第3話 水曜日

 まさか、三日連続で同じ夢の続きを見れるとは。

 リビングの床に座り、右手にテレビのリモコンを持ったまま、俺はそんなことを考えていた。

 隣りにはごく普通にまりえがいて、面白い番組やってないねーと話しかけてくる。それに対して俺は、おーと気のない返事をしていた。

 今夜の夢も、俺が仕事からこの家に帰ってくる場面から始まり、ゆるーい会話をしながらまりえと食事をとり、今はこうしてテレビを見ようかとしているところだった。

 昨日はサッカーの国際交流試合がやっていたから、二人でサッカーがよく分からないなりに、日本代表を必死で応援していたが……今日は本当にやることが無いな。

 だからと言って、まりえと過ごすこの貴重な時間にケータイいじる気にもなれないし、自分の部屋に戻るなんてもってのほかだ。

 何か、映画でも見ようかな。俺が持っているのはほとんどがアニメだけど。

 そう思って腰を上げようとした時、まりえがあ、そうだと手を叩いた。


「晴太くん、オセロしない? 確か、晴太くんの部屋にオセロがあったよね?」

「え? 確かにあるけど…何でオセロ?」

「ほら、晴太君、中学の時ボードゲーム部で、オセロが得意だったじゃない!」


 まりえの言葉通り、俺は中学生の時はボードゲーム部に所属していた。

 俺の中学では全員が部活に入ることを義務付けられていて、スポーツが得意ではなく、何かの大会を目指すほどの情熱や特技が無かった俺は、一番ゆるそうなボードゲーム部に入った。

 そこでは、ボードゲームは名前だけで、ほとんど部員は雑談や漫画を読んだりして過ごしていた。それでも時々思い出したかのように、ボードゲームの大会が行われていた。

 その大会のオセロの部では、俺は何回も優勝して、「モノクロ界の支配者」などと言われたものだった。俺はオセロを始める前に必ず、「白黒はっきり決めてやるぜぇ!」という決め台詞を言っていて……だんだん恥ずかしくなってきたから、もうこれ以上思い出すのはやめよう。

 とにかく問題は、まりえがなぜこのことを知っているのかということだ。やはり、同じ中学だったのか? しかし、まりえのことは正直記憶にない。同窓会で再会して、急に仲良くなったパターンか? いや、単純に、俺とまりえは別々の中学だったが、どんな部活に入っていたかは前に話していたことがある、という可能性もある。

 そんなことを思いあぐねている間に、まりえは俺の部屋からオセロを持ってきて、俺の向かいに座り、ボードを広げていた。

 じゃんけんでまりえが先行になり、俺たちは対戦を始めた。もちろん、あのこっぱずかしいセリフを、俺は言わなかった。ここで本気を出したらかっこ悪いと思い、彼女には手加減をしておくことにした。

 この時にもう少し、まりえのことを知るべきだと思い、さりげなく聞き出してみる。


「そういや、まりえは中学の時、何部だったけ?」

「園芸部だったよ」

「ああ、そうだった、そうだった」


 彼女の答えを聞いて、まりえらしいなと感じた。その頃からまりえは、花が好きだったんだろう。


「うちの中学、花壇が色々とすごかったからな。たくさんの花があって、一年中咲き誇っていて。育てるの、大変だったんじゃないか?」

「うん。植木鉢とか肥料とか、結構力仕事が多かったからね。でも、みんな綺麗に咲いてくれたら、そんな苦労忘れちゃうよ」


 柔らかく微笑む真理恵を見て、本当に彼女は植物が好きなんだと思った。一番好きなことを仕事に出来て、今が一番幸せなんだろう。

 それに対して俺はどうなんだ。一番行きたかった漫画雑誌の編集をする出版社に入ることが出来ずに、他にも就職活動に失敗し続けた挙句、今のスーパーの会社に滑り込むように入ることが出来た。

 企画部として、働き始めて二年目、今とある企画に大きく関わって、やっとこの仕事の楽しさややりがいを見つけた。でも、これで本当にいいのか、という悩みが、未だに付きまとっているのも確かだ。


「あ! 六個も取れた!」


 はしゃぐまりえの声に、俺ははっと我に返った。

 盤の上を見ると、まりえの指差す先に、彼女の白い駒が並んでいた。


「えーと、斜めも取れるから、これで合っているよね?」

「うん。そうそう」


 急に不安そうに俺にルールを確認するまりえを見ていると、自然と顔がほころんでいた。

 今は夢の中だから、現実のことは忘れて、素直にこの瞬間を楽しもうじゃないか。まだ、まりえのことが好きだという実感はなかったが、彼女と共に過ごす夜が俺の癒しになっていることは確かだった。


「どうする、晴太くん? 今、白が勝ってるよ?」

「よし、そろそろ本気出そうかな」


 にやにやと意地悪く笑うまりえを見て、それに応えるように俺は腕まくりをして見せた。



「また負けちゃった…」


 まりえは、ほとんど黒い駒が占めた盤を見て、しょんぼりと俯いた。これで、彼女の三連敗となってしまった。

 俺はそれを見て、苦笑を浮かべた。オセロのこととなると、集中しすぎてしまい、手加減することすら忘れてしまう。

 次は勝たせてあげようかな、と考えていると、まりえが立ち上がった。


「お? もう、あきらめるのか?」

「ちがうよ。ちょっと紅茶を飲んで、リラックスしようと思っただけ」


 キッチンへ向かうまりえを見送って、俺はオセロの並びを元に戻すことにした。

 なんだか、時間がのんびりとすぎていくように感じる。現実世界の夜は、資料を作成したり、書類をまとめたりと、いつも仕事に追われて自分の時間があまりなかった。それから、疲れ果てて泥のように眠るだけ。

 あまり楽しいと思えるような出来事が少なくなっている生活の中で、夢の世界でまりえと過ごす時間は、俺にとって心の拠り所となっていた。

 しかし、そうとは言っても、まりえと俺はあまり恋人らしいことをしたりやったりしていない。「好き」といったり、キスしたり……。俺はともかく、まりえの方からして来ないのは気恥ずかしいからだろうか? 俺たちは、同棲が長くて、ちょっとした倦怠期に入っている状態なのかもしれない。

 これでは、恋人同士というよりも、家族のような関係だ。一度だけでも、まりえに「愛してる」と言ってみよう。タイミングとかがなかなか難しいが……。

 そう決意したとき、まりえがお盆に湯気を立てた二つのティーカップを載せて持ってきた。


「はい、晴太くんの分」

「あ、サンキュ」

「どういたしまして」


 まりえはにっこりと微笑んだ。彼女の喜びが、ストレートに俺にも伝わってくる。

 まりえに対しては、素直にお礼を言うことが出来るな。まりえが何でも尽くそうとしてくれるから、感謝の気持ちが自然と湧いてくるのだろう。

 仄かな甘さの紅茶を飲んだ後、まりえは「よしっ!」と自分に気合を入れるように言った。


「次こそは勝つよ!」

「ははっ、楽しみにしてるよ」


 俺に鼻で笑われたのにもめげずに、まりえは奮闘し始めていた。俺が、「あ、ヤバい」と思えるような手を次々と打っていく。何度も対戦していくうちに、コツをつかんできたらしい。

 始めは、余裕を持っていて、わざと負けようかと思っていた俺も、だんだんと真剣になっていった。お互いに口数が少なくなってき、黙々と対戦を進めていく。

 まりえに角を取られた後、この後どこに置こうかと真剣に悩み、盤を見たまま紅茶を飲もうとした俺は、手がティーカップとぶつかった。

 「あ」と声が漏れた時、ティーカップが倒れて、そのままテーブルから落ち、ガしゃんと割れてしまった。


「うわー、やっちゃった」

「晴太君、大丈夫?」


 慌てて立ち上がったまりえに、大丈夫大丈夫と笑って見せて、ティーカップの破片を掴んだ。


「いっ!」


 指に小さな破片が、ぷすりと刺さった感覚がした。

 反射的に声が出たが、痛くもなんともない。指を見てみると、血の雫が丸くなって出てきていた。

 他人事のように、自分の指を眺めていると、バタバタとまりえが走っていく音がしていた。きっと、救急箱を取りに行ったのだろう。

 痛覚が無いことに改めて気づかされた時、ここが夢の中だということを思い知らせる。周りのものがはっきりと認識できているため、夢だということを忘れかけても仕方のないことだが、何故だか俺は大きなショックを受けていた。

 この世界でまりえといくら親密になろうとも、目が覚めたらここでの出来事とは全く関係のない日常が始まってしまう。ここで幸せや安らぎを感じても、結局は夢幻なんだ。

 急激に、泣きたくなってきた。恋人がどうこうよりも、まりえという人間が現実にはいないということが、悲しかった。

 でも、こんな風に夢に依存することは、あまりよくないことだろう。夢と現実をしっかりわきまえて、この世界とまりえと向き合うべきだ。


「晴太くん」


 揺れる声に顔を上げると、まりえが不安げな表情で救急箱を持って座っていた。


「ちょっと、手、見せて」


 俺は無言で頷き、怪我をした手をまりえに差し出した。

 まりえの両手が、俺の手を包み込む。それは温かく、柔らかく、これが夢だということを忘れさせるほど優しかった。

 まりえが、俺の傷口に消毒液を掛けたり、ばんそうこうを張ったりしているのを眺めながら、たとえこれが夢だとしても、まりえの優しさや温もりは本物だと思った。

 だとしたら、それらに俺が応えたり、身をゆだねたりしても罰は当たらないのでは? むしろ、それらに何も返さずにまりえを傷つけてしまうことが一番悪いことのように感じられる。

 まりえに対しては、これからも今までと変わらないように接していこう。そう割り切ることが出来ても、まりえに「愛してるよ」ということは、無理なサービスのような気がして、口にすることができなくなっていった。

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