上げた少女がこちらを振り向く。

 「ねぇ、キミ、ブリスオブリスって知ってる?」

 ブリスオブリス? 聞いたこともない単語だった。

 「ゴメン、聞いたこともないや」

 「そっかぁ。この街にあるって聞いていたんだけど、やっぱりそう簡単には見つからないよね」

 「ブリスオブリスって何なの?」

 炊飯器娘は頬に手を当てて少し考えてから答える。

 「米兵器の親玉……かな? 私はブリスオブリスを破壊して、この世界から米兵器を撲滅したいんだ」

 米兵器を撲滅……? 耳を疑った。それは長年に渡って政治家が実現しようとしているにも関わらず、実現できていないことだった。ブリスオブリスというものを破壊することで、米兵器の撲滅が可能だというのだろうか。日々数えきれない程の尊い命が米兵器によって奪われている現代において、米兵器を撲滅するということは数万数億の命を救うということに等しい。

 「キミはヒーローなんだね」

 僕は感じたことをそのまま口にして称賛するが、炊飯器娘は浮かない顔をする。

 「……それは、違う、かなぁ」

 歯切れの悪い言葉に後ろめたいものがあることを感じて、それ以上その話題は続けなかった。炊飯器娘はさして気にした様子もなく、ゴリラが置いていった1本のナイフと2丁の拳銃を丹念に見比べていた。

 「う~ん、どれも外れかぁ。確かに反応はあったんだけどなぁ」

 炊飯器娘は顔を上げると、片方の銃を僕に差し出した。

 「はい、キミにあげる。米兵器じゃないけど扱いには注意してよ」

 急で非常識な申し出に僕は驚いた。

 「いらないよ、こんなの」

 慌てて断るものの、炊飯器娘は不思議そうに首を傾げた。

 「でも、必要でしょ? キミがまたゴリラに襲われた時に私が助けに来れるとは限らないし、身を守る武器は有った方が良いんじゃない?」

 その言葉に現実を突き付けられた。確かに僕の置かれている状況を考えれば武器のひとつは持っておいた方が良いのかもしれない。でも、人を傷つけるための道具を手にすることに抵抗を感じざるを得なかった。

 僕は頑なに拳銃を受け取らなかったが、炊飯器娘はいらだった様子も見せず優しい声で言葉を続ける。

 「……武器は嫌い?」

 「好きな奴なんているもんか」

 「そっか。じゃあ仕方がないね」

 拳銃をしまう炊飯器娘。

 申し訳ないと思いながらも拳銃を受け取ることができなかった自分を責める。しかし、炊飯器娘は僕のことを一切責める様子もなく、微笑んだ。

 「それじゃ、ウチに行こうか」

 炊飯器娘が突然意味の分からないことを言い出した。何故この話の流れでそんなことになるんだ。

 「は? へ? なんで?」

 頭の中で大量発生した疑問符を処理できずに慌てふためく僕。

 「武器は嫌いでも、身を守る道具なら大丈夫でしょ? 博士に良い道具がないか聞いてみようよ」

 僕が答える間もなく、炊飯器娘は僕を脇に抱えて駆け出した。


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 「……で、彼を連れてきてしまったのか。ひかり」

 「すみません、反省してます」

 白衣を着た初老の男性に説教されて、炊飯器娘が正座をしたまま項垂れる。どうやら炊飯器娘の名前はひかりと言うらしい。

 僕が連れてこられたのは、郊外にある廃ビルの地下。建物の外見とは異なり内装は整備が行き届いており、近未来的な機械が所狭しと並んでいた。ここはひかりの自宅兼ブリスオブリス破壊活動本部の秘密基地ということらしい。……その秘密基地とやらに勝手に部外者を連れてきたのだからひかりが説教されるのは当然のことのように思えた。

 「すみません、僕が断ればよかったのに」

 初老の男性にひかりの行動について弁解する。本当は断る間もなく無理やり連れてこられたのだが、そのことは伏せた。

 「いや、キミのせいではない。ひかりがよく考えもせずに単純で直情的に行動するのが悪いのだ。まぁ、阿呆だからこそ扱いやすいのだがのう」

 「ひどいですよ、博士~」

 ひかりはアホ扱いされて不服そうに頬を膨らませるが、博士は意にも介せず僕の方を見る。

 「さて、志騎くんと言ったかのう。ひかりは置いといてキミの話を聞こうか」

 そういうと博士は近くにあった椅子に腰をかけて、僕にも椅子を勧めた。

 僕は自分がいま置かれている状況や知り得た情報を博士に説明する。

 「なるほどのう。キミの状況は理解したが、ひとつキミの認識を訂正しておこう」

 博士は僕の瞳を覗き込むようにした後、僕に言い聞かせるように言葉を続ける。

 「ワシ達はブリスオブリスを破壊し、米兵器を滅しようとしておる。しかし、それはヒーローの所業ではない。世間一般の認識で言えばワシ達はテロリストと呼ばれるのが正しいのう」

 僕の命を2度も救ってくれたひかりがテロリスト……? 命の恩人をテロリスト扱いされた所為か、どこか苛立ちを感じる。

 「何故テロリストと呼ばれなければならないのでしょうか? 米兵器を撲滅しようとしているのであれば立派な正義だと思うのですが」

 「なるほど、キミには先ずブリスオブリスが何たるかを説明せねばならんのう」

 博士が手元のタブレットを指で叩くと、僕らの目の前にスクリーンが現れた。博士がタブレットに指を走らせると、スクリーンに文字が書き込まれていく。

 「キミは、自動車や飛行機が何を動力として動いているか知っているかのう?」

 「電気、ですよね」

 「ふむ、正解じゃ。では、電気はどのようにして作られている?」

 授業で習った内容を思い出しながら僕は答える。

 「火力や風力、水力、太陽光、バイオマス、地熱、圧力、地軸など、現在の発電方法は多岐にわたります」

 僕の回答した発電方法がスクリーンに表示される。

 「ほほう、なかなか勉強しとるようじゃの。しかし、不正解と言わざるを得ん。政府は公にしておらんが、この世界で使用される電力の実に9割以上が米から作られておる」

 博士はスクリーンに大きくバツを描くと、隣に米と書いた。

 「電力だけではない。石油、石炭、化学燃料などのエネルギーも全て米にとって変わられているといっても過言ではない。それに現代医療にかかせぬメディカルライトなどは米からしか生み出せない代替不可なエネルギーじゃ」

 淡々しながら何処か重い雰囲気をまとった言葉で進められる説明に、僕の心は締め付けられた。人を殺すための道具である米から生み出されるエネルギーが、人の生活を根底から支えている。そんな荒唐無稽な理論は、スクリーンに次々と映し出される資料で裏付けされてしまう。

 「米からそれらのエネルギー転換を可能にしているのがブリスオブリスという訳じゃ。そして、米兵器のエネルギー源も同じくブリスオブリスじゃ」

 博士は一呼吸おいてから言葉を続ける。

 「つまり、ブリスオブリスを破壊するということは、米兵器を世界から撲滅する行為でありながら、同時に世界から文明をも排除する行為にも等しいということだのう」

 思わず息を飲む。いつの間にか僕の喉はからからになっていた。

 「志騎くんはエネルギーの無い生活を想像したことがあるかのう? 例えば、住居の貯水タンクが底をつけば水道が止まり飲み水にも困るようになるじゃろう。食料は冷蔵・冷凍保存ができなくなり、あっという間に食料は底をつくじゃろう。水や食料を求めて移動しようにも移動手段は人力のみじゃ。運よく水や食料を見付けられたとしても、奪い合いが発生するじゃろうのう。もちろん医療設備も使い物にならなくなるじゃろうし、下水処理もできなくなり病原菌も蔓延するじゃろう。どうじゃ、これでもワシ達がヒーローじゃと言えるかのう?」

 エネルギーの無い生活なんて考えたこともなかった。少し考えただけでも、博士の例え話がほんの一部でしかない事に気づく。テレビやラジオ、インターネットなどが止まってしまえば情報伝播も行えなくなるし、火すらまともに扱えなくなる。エネルギー無しで生きるノウハウがない現代社会の人間にとって、それは原始時代に逆戻りしてしまうことのように感じた。

 「……何故そんなに恐ろしいことだと解っていながらブリスオブリスを破壊しようとするんでしょうか?」

 僕が恐る恐る博士に尋ねると、博士は狂気を感じる笑顔を浮かべた。

 「もちろん、薄汚れた現代の人類に鉄槌を下すためさ」

 「嘘ですよね、それ。信じられません」

 即答で返すと博士はハトが豆鉄砲を食らったような顔をする。僕は冗談が聞きたいんじゃない。

 「信じないというか、信じられません。彼女が誰かを困らせるためだけに行動できるとはとても思えません」

 そう言いながらひかりの様子を確認すると、ひかりはうとうとと居眠りをしていた。

 「なるほどのう。あまり論理的とは言えんが悪くない解法じゃの」

 博士は楽しそうに笑うと、少しだけ態度を柔らかくした。

 「実を言うと、この場所を知られたからにはキミを返す訳にはいかんと考えておったんじゃが、その必要はなさそうじゃの。志騎くんはひかりを十分に信用しているようじゃし、ワシ達もキミを信用せねばならんのう」

 博士がさらりと怖いことを言ってのける。背筋に冷たいものが走るが、もう心配しなくても良いんだよね……? 気を取り直して博士に再度の質問をぶつけることにした。

 「ブリスオブリスを破壊しようとしている本当の理由を教えてください」

 「良いじゃろう。しかし、理由を説明する前に、すこし歴史の話をせねばなるまい」

 目の前のスクリーンに1枚の写真が表示される。いくつかの金具が飛び出した黒い小さな箱のような物が写っていた。

 「事の始まりは、いまから百年以上も前の話じゃ。世界各国にひとつのデバイスが送られてきた。送付元は不明。付属されたマニュアルには『これは米からエネルギーを生み出す装置である』と書かれておったらしい」

 写真をまじまじと見つめる。こんな小さなデバイスが米からエネルギーを生み出すとはとても信じられないが、博士が冗談を言っているとは思えない。

 「米を与えるだけで、デバイスから汎用性の高いエネルギーが膨大にあふれ出る。各国が抱えるエネルギー問題は全てが即座に解決した。地球温暖化などの環境問題を生み出さないクリーンで安価なエネルギー。まさに夢のような話じゃよ」

 「このデバイスがこの国でも使われているということでしょうか?」

 僕が疑問を口にすると、博士が頷いた。

 「政府がこのデバイスのことを公にしていない理由が判りません。博士の話を伺う限り隠さなければならない理由があるようには思えないのですが」

 「公にされない理由はふたつある」

 ひとつ咳ばらいをしてから博士が話を続ける。

 「ひとつめの理由は、デバイスがブラックボックスであることじゃ。デバイス自体の複製は容易だったものの、何故デバイスが米からエネルギーを生み出せるのか、つい最近まで全く分かっていなかったのじゃ。自国のエネルギー事情がそんな訳の分からない物に依存しているなどと国民には説明できんじゃろう?」

 「だったらそんなデバイス使わなければ良いじゃないですか?」

 「それは裕福な者の考え方じゃのう。経済的な事情から十分なエネルギーを得ることができんかった国々からしてみれば、デバイスはリスクを負ってでも使用する価値のある魔法の機械じゃった。デバイスは貧困な国を中心として実用化され始め、それらの国々は潤沢なエネルギーを使って急成長を遂げ始めたのじゃよ」

 博士がとある国の経済成長を現したグラフをスクリーンに映し出す。確かにある年を境として異常ともいえる成長をしていることが見て取れた。

 「すると、周囲の国は焦る訳じゃの。あの国に負けてなるものか、と。そして、周囲の国々もデバイスを使い始めた。そうやってデバイスは伝播したんじゃのう。さて、この国はどうしたじゃろうか? 世界中の国々がデバイスを使って数十万円程度で潤沢なエネルギーを得ている状況で、頑なにデバイスを使わずに数十兆円にも上る燃料費を支払い続けられたじゃろうか?」

 博士はそこまで説明すると僕を指さした。

 「例えば、友人が1円で最高級ステーキを食べている隣で、志騎くんは数段ランクの落ちるステーキに何十万円を支払えるかのう?」

 僕は首を横に振った。

 「この国じゃって志騎くんと同じじゃ。周囲の国に流されてずるずるとデバイスを使い始めたんじゃよ。今やこの国だけでなく、世界中の機器にデバイスが組み込まれているといっても過言ではない」

 博士が背もたれに体重を預ける。

 「話を戻そうかのう。政府がデバイスの利用を公にしないふたつめの理由は、米の生み出すエネルギーが兵器へも転用が容易であること。一握りの米とデバイスさえあればビルのひとつやふたつ簡単に吹き飛ばせる爆弾ができてしまう。さて、もし破滅志向のテロリストが現れて、この国が年間に消費する約1千万トンの米を爆弾にしてしまったらどうなってしまうと思うかのう?」

 1千万トンという膨大な米が想像できずに回答を言いあぐねていると、博士が助け舟を出してくれる。

 「楽観的に考えても、この国は文字通り物理的に消えてなくなるじゃろうなぁ」

 「怖い例え話ですね」

 僕は引きつった笑いを浮かべる。対する博士は真面目な顔をして言葉を返す。

 「残念ながら、これは近い未来に起こるかもしれん話じゃよ」

 「博士と私はそれを防ぐためにこの町にきたんだよ」

 いつの間にか起きたひかりが熱意のこもった声で割り込んできた。博士はひかりの大声に顔をしかめながらも頷いた。

 「近年の研究でデバイスが転送装置であることが判明したんじゃ。米を送信し、エネルギーを受信する装置という訳じゃな。つまり、デバイスから送信された米を、エネルギーに変換してデバイスへ送り返してくるシステムが存在するということじゃ」

 「それが……ブリスオブリス?」

 「そう、その通りじゃ。そして、米の送信先がこの町付近であることも判明しておる。これがどういう意味か分かるかの?」

 そこで言葉をいったん区切ると、博士は声のトーンを下げて重々しく言う。

 「ブリスオブリスを手に入れて、独占しようと考える奴らがこの町に集まってきておる。もしブリスオブリスが誰かに独占されてしまえば、その者に世界の生殺与奪を思うがままにされてしまうじゃろう」

 博士が発した言葉の衝撃に、僕は呆然とすることしかできない。僕らの住むこの町で世界の命運を左右する大事件が起きているなんて全く気付いていなかった。世界が崩壊するビジョンと小町やクラスメイトを重ねて絶望的な気分になってしまう。

 僕の様子を気にしてか、ひかりが僕の背中をバンバンと叩いて元気づけてくれる。

 「心配しなくても大丈夫だよ。ブリスオブリスが誰かの手に渡る前に、私がブリスオブリスを破壊するから。この命に代えてでもね」

 ひかりが命をかける……? その言葉を聞いて僕の心が騒いだ。決意を固めると、博士の目をじっと見ながら今の気持ちを言葉にする。

 「僕にも何かできることはありませんか? 今の話を聞いて、黙って見ているだけなんてできません」

 僕の意気込みをみて、博士の目つきが少し鋭さを増す。

 「一度関われば、抜け出すことはできんぞ?」

 「はい、承知の上です」

 「……判ったわい」

 博士はしょうがないという風にため息をつくと、机の引き出しから取り出した腕時計のような物を僕に差し出した。

 「これは?」

 「ヒーロー変身ウォッチじゃ。志騎くんははこれで変身ヒーローになるが良い」

 何処からも見てもごてごてと装飾されたデジタルな腕時計に見えないそれは、ヒーロー変身ウォッチなどというふざけた名称ではあるが、おそらく米兵器だろう。

 「どうしたんじゃ? 受け取らんのか? ゴリラから身を守るにしても、ワシ達の力になるにしても、志騎くんにはこれが必要になるじゃろう?」

 米兵器、武器、人を殺すための道具。その事実を前にして、僕はそれを受け取るのを躊躇してしまう。博士はこれが僕に必要な力だというけれど、これは僕に本当に必要なものなのだろうか? 武力で戦うことを前提としてチョイスされた道具。兵器に対抗するために、こちらも兵器を使用する。それは本当に正しいことなのだろうか?

 ふと隣を見ると、ひかりが僕の顔を見て力強く頷いた。……そうか、僕がこれを受け取らなければ、ひかりは1人で戦うことになってしまうのか。僕は博士からヒーロー変身ウォッチを受け取ると左手首に着けた。

 「これがあれば僕も少しは役に立てるかな? ひかりさんが命と引き換えにブリスオブリスを破壊するなんて事にならないように僕も頑張るよ」

 僕が少し照れながら決意を口にする。しかし、ひかりは不思議そうな顔をして首を傾げてしまう。

 「? それは無理だよ?」

 「なんじゃ、ひかり、オマエ伝えておらんのか」

 博士がひかりに視線を送ると、ひかりは不服そうに頬を膨らませて反論する。

 「ちゃんと伝えましたよ~」

 話が見えない。いったい何のことをいっているのだろうか?

 博士が僕に向かって淡々と説明を始める。

 「ひかりはな、炊飯器型アンドロイド。つまり米兵器なんじゃよ」

 え、それって……。

 「ブリスオブリスを破壊すれば、ひかりは死んでしまうということじゃな」

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