血眸 ~暗澹たる日々~

雪車町地蔵

第一幕 猫と老人と着物の――

01 祖母と火葬場と白い猫

 ――彼らを襲った残酷な悲劇は、忘れ去られることがない。

 〝暗澹あんたんたる日々〟と、彼らが呼んだその出来事のすべては、むさぼられるゆえに忘れ去られることすらないのだ――


◎◎


 近衞このえ一可いっか玖契村クチギリムラにやってきたのは──母方の──祖母の葬儀に出席するためだった。

 一可は今年で26になる。対して彼の祖母、近衞美千代みちよは101歳という大長老で、親族のなかでも飛び抜けて長生きした女傑であった。

 しかし今月――7月のはじめ、自宅で眠るように息を引き取った。


(大往生というか……天寿を全うしたということだろう。あの烈女も寄る年波には勝てなかったわけだ)


 そんな風に一可は思うのだが、別段祖母である美千代を嫌っていたわけではない。

 彼女が健在だったころ、盆正月で帰省するたび、また端午の節句に七五三と、彼はよくよくしてもらっていたし、厳しく叱りつけるような女性でもなかったから、一可はむしろ、美千代を快く思っていた。


(もっとも俺以外に婆ちゃんは、だいぶ厳しかったみたいだけどな……それでも、俺にとってはやさしい婆ちゃんだった)


 名残惜しいと思う部分は、彼のなかに当然あった。

 ただ、歳だったのだから仕方がないという思いもまた、同居していたのである。


 名残惜しいとは思うのだが、別れが哀しいとまでは思わない。

 それは一可の生い立ちに関係するもので、しかし彼自身にもよく理解できていない事柄だった。


 美千代の葬儀は粛々と行われた。

 集まったのは、親族に村の住人、すべてを合わせても20人に足りない。

 彼女が人に好かれなかったということではなく、本人の希望で内々に葬儀が執り行われたからだ。


 それでも親しい村人たちは、彼女の死を耳ざとく聴きつけて、皆一様に涙に暮れながら出棺までを見送った。

 人望は、確かにあったのである。


 密葬であったこと。

 そうして、もうひとつ。

 遺書に必ず火葬するようにという文言があったため、美千代の遺骸は荼毘だびに臥された。


(まあ、現代日本で火葬以外なんてないだろうし。やっぱり、少しボケてたのかね、美千代婆ちゃん……)


 そう思うと、さすがに一抹の寂しさを覚えずにはいられない。

 今時では見かけることもなくなった古風な霊柩車とともに、村から山二つは隔てたところにある火葬場へと向かった彼は、高温窯のなかで灰と化していく祖母を思いながら、つらつらと物思いにふける。


 周囲の親族たちは、みな示し合わせたように押し黙っており、目下のところ一可には話相手もいない。

 だからひとり、祖母の最後の言葉を思い返す。


(死ぬ前は、おかしな電話かけてきたりもしたもんな。『村には来るな』とか『子供はつくるな』とか……そりゃあ、俺が一方的に好いていただけで、婆ちゃん本当は嫌いだったのかもしれないけどさ)


 可愛がられていた記憶も一可にはあって、それが最後の厳しい言葉とは相反するような気が彼にはして、なんだか釈然としない思いに囚われてしまうのだった。

 もごもごと、一可が言葉に出来ない思いを反芻はんすうしつつ、視線を彷徨わせていると、火葬場のなかに不思議なものを見つけた。


 集まっているのは村の老人連中と、一可の親族だけのはずだったが、ひとつ場違いなものが紛れ込んでいたのだ。

 猫。


(――猫だ)


 どこにでもいるありきたりな猫。毛並みは白く、尻尾は鉤。


(でも……こいつ、目が赤いな。白猫で赤目ってことは、アルビノなのか?)


 興味を惹かれ、一可はその猫へと歩み寄ろうとする。

 足を踏み出した時、ピクリと猫の耳が持ち上がり、ギョロリと、その眼が一可を正面から見据えた。


(……っ、こいつ)


 赤。


 赤色。


 ただの赤と呼ぶには色合いが濃く、としたものがその根底に満ちている。

 その縦長の虹彩が、ゆっくりとたわむ。


 なーご。


 一声鳴くと、ぴょんと猫は飛び跳ね。

 そのまま暗がりの方へと駆け込み、姿が見えなくなってしまった。


(おいおい……)


 まるで眼だけで笑ったようだと、一可は思った。

 勘違いだ。そうかぶりを振って葬儀に戻る。


 一度だけ振り返ったが、やはり彼には、猫の姿を見つけ出すことはできなかった。

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