第63話 エピローグ 二

 秘密基地跡地に到着して一番に目に飛び込んできた光景は、倒された巨木だった。

 エイコちゃんは私の手を離し、その巨木に近づいて「あーあ」と言い、巨木を立て直して地面へと突き刺した。

「見てコレ。メチャクチャにされてる。ほんっとにクソガキだなぁアイツ」

 エイコちゃんはヤレヤレと言った表情で両手を空へと向け、ため息をついた。

 私も巨木へと近づきエイコちゃんが彫ったと言っていた「チャキマルのお墓」という文字を見つめるも、胸を締め付けられる思いを感じて、すぐに目を逸らし、エイコちゃんの顔を見つめる。

 エイコちゃんは、それほどショックを受けていないように見えるのだが……その心中は絶対に、複雑だろう。なにせ彫っていた筈の文字がメチャクチャに切り刻まれているのだ。もはや文字の原型は無い。

「……酷いね、これって多分セイヤくんが、やったんだよね」

「うんー、そうだと思う。クソガキ過ぎて嫌んなるよ。なぁーんであんなヤツが僕のストーカーになって、ケイジお兄さんは僕を追いかけてくれないんだろっ」

 エイコちゃんはニッコリと微笑みながら、トートバッグの中をゴソゴソと漁り、魚肉ソーセージを取り出した。包装を歯で噛み、セロハンを剥いて、メチャクチャになってしまっている、チャキマルのお墓の前に、そっと置いた。

「ごめんねぇチャキマル」

 エイコちゃんはお墓のてっぺんを、ペチペチと叩く。そして手を合わせて、目を瞑った。

 私もそれに習い、手を合わせて目を瞑る。今のエイコちゃんは、どんな心境なんだろうな……という事に、思いを馳せながら。


 少しだけ手を合わせた後、私達はあまりの肌寒さに小走りで森林を抜けた。

 道の悪い中、足を取られながらも「きゃー」と言いながら笑いあい、ふざけあう様は、どこからどう見ても友達だっただろう。

 私とエイコちゃんの距離が、近くなっている。とても喜ばしい事だ。

「ねぇねぇ、今何時か分かる?」

 エイコちゃんのその声を受けて、私はポケットからキッズケータイを取り出して、時間を確認する。どうやらそろそろお昼の時間だ。

「もう少しで十二時かな」

「うわっ! サエちゃんケータイ持ってるんだっ! すごーい!」

 エイコちゃんがキラキラとした瞳で、私のケータイを見つめている。

 そんなに、珍しいだろうか。今ではクラスの半数以上がケータイを持っている状態だ。

「凄くないよ。これ通話しか出来ないんだよ。アイフォンとか持ってる人も居るし」

「通話出来ればいいじゃんっ! 通話し放題とかなんでしょ? いいなーいいなー。お父さんに頼んでサエちゃんと同じの買ってもらおうかな」

 エイコちゃんのその言葉に、私はドキンと心臓を高鳴らせた。

 なんだか、そう言って貰えて嬉しい。大人が持つような最新のモノでは無く、私と同じものを欲して貰えるというのが、どうやら嬉しいようだ。

 あのエイコちゃんに、リスペクトされている……そう思うと、笑みが浮かんでくる。

「ははっ。うん、通話し放題だよ」

「いいねいいねっ! ほしいーっ! ちょーだーい!」

「あっ……! あげれないよっ!」

「じゃあハンブンコにしよーよー! 半分ちょーだーい!」

「壊れちゃうよっ!」

 エイコちゃんが私のケータイに手を伸ばし、ブンブンと腕を振っている。私はそれを静止させるようにエイコちゃんの体を遮り、ケータイを出来るだけ遠くに離した。

 エイコちゃんは「あははっ」と、笑い声を上げる。私も「ふふっ」と、笑った。

 やっぱりもう、すっかりとお友達。エイコちゃんとこのような仲になれる日が来るだなんて、思ってもみなかった。


 私達はじゃれ合いながら工事をしている空き地からすぐ側の公園の中へと入っていき、砂場にほど近いベンチへと腰を下ろす。エイコちゃんは何やら落ち着かない様子で足を動かし、パタパタと音を立てた。

「ふぅうー……お兄さんお昼休みになると、毎日ここのベンチにご飯食べに来るんだよ。あー緊張する」

「そうなんだ」

「うんっ……あーどうしよー彼女居たらどうしよーっ……僕立ち直れるかなぁ?」

 エイコちゃんの緊迫した表情を見ていたら、なんだか私も緊張してしまう。お尻をベンチの深くへと押し込み、グイッと背筋を伸ばし、姿勢を正した。

「大丈夫だよ。彼女居るように見えないもん」

「えっ! それって僕の趣味が悪いって事っ?」

 そうだよな。そう取るよな。言葉を間違えてしまった。エイコちゃんは眉毛を垂れ下げて、とても不満そうな表情を私へと向けている。

「えーっと……純粋そうに、見えたから。彼女居ないかなって」

「……うん、そうそう。そうなんだよね。純粋そうだよね」

「うん。純粋そう」

「純粋そうなのに、あの若さで働いてるっていうのが、不釣り合いだよね」

 ……そう言われれば、そうだ。

 筋肉ムキムキで純粋そう。一見するとスポーツに力を込めて取り組んでいるように見える。筋肉の使いみちなんて、重い物を持ち上げるか、スポーツをするかだ。

 それなのに、あの若さで働いている……というのは、おかしな話である。あの顔はどう見ても十代中頃。顔だけを取れば、中学生にも見えてしまう。

「……ホントだね。不釣り合いだね」

「でしょー? 絶対何かあったんだよ……今日こそはそれを聞き出してみせる。お兄さんを丸裸にしてみせる」

 エイコちゃんはワキワキと指先を動かし、そう呟いた。

 ……なんか、やらしい。


 しばらくのち、この公園へとお兄さんが足を踏み入れてくるのが、見えてきた。それを目にした瞬間、エイコちゃんは「きたっ!」という、小さな悲鳴にも聞こえるほどの鋭い声を発する。

 緊張、しているのだろう。エイコちゃんの表情が、かつて見たことの無いほどに強張っているのが分かった。

 私は今まで一度も、恋というものを体験した事が無い。どうせ私なんか……と思ってしまい、心を自分から閉ざしていた事を、思い出す。

 恋とは、ここまで人の様子を変えてしまうものなのか。エイコちゃんは私の腕に自分の腕を巻きつけて、ギュウギュウと締め上げている。少し、痛い。

「……なんか、久しぶりだね。もう来ないのかと、思ってた」

 ムキムキマンは見た目に反しているのか合っているのか良く分からない独特な高い声で、エイコちゃんに話しかけた。頭に巻かれたタオルの上から頭をボリボリと、掻いている。

 その声を受けてエイコちゃんは更に私の腕をギュゥと締め上げた。痛い。

「うんっ……お腹刺されちゃって、来れなかった」

「……えっ! 刺されたっ?」

 お兄さんはとても驚いた表情を作り、手に持っていたリュックを地面にドサリと落とした。

 そりゃあ、驚くだろう……私だって最初その話を聞かされた時、驚いたし、泣いた。

「うん……ストーカーに彫刻刀で刺された。あ、刺されたって言っても全然浅かったんだよ。深さは二センチ三センチくらいでさ。でも少し縫ってね。跡になっちゃった」

「そう、なんだ……ストーカー……」

「あ……跡になってる所、見る? 二箇所なんだよ。右側と左側で、二箇所」

 エイコちゃんはそう言いながら、自分の着ているシャツをめくりあげようとする。

 ……流石にそれはダメだろう。それは、絶対ダメだろう。

「エイコちゃん見せちゃダメだって! まだガーゼもあててるんだしっ! 見せてもしょうがないでしょ?」

「あっ……あ、いやその……そうだよ、この子の言う通りだよ。そこまでしなくていい」

 私とムキムキマンがエイコちゃんを言葉で静止させる。どうやらムキムキマンは本当に、人が良いようだ。小学生のお腹が見れる機会なんて、そうあるものでは無いというのに、静止させている。

 まぁ単純に、小学生に興味がない……とも、取れなくはないが。

「ふふふふっ……焦ったでしょ? ホントーに見せると思った?」

 エイコちゃんは不敵な笑い声を上げ、ニヤニヤとした表情を作っている。

 うわぁこの子……あれだけダメだって言ったのに、早速からかいやがった……。

 性格良いのか悪いのか、わからない子だ、エイコちゃんは……。

「……あのさぁ、この前もちょっと思ったんだけど、君、僕の事からかって遊んでるでしょ? どこからどこまでが本当の話なの? 赤ちゃんの誘拐も冗談? 自分が誘拐されたいだとか殺して欲しいだとか、それも全部冗談だったの?」

 ムキムキマンは少しだけ語気を荒げ、エイコちゃんの顔を軽く睨むようにして、そう言った。そしてこのお兄さんにそんな事まで伝えていた事に、正直驚く。

 誘拐されたい……殺して欲しい……そんな事を、言っていたのか……エイコちゃんは相当、追い込まれていたんだなと、改めて思う。

「なんかひとりぼっちみたいな事も言ってたけど、彼女友達だよね? 友達居るんじゃん……」

「んー……ごめんねお兄さん。だけど僕、嘘はひとつも言ってないよ。この子サエちゃんって言うんだけど、サエちゃんに確認してもらってもいい。全部ぜんぶ、本当の事」

 緊張していた表情はどこへやら。

 エイコちゃんは朗らかな笑顔を浮かべながら、私を紹介してくれた。

「あ、それと名乗り忘れてたけど、僕、エイコっていいます。お兄さんのお名前は?」

 ……ケイジって、知ってたじゃないか……と思うが、そこにはきっと、複雑な事情があるのだろう。

 口出ししたくなる気持ちをグッとおさえ、私は二人の顔を交互に見つめた。

 ムキムキマンは睨みつけていた視線を、緩める。そして「ふぅーぅ」と小さく息を吐き出し、エイコちゃんの隣へと歩きながら「ケイジだよ。長谷川ケイジ」と呟き、ベンチへと腰を下ろした。

「よろしくね、ケイジお兄さん」

「……長いなぁ。ケイジだけでもお兄さんだけでもいいよ」

「じゃあ、ケイジ」

 ……いきなり呼び捨てなんて、エイコちゃんは遠慮を知らないな。

 だけどそれが、エイコちゃんらしいとも、思う。

「……エイコの話、疑ってはいない。からかわれてるとは、思ったけど」

 ムキムキマン……改めケイジさんは、リュックからコンビニで購入したのであろうお茶とおにぎりを取り出し、その包装を解いていく。隣に座っているエイコちゃんの顔をチラリと見つめて、再びおにぎりへと視線を戻した。

 あぁ、確かに少し、挙動不審かな……と、思う。まるで小動物のよう。

「あはっ。そっか、それなら良かった」

「……刺された傷は、大丈夫なの?」

「んー……実は動くと、ちょっと痛いよ」

 エイコちゃんはそう言い、お腹をスリスリと撫でた。

 退院したのはつい先日の事。傷は塞がっているとは言え、まだ腫れが引いている訳では無い。下手な事をしたらバイキンが入ってもっと腫れると、言われている。

 楽な訳は無いだろうなと、思ってはいた。

「なんで、刺されたの? ストーカーって?」

「うーん……そこはまだ良く解ってない所なんだけどね、小学四年生のガキがお姉さんである僕に惚れちゃって、ケイジとイチャイチャしてる所を見て頭に来て、刺したらしいんだよねー。イチャイチャしすぎちゃったねっ」

 イチャイチャしてたの……? え? イチャイチャしてたの? えぇっ?

 私は思わずケイジさんの顔を見つめる。ケイジさんも私の顔を、チラリと見つめた。

 何やら居心地の悪そうな表情を、している……小学生とイチャイチャしていた事を知られて、恥ずかしいのだろうか。

 ……いや、恥ずかしいだろうな、それは。だって私の心に、少しだけ軽蔑の念が、産まれつつある。恥じないほうが、おかしい。

「……イチャイチャ、かなぁ」

「イチャイチャでしょー? あれっ? イチャイチャしてるつもり、無かったんだっ……無かったのに、あんな事してきたんだっ……」

「えっ! 僕がっ……? 僕がした側になってるの?」

「したのは僕だよぉっ……僕だけど、拒否しなかったのは、ケイジでしょぉっ……アレが原因で刺されたのにっ……」

 エイコちゃんは両手で顔を覆い「ひどいよぉーうえーん」と言う、とてもわざと臭い泣き声を上げている。

 これはまた、からかっているのだろうなと、すぐに分かるのだが、ケイジさんはどうやら、動揺しているらしい。

 オロオロしている様を絵に描いたような表情で、エイコちゃんの肩を叩いたり背中を擦ったりしている。

 確かに、純粋なんだろう。いい人っぽい。

「ごっ……ごめんっ……その……刺したヤツって……どうなった……?」

「うえーん僕を刺したヤツはね、自分の弟である赤ちゃんを放置したり、人の悪評を故意に流した事がバレたり、学校内での度重なる暴力行為が原因で、それなりの場所に送られましたとさ。悪い事は出来ないねぇ」

 ……なんだその豹変ぶりは。エイコちゃんは顔に当てていた手を離し、急に明るくなった。

 大丈夫かなエイコちゃん……なんか、調子に乗ってるように見える。

「そっか……いや、それなら、いいんだけど」

「けど? なぁに?」

「……なんなら、僕が鉄拳加えてやりたかったなって、思ってさ」

 ケイジさんの目は細められ、とても鋭い視線と、なっている。

 なんだろう、この妙な迫力は……ケイジさんの腕の筋肉が、ボコボコと動いているように、見える。力を、込めているのだろうか? 怒って、いる?

「僕さ……イジメっ子三十人を相手に喧嘩して、勝っちゃったっていう理由で高校中退してるんだけど……その結末に全然、納得が行かなくてさっ……そういう話を聞くと、虫唾が走って、仕方ないんだよっ……とりあえずソイツが施設に入ったっていう事を聞いて、うん……納得は、しておく……」

 ケイジさんの鬼気迫る表情を目にして、私はもちろんの事、エイコちゃんもその迫力に圧倒され、ケイジさんの横顔をただ見つめるばかり。

 ……三十人と喧嘩、それも勝利を収めるだなんて、この大人しそうで人の良さそうな顔を見ていると、まるで冗談のように、聞こえてしまいそうなものなのだが……なんでか、信じてしまった。

 きっと、その通りなんだろうな……この人は、人を殴れる人。

 一気に、怖くなってきた。私は早く、この場を去りたい……。

「……やさしぃーんだね、ケイジは」

「え?」

「え?」

 私とケイジさんは、同時に声を上げた。

「え? って……だってケイジって、絶対イジメられないでしょ。三十人と喧嘩して勝てる人をイジメられる人なんて、ねぇ? 居る訳ないよ。という事はケイジはさ、イジメられてた人を助けるために立ち向かったって事になるもん。三十人を相手にさ。それって凄く優しくて、勇気のある事なんだって、僕は思うけどなぁ」

 エイコちゃんの話を聞き、ケイジさんは驚いた表情を作っている。そして恐らく私も、作っている。

 私は恐怖こそすれ、ケイジさんに対してそんな評価、絶対に下せない。絶対に無理だ。殴られる前に、避けて通りたいと、思ってしまう。今だって、思っている。

「……ビビるかなーって思って、わざと昔話言ってみたんだけど」

「ううん全然。むしろケイジの謎が一個明かされて、シメシメって感じ」

「……裁判長、誘導尋問です」

「却下します」

 二人は古い友人のように、冗談を言い合い笑いあっている。

 そしていつの間にかエイコちゃんのお尻はケイジさんへと近づいており、よく見るとエイコちゃんの足はケイジさんの足にピッタリと、くっついていた。

 ……たしかに、イチャイチャしているようにも、見える。エイコちゃんに好意を寄せている人がこの光景を見たら、なるほど……嫉妬でどうにか、なってしまうかも知れない。

 だからって、刺すのはなぁ……と、私は勝手に一人、思考を巡らせていた。

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