第5話
早朝。
まだ薄暗い内に目を覚ましたアタシの頬は、涙で濡れていた。
――懐かしい、夢。
そうだ、アタシはタツヤのことが好きだったんだ。
いつから忘れていたんだろう。
恋心を忘れたのがいつかは、わからない。
けれど、今のアタシは――小学二年生の頃から、タツヤに対して強い憤りを感じていた。
夏休みの宿題に『将来の夢』の絵を描くというものがあって、いろいろ夢のあったアタシは何を描こうか悩んでいて、ふと、なんとなくタツヤに将来の夢は何だったのかを聞いた。
教師になりたかったんだ、とタツヤは笑って言った。
その時、初めてアタシは知った。
教師になるには、教員免許というものが必要だということ。
教員免許を取るには、大学や短大へ進学する必要があること。
進学するためには、高校を卒業する必要があったこと。
進学先も決まっていたのに、高校を辞めてアタシを引き取ったこと。
タツヤが将来の夢を捨ててまで、アタシを引き取り育ててくれていたのだと。
――アタシが、タツヤの夢を奪ったのだと。
初めて、知った。
軽く「諦めたけど」と、笑って言うタツヤに。
諦めた理由を、今まで言わなかったタツヤに。
愚痴も恨み言も、何ひとつ言わないタツヤに。
アタシに夢を奪われたと、言わないタツヤに。
無性に腹が立って――タツヤを思いっきりひっぱたいた。
ずっと抱えてた、もやもやした気持ち。今聞いた事実が、それに言葉としての形を与えた。
『自分なんて、生まれてこなければよかったのに』――と。
そしてその言葉は、アタシ自身も気づかない内に声にもなっていて……。
覚えている限りで、初めて、アタシはタツヤに怒られた。
叱られた、ではなく、怒られた。
その時のタツヤの表情は、今も忘れられないし――きっと、これからも一生忘れない。
タツヤの涙を見たのは、その一度きりだけだった。
「あれ。マキ、早起きだな」
朝の六時。毎朝この時間に、タツヤはアタシの部屋に来る。二人分の朝食と弁当を作るために――タツヤの部屋は、季節外れの服など普段は使わない物を二人分置いている物置に近い状態なので、料理、食事はアタシの部屋でしている。
そんなところでも、タツヤはアタシを優先している。アタシの生活スペースを確保するために、自分の生活スペースを犠牲にして。
やっぱり、腹立つ。
「……」
「ん?」
「ッ! ……別に何でもない」
睨みつけてたら、ヘラリと微笑み返された。
微笑み返されて頬が熱を持つ。赤くなった顔を見られたくなくて、慌ててそっぽを向いた。
(何で今更、こんな)
自分の心を落ち着けたくて、読みかけの本を開く――が、全然頭に内容が入ってこない。
「すぐに飯作るからなー」
いつも通りのタツヤに、ますます腹が立つ。理不尽なのはわかってるけど。
それから三十分ほどで、朝食と弁当ができあがった。
「さてと、そろそろ行くかぁ」
朝食を終えると、タツヤはアタシより一時間早く学校へ向かう。
「んじゃ、いってきまーす。遅刻すんなよ~」
本当にいつも通りで、何一つ変わってやしない。
だけど、アタシの心はいつも通りじゃないから。
「……いってらっしゃい」
いつもは言わない言葉を、ポツリと返した。
「!
――あぁ、いってきます」
驚いて振り向き――満面の笑みを浮かべ小さく手を振って、学校へと向かった。
……タツヤの笑顔って、こんなに眩しかったんだ。
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