第64話 エピローグ 三

 エイコちゃんとケイジさんの会話は、聞いていて面白い……というより、とても興味深い。

 二人共、考え方が普通とは違い、とても似通っているように思える。私なんかでは考えが及ばない事を平気で話しており、置いてけぼりを食ってしまった。

 それでも疎外感は受けない。むしろ二人の邪魔をしてはいけない。そんな風に感じる。

「三十人と喧嘩した時って、どんな感じだったの?」

「そうだなぁ……どこから話せばいいやら」

「概要だけでいいよ。もしくは喧嘩してた時に考えてた事とか」

「概要……? んー……親友の彼女がさ、いじめられっ子で。二年くらい、いじめられっぱなしだったんだよね」

「……そうなんだ」

「暗くならんでよ。エイコが聞いてきたんでしょ? そんでね、僕と親友と親友の彼女とで、励まし合ってなんとか耐えしのいできたんだよ。それでも一向にイジメは無くならなくてね」

「どんな、イジメだった?」

「あー……陰湿系だね。暴力は僕の知る限り無かった。机の中にゴミ入れられたり、落書きされたりは日常茶飯事でさ、時期になれば虫とか、雪とか入ってたよ。酷かったなぁ」

「……そうなんだ」

「だから暗くなるなって。解決してるから」

「……解決してるの?」

「してるよ。僕以外の二人は今でも仲良く学校に通ってる。イジメもおさまったってさ」

「してないじゃん」

「……してるでしょ」

「ケイジはどうなるのさ」

「二人の感謝の言葉が聞けたから、いいんだよ、別に。実家を追い出された僕の寝床まで提供してくれてたよ。ありがたい事にさ」

「実家まで追い出されて、何が解決なのっ!」

 エイコちゃんが、怒鳴った……。

 しかし、気持ちは分からなくも、無い。その話の、どこが解決なんだ? と、私も思ってしまった。

「……まぁ、いいじゃんか。納得は出来てないけど、僕はなんとなく、満足してるから」

「良くないってっ! 僕が学校に抗議する!」

「僕は、十人を病院送りにしてるんだよ。骨が折れた奴も居る。僕を止めに入った体育教師なんか、鼻がペシャンコになっちゃったよ。刑事事件になってないだけ、儲けものなんだよ。それだけの事、してきたんだよ、僕は」

 ……なんて、壮絶なんだろう。そしてなんて、不幸なんだろう。

 ケイジさんの話をただ聞いていただけの私の体が、ブルブルと震えているのが分かった。

 どう思えばいいのかが、分からない。ケイジさんが怖いし、イジメも怖いし、喧嘩も怖い……。

「殴らなきゃいけない状況にしたのは、いじめっ子達なんでしょっ! それでなんでケイジが責任とらなきゃいけないのっ! そもそも彼氏はどうしたのっ! 僕許せない! 皆卑怯だっ! 人間なんて大嫌いっ!」

「まぁまぁ、そう言うなよ。人間まだまだ、捨てたもんじゃないよ」

「なんでだよ! ケイジ裏切られたって感じないの? 自分だけが不幸になってんじゃんっ! 学歴って大切なんでしょっ? そのために皆頑張って勉強してるんでしょっ?」

「……こうしてエイコとサエちゃんにね、聞いてもらえただけでも、なんだか、スッキリできてるんだよ。それにエイコは今、僕の事で怒ってくれてる。ね? 捨てたもんじゃないでしょ?」

「そんなんで納得出来るかっ! ちょっとこっち向けケイジ!」

「……いやぁ、かっちょ悪いなぁ僕は。まさか小学生にこんな話しをする事になるなんて」

「話をまとめるなっ! この話は終わらせないぞ! 僕が納得行くまで話し合うんだからなっ! 携帯番号教えろっ!」

 ……凄いなエイコちゃんは。凄い、したたかだ。

 こんな興奮したエイコちゃんを見た事が無い……と思っていたのだが、どうやら画策していたようで、携帯番号を聞き出している。

 それにしても、凄い会話だった。本当に小学生に話すような内容じゃないし、それに付いて行けているエイコちゃんも凄い。

 私は正直、未だにどう思って良いのかも、分からない……ケイジさんは、かわいそうだなぁとは、思うけど、それ以外の感情が、見当たらない。

 やっぱりエイコちゃんは、大人だなぁ。理解、出来てるんだなぁ……なんて、関心している始末。

「……いいけど」

「早く教えろっ! さぁさぁっ! 明日お父さんに頼んでキッズケータイ買ってもらうから! 知らない番号から掛かって来たら僕だからねっ? ちゃんと登録しろよっ?」

「……なんで上からなんだよ」

 ホントだよ……。

 だけどなんだか、エイコちゃんが凄くイキイキとして、見える。

 本当にケイジさんには、心許しているんだな……今、本当に楽しいんだな……と、思わされた。


 その後は、一貫して下らない話が続いた。真面目な話や暗くなるような話は一切無く、テレビ番組の話や最新の携帯電話の話、小学校の勉強の話と続き、私にも話す機会を与えてくれ、ある程度はケイジさんとも言葉を交わす事が出来た。

 ケイジさんは最初こそ挙動不審な所を見せてはいたが、それはきっと、私と同じように人見知りだからなのだろう。話しているうちに段々と砕けてきて、基本的には明るい人だと言う事が解り、私の警戒心も、徐々に解けていくのを感じていた。

 そんな中、急にケイジさんのポケットからピピピというアラーム音が鳴り、ケイジさんはスマホを取り出して、画面をタッチする。そして少しだけ表情を曇らせた。

「……お昼休み終わった」

 残念そうな声を上げながら、ケイジさんはポケットにスマホをねじ込む。

「えーそうなの?」

「うん。行かなきゃ」

 ケイジさんはベンチから腰を上げ、体をグッと仰け反らせ、リュックを手に取る。そして私とエイコちゃんの顔を見つめ、軽めの笑顔を向けた。

「楽しかった。また話そうね」

「……ケイジは」

 エイコちゃんの声色が、明らかに変わった。低くなったというか、張り詰めている。

 彼女が居るかどうかを、聞き出そうとしているのだろう……エイコちゃんの様子の変化で、すぐに分かった。

 居たら、どうするんだろう。そして、居なかったら、どうするんだろう。

 付き合う……の、だろうか。

 なんだか、私までもがドキドキ、する。

「ん? 何?」

 ケイジさんは目を大きくさせながら、エイコちゃんの顔を見る。その表情は確かに、可愛い。

 人当たりの良さや、柔らかい物腰を加味すると、なるほど……好きになるのも、分からなくは、ないかなと、思う。

「ケイジはっ……か……彼女とかっ」

 凄い、勇気だ。中々言い出せる事では、無い筈だ。

 エイコちゃんは本気で、ケイジの事が、好きなんだなと、思わされる。

 本当の、本当に、好きなんだな……。

「……彼女いるよ。息子も居る」

 私とエイコちゃんの、時間が止まった。

「エイコはさ……後悔しないように、生きてね。サエちゃんは……心配なさそうだけど、一時の感情に身を任せると、絶対に後悔するって事は、忘れないで」

 その言葉を言い残し、ケイジさんは小さく手を振り、私達に背中を見せて、工事現場へと向かって、歩き始めた。

 後悔……していると、いう事だろうか。そしてそれは、何に対して、後悔、しているのだろう……。

 子供を作った事? 三十対一の喧嘩に勝った事? 満足していると、言っていたでは無いか。

 混乱、させられている。一体彼は、何を伝えたいんだ?

「ケイジぃっ……」

 私はエイコちゃんの顔を見た。

 エイコちゃんは俯き、うなだれ、膝の上に置いてある手を、ブルブルと、震わせている。

 辛いに、決まっている……告白する前に、振られたようなものだ……。

 ケイジさんも、ケイジさんだ。彼女が居て、子供が居て、何故小学生をたぶらかすような事を……と、思ったのだが、たぶらかしては、いないのか……全てエイコちゃんの、独りよがりであった。

 どう贔屓目に見ても、ケイジさんは、悪くないのか……だってケイジさんは、少なくともエイコちゃんの心の支えになっていてくれたのだから、悪者に、出来ない。

 やり場の無い感情とは、この事を、言うのだろうな……どちらも悪くなく、悪かったのは、出会う順番という事。

 エイコちゃんとケイジさんは、似ている。そして凄く気が合っている。ケイジさんの彼女よりも、エイコちゃんのほうが先に出会っていたなら……なんて事を、考えてしまう。

「ケイジぃっ!」

 エイコちゃんは顔を上げ、立ち上がり、駆け出した。その姿を見て、私もつい、立ち上がる。

 エイコちゃんの声を受け、ケイジさんはこちらを振り返った。そしてエイコちゃんが向かってきている事を知り、受け止めようとしているのか、両手を広げる。

「とぅっ!」

 エイコちゃんは軽く跳ね、頭からケイジさんのお腹へと、ぶつかった。ケイジさんは「うごっ!」という大きな声を上げ、仰向けに倒れ込む。その上にエイコちゃんの体が、のしかかった。

 何アレ……? プロレス技……? なんであんな事、するの?

 意味が、分からない。

「てめーこのやろーっ! 僕の初恋、台無しにしやがってぇっ!」

 エイコちゃんはケイジさんの上にまたがり、ケイジさんの胸に向かってポカポカと、猫パンチをお見舞いしている。

 何度も何度も、叩いている。何度も、何度も。何度も。

「えっ! ええっ! 僕? 僕が悪いの? っていうか、初恋って」

「うるせーっ! 好き好き大好きだったわこの野郎っ! っていうかケイジ気付いてただろ! 普通気付くだろ! この気持ちどうしてくれんだこのやろーっ!」

「うぅっ……ごめん」

「彼女と別れろっ! 僕と付き合えよーっ!」

「それは、無理だよ。息子が泣くよ」

「そこなんだよ、息子っ! 彼女だけならまだしも、息子ってっ! この女たらし!」

「たっ……たらしてないよっ! 彼女一筋に生きてるよ!」

「じゃあ僕を相手にデレデレしてんなよっ! うわーん勘違いさせられたぁーっ!」

「ええええっ! マジで僕が悪いの? 僕デレデレしてた?」

「勝手に勘違いしたのは僕だよぉーっ! デレデレもそんなにしてなかったし、拒否してた部分もあったっ! だからちょっと悔しかったんだよぉっ!」

「……えぇーっ?」

 ケイジさんの落胆したかのような、ため息混じりの声に同感してしまう。エイコちゃんはとても、メチャクチャな事を、言っている。

 それに今、エイコちゃんがしている事は、セイヤくんと同じのように思えて、仕方がない。好きという気持ちが暴走して、相手に暴行を加える……という意味では、全く同じだろう。

 しかし救いなのは、これが冗談で済まされる程度の暴行で済んでいるという事だろうか。心なしかケイジさんもエイコちゃんも、楽しそうに見える。

 セイヤくんとエイコちゃんも、こうなっていれば良かったんだな……と、思う。エイコちゃんは今、セイヤくんの暴行を受けた上で、片思いで振られた場合の、理想を体現しているのでは? と、思わされた。

 明るく、楽しく、笑って、済ます。いじらしいけれど、きっとこれが、最善。刺すよりも、気不味くなるよりも、ずっとずっと良い形。

「てめー彼女と別れたら絶対教えろよっ! 恋人の予約入れておくからなっ!」

「……うん、分かった」

「別れるつもりなのかてめーっ! てめーこの野郎っ! 子供泣かせたら、ただじゃ済まさねぇぞっ!」

 複雑、だろうな、エイコちゃんは。

 自分の境遇を考えたら、今の立場は本当に、複雑だろうと思う。

「……ははっ。ごめんな、エイコ」

「謝るなっ! 僕が悪いって分かってるんだからっ!」

「エイコは何一つ悪くないでしょ。エイコは良い子だよ、本当にそう思う」

「優しくするなーっ! これ以上僕の心を掻き乱すなっ!」

 エイコちゃんは更に素早く、ケイジさんの胸をポカポカと叩いた。

 エイコちゃんの表情は、明るい。ケイジさんの表情も明るい。

 二人の声は、明るかった。ただそれだけで、良かったと、思えてしまった。

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