第五話 禍福糾纆、好事魔多し


 ───彼は、独りで走っていた。

 ただでさえ人の少ない城内を、人気の無い方に向かって走っていた。

 サヴァンが王子と鍵の所在を吐いた後すぐに動き出していた。無論、王子を助けるためだ。

 早く助けたいが為に時を置かずにあの場を去ったわけだが、サヴァンに興味を示さなかったというのもある。つまるところ、後に続く彼の話は些事さじだと高をくくったのだ。

 おかげで、彼の話は全くもって知らない。

 聞いていれば怒りが再燃でもしただろう。

 よって、今ジョナスがさいなまれている、呑まれている渦は、自分への怒り、その一つだった。

 のめり込んでいる負の感情が一つだけというのは問題があるが。

 ──あやつ…サヴァンにはいきどおりを覚えるが、それよりも自らに対して腹立たしく思っている。

 さっきまでの王子が本物の王子ではないことに気付くことができなかったからだ。

 ジョナスは王子の直下で見ていたというのに気付けなかった。

 ましてや、彼は認識阻害のフードは自らにとってていのいい言い訳にすぎないと思っているのだから、憤りはいっそうだ。

 ──何故わからなかった。何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ……。機微きびにはいつも気を遣っていたというのに…

 はたから聞けば責めすぎやしないかと思うしゃくは、幼少期の時から王子を見守っていたジョナスにとつて、ごく当然のことだった。

 長年(といっても二十年には満たないが)王子の心情表現──要は行動を指す──を見て、体感してきた彼は、どんなに似せていても違いは有っただろうそれを見誤ったことは、悔やんでも悔やみきれなかった。

 王子の私室に着いても思考は続き、むしろ加速を促す。

 私室に一卓だけある机に向かい、鍵を探す。

はらわたが煮えくり返るほどの思いは、鍵の入っている引き出しを開けるようにしんの炎をかい見た。

 この炎に恐怖を覚えるだけの頭は残っていたジョナスは、炎を振り払うように部屋から逃げ出した。

 無心になろうと努力すればより悔恨の情がつのる、そういった悪循環を抱えながらろうのある尖塔へ走る。今度も人気は無かった。

 そしてややっと辿り着いた本物の王子の足元、尖塔の入り口には、エクス、レイナ、タオ、シェインがいた。


 時は少しさかのぼり、ジョナスがいなくなったことに気付いた直後。サヴァンはまだ話し続けていた。

「まぁ聞け。話を聞いてからでも遅くない。お前らには鍵を取りに行く時間は必要ないしな。

 …ジョナスは、何かにつけて王子と一緒にいたがった。ただ王子を守るためにだ。万全を期すとか言っていたな。とにかく、奴は王子に固執しすぎていた。異常なまでに。対ヴィランの防衛の時も渋って渋って苦労したさ。

 本来王子の運命は、あるを見て気が触れるというものだからな。解決策はあるが、そもそも未然に防ぎたかったんだろう。

 端から見たらどっちの気が触れたんだか。

 人より何倍も忠誠心が強く生まれたヤツは、その画もイレギュラーな俺も耐え難く響いちまうし。何より自分を責めちまう。二重にからめ捕られる訳だ。とかだな。重すぎる善意が崩壊をも招くんだから…。」

 そして間髪入れずに、

「So, goodbye.(じゃあな)」

の言葉と共に煙幕が放たれた。

 ろくに動けないと油断していた。

 煙が晴れると、そこにサヴァンの姿はなかった。


 そんな経緯があって尖塔まで来たが、間に合ったようでよかった。

 サヴァンを捕まえられなかったのは悔しいが、この想区にはもういないがまたどこかで会える、エクスが直感的にそう思っていたのも事実だった。

 〈役割〉を与えられている風だったのに想区間を移動できるようだし、結局謎は深まるばかりの人物だ。

 それよりも想区崩壊の目を摘み取る方が大事だと思い、こちらにやって来た。

 しかしジョナスさんは僕たちを歯牙にもかけない様子で鍵穴に向かった。

 そのまま鍵を回し扉を開け、塔を登っていった。

 エクスたちは何をしていたのかというと、ジョナスに知られずについて来たヴィランの一団を塔に入れないよう押し留めていた。

 じりじりと後退し、さして戦わずにヴィランをはくし、やっとジョナスを追いかけた。


 らせん階段の終点にジョナスがいた。

 エクスたちは案の定といった様子で近づいていく。

 ジョナスが先行しきれなかった理由。それは尖塔の特徴による。

 この塔は、王城ということもあり少し厳重になっていて、具体的には牢を開けるにはパスとパスが必要になる。

 それをサヴァンの言葉の端々から汲み取っていたおかげで、焦ることはなかったのだ。

「? なんで止まってんだ?」

 うち一人、タオは分かっていないようだが。

 それはさておき。パスワードはだろうが、そう易々やすやすと開けていいのだろうか…

 エクスの逡巡をよそに、レイナとシェインは既に解錠に取りかかる。

「パスワードを入力してくださいってあるけど、パッと思い出せる合言葉って一つしかないんだけど…。『ヒラケゴマ』。…開かないわね。」

 レイナも気付いていなかった。

「お嬢、古いです。…サヴァンさんのアレじゃないですかね。『コウジマオオシ』。…開かないということは、鬼語の可能性も…『サエズミカカス』。望み薄でしたがやっぱり違いましたか。」

 ジョナスはというと、終始部屋の中を気にして焦りを見せていた。

 そして、レイナとシェインが何パターンか試し終わった時にそれは聞こえた。

「──誰?」

「うっひゃあ! 機械が喋った!?」

「お嬢。真近で聞こえて驚きはしましたが、その声はちょっと…」

「出ちゃったんだから仕方ないじゃない!」

 いきなり、パスワード入力の機械が喋ったのだ。

 インターホンの役割を兼ねていたのだろうソレは、王子と名乗った。が、それきりだ。その後一切話さなかった。

「どうして鍵をおかけになったのですか!」

 そこら辺の事情を知っているジョナスさんが叫んだ。

 どうやら内側からも鍵をかけられるらしい。何の為かはわからないが。

「過保護すぎたんじゃねぇの?」

 言葉を発したのは、タオ。

 頭の回転は悪いが勘はいい彼が、何を言い出したのか。

「旦那も男ならちったぁわかるだろ? 年頃の男が冒険心とか芽生えさせること。年上からの保護をうとましく思うことを。今の王子は、身の安全より飽満を望んでるってことだな。」

「しかし…!」

 王子という立場では難しい。そう言おうとしたジョナスをさえぎりタオは、

 「幸い王子は牢的なやつの中。放っといてもいいだろうよ。」

「だが…!」

「気を緩ませて戻ってきたならそれこそ旦那の領分だろ。」

「…王子のために守ってきたのに…」

「それは善意の押し付けって言うんだ。本当に大切にしたかったら、そいつの望みを念頭に置いて考えるもんだ。自分の望みを前提にしちゃダメなんだよ。できる余裕はあるんだから。」

「くっ………それでも私は…わタしは」

「チッ。耐え切れなかったか。お前ら、抑えるぞ!」

 言い過ぎな気もするが、でないと気付けない。気付こうとしなかっただろう。

 一度伏せていた顔を上げたジョナスさんには、カオステラーの兆候が見られた。

 自らを否定されて。納得して。そこから逃げて。

 こころが黒ずみつつあった。

 だから僕たちは、無差別な優しさに終止符を打つべく動き出す。


 今回の目的は取り抑えるのを主に置く分気が楽だ。

 しかし本気を出さなければ、この想区内でもかなりの強さを誇るジョナスさんは捕えられない。多少理性は残っているが、何かが捕まってはいけないと訴えている様子だ。

 想区内で十指に入る槍の腕は健在で体も温まっているため、最初から飛ばしてくる。

 重い槍を繰っているとは思えない立ち回りで僕たちの包囲網をことごとく脱出される。

 一斉に斬りかかろうも槍と盾で二点、あわよくば三点を防がれてしまう。

 ──だからそれを利用することにした。

 足さばきと攻撃パターンを駆使してジョナスさんを中央に寄せる。

 四人だから楽にできた。

 そして本題。

 四方から捕えようとする気迫で斬りかかる、捕まえられればそれはそれでいいが、計画通り脱出される。

 この部屋の真中央に。

 すぐに体勢を直して、改めて包囲しなおし、対角線の二人ずつを一組として時間差で攻撃を仕掛ける。

 ついでに、後半組のエクスとレイナは天井の中央に吊るされた照明を壊す。

 これでジョナスさんは最高でも前後から迫るタオとシェイン、落ちて来る照明しか防げない。

 案の定、盾を上にかざし槍を振り回した。それをタオとシェインが弾いた瞬間、左右から盾の下に入り込んだエクスとレイナが一瞬でジョナスを後ろ手に縛り地面に押し倒した。


 倒されたジョナスさんは昏倒し、しばらく目を覚まさないだろう。

 しかし念のため僕とシェインで彼と王子の動向を警戒する。タオは何かやっているみたいだが。

 そして調律の巫女は、仕事を行う。

 ジョナスさんの心は根本では変わっていないだろうが、多少は思想の変化として『調律』後も残るだろう。

 どちらに転ぶかはわからないが、崩壊を迎えることはないと思う。

 あとは、王子が良い人なのを望むか…

 そうこうしている内に、レイナが詠唱を始める。

「『混沌の渦に呑まれし語り部よ。我の言の葉によりて、ここに調律を開始せし…』」──────────



 『調律』から数日後。

 ひわ色のフードを被った(正確には被せられた)男が、ある部屋から出てくる。

 出てきて真っ先に目に入るのは、静かにたたずむ男性。

 男性は腰を上げ、何も言わずにそばに控える。

 自らが満足するまで扉を警護していたのだろう。その結論に達し、男は苦笑いすると共に感謝の意を示す。

 対して男性は一瞬だけ頬を緩め、すぐに隠して頷いてから、男が出てきた入り口の右手に向かう。

 そこにある機械の緑色の画面を覗く。『パスワードヘンコウヲキョカシマスカ? ヘンコウ→カフクキュウボク』と入力されていた。

 ふくきゅうぼく。災いと福の変化を表す語。

 これに男性は微笑み、また自らの微笑に驚きながら男の後に続いて階を下りていく。

 らせんを描く階段には、ところどころに落書きがされてあった。

  月に叢雲むらくも 花に風

  沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり

 すべて運命に関する語であった。

 この言葉から会った事のないはずの顔を想起し、何故か涙腺を刺激される。

 同時に胸の奥に染み渡る熱も感じる。

 しかし、男性は顔を上げてしっかりと前を見える。自らがつむぐ未来を。


 彼らが紡ぐステージの名は、『忠臣ジョン』。

 繰り返される運命の中で最高を生み出すことになる彼らは、何を思い何を伝えるのか。


 彼らが歩む城を見つめる四人の男女は、何を感じ何を守るのか。



 花の匂いが頬を撫でる。


 風が皆を優しく包みこむ。


 今日も空は澄み渡っていた。




              Fin.

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