第60話 小悪魔
サエちゃんの大量の涙が、僕とサエちゃんの繋がれた手の上に落ちて、その隙間に入り込み、濡らす。
サエちゃんの涙は、熱い。とても熱いと、感じる。
その熱さが、僕の手から心へと伝わり、まるで化学反応を起こしているかのように、強く強く震え、僕の心をも、熱くさせた。
いや、涙だけじゃない。サエちゃんのクシャクシャの顔。嗚咽。言葉。行動。そして、想い。それら全てが、僕の心を強く、熱く、反応させる。
その熱さが僕の目頭へと伝わり、ジワリジワリと、熱い熱い大粒の涙を、生成していく。先程まで僕の目から流れていた涙とは明らかに違う類の、涙。
その涙がついに耐えきれず、僕の両目からボロリと、流れ落ちた。
この涙の名前は、きっと、感謝。
セイヤに対して本気で憎いと思っていた僕の中には、もう良い所なんて無くなったと思っていたのに、まだ、感謝の心は、残っていた。
どうやら嫌な気分に染められていたのは、ほんの一瞬の事。憎すぎて、苦しすぎて、悪い感情に染められていただけ。ただそれだけの事。
そして今僕は、どうやら良い感情に染められている。それがとても、とても、実感出来る。
サエちゃんの、お陰だ。
「サエちゃん」
僕は握られているサエちゃんの手を、ギュゥと力強く、握りしめた。
サエちゃんは真っ赤な目で、僕の顔を見つめた。
「ありがとう」
どん底の時、カヨネェに教わった微笑みを、僕は作った。
……僕は、失礼なヤツだ。
貰ったものが、沢山ある。微笑みだって、そのひとつ。
自分の心の輪郭すら見えないほど暗くて、死までを意識した鬱陶しいほどネガティブな心境だった僕に差し込んだ、キラキラで、ピカピカで、美しいと思えた貰ったものは、無くなったりはしない。一度刺されたくらいで、全て出ていってしまう訳が無い。それらは僕の中に染み込み、僕の一部となっている。
僕を僕たらしめるものは、僕がその瞬間、その刹那に感じたもの、思ったこと、その全て。
僕はどうしたって、僕でしかない。憎しみに侵されようとも、喜びに満ちあふれていようとも、僕は僕。決して無くならない。
それが、嬉しい。そしてそれに気づかせてくれたサエちゃんが、たまらなく好きだ。
「うぅっ……うぇえええっ!」
僕の声を聞いたサエちゃんは、更に大きな声を上げて、泣いてしまった。
涙を流し、大きな口を開けて、自身の見てくれなんて、ちっとも意に介していないように見える。
「泣き虫だなぁ、サエちゃんは」
良い子だなぁ、サエちゃんは。
サエちゃんは全力で否定するだろうから言えないけれど、本当に、ごめんと、思う。
良い子なのをいい事に、巻き込んでしまった。そして裏切られたと、勝手に被害妄想を抱いてしまった。
ごめんね。ごめんね。僕が悪かった。醜かった。子供だった。ごめんね。
その思いを、掌に込めて、強く握り続ける。サエちゃんも僕の手を、強く握り返してくる。
受け取ってくれたかな……そうだと、嬉しい。
僕が刺された経緯を「詳しく知らない」というサエちゃんに、セイヤと私の関係を、事細かに話した。
セイヤが赤ちゃんを公園へ放置し、僕がそれを拾ってしまった。という部分から始まり、セイヤの言動、行動、その全てを、伝え漏らしのないよう、順序立てて、伝えた。
聞いている最中のサエちゃんは、時には驚き、時には同情の視線を送りながら、静かに聞いてくれた。そして僕の話が終わると同時に「うーん」と声を漏らし、考え込む。
「私が思うに……セイヤくんは、エイコちゃんに同じものを感じてたんだと、思うよ。だから仲間だって言ったんだと思う。だけどセイヤくんはまだ子供で、自分が感じた事を言葉に出来なかったんじゃないかなって、思う」
「うん、まぁそうなんだとは僕も思う。だけど僕はセイヤの事、全然知らなかったんだよね。だから怖くて怖くて」
「エイコちゃん、そういう所あるもんね。出会った人の事、忘れるっていうか、あまり意に介さない所」
サエちゃんは笑顔を作りながら、中々キツい言葉を、僕に叩き付けてきた。
ヒドイ……ドイヒー……と思ってしまったが、サエちゃんに恐らく悪気は無いのだろうし、それも僕自身が持っている一面なのだろう。受け入れなければ。
「クラスの男子にもさ、結構言い寄ったりするでしょ? それなのに話しかけられたら、無視はしないまでも、すごーく冷たい態度取ったりさ……私見てて、ヒヤヒヤしてたよ」
「……思い当たる節が多すぎて、返す言葉がないよ」
「小悪魔過ぎるんだよ、エイコちゃんは」
……アレ? サエちゃん、思ってたイメージとの差異が凄いな。
物腰や話し方は思っていた通りなのだが、こんなにズバズバとモノを言う子だとは、思っていなかった。
今回の出来事と向き合い、色々と頑張っているうちに、変わったの……かな?
「だからって刺すのは、ヒドイよね……数センチとは言え、刃物を人に刺すのって、相当な勇気が必要だと、思う」
「勇気じゃなくて、狂気だよ。僕にはそれが、なんとなく分かる……許せはしないんだけどね、理解は……うん、出来るかな……」
僕がそう言うと、サエちゃんは目を大きく見開き、僕の顔を直視した。
「……理解、出来るの?」
「え? うん、まぁ……なんとなく、ね。なんとなくだよ? 僕は人を刺したりは出来ない。僕を刺したセイヤに対しても、出来ない」
僕は頭をポリポリと掻いて「死ねって言っちゃったんだけどね」と言い、笑いながらおどけた表情を、サエちゃんへと向けた。サエちゃんは決して笑ってはくれなかったけれど、柔らかい声で「もうっ」と言い、僕の肩を、とても軽い力でペシンと、叩いてくれた。
セイヤがいつ、どこで、僕を好きになり、どこまでがセイヤの行おこなった事なのかは、僕には分からない。
しかし、狂った思想を相手に押し付けて、上手く行かなければ激情が湧き上がる感覚は、僕にも分かるし、僕にもある部分。
「ねぇサエちゃん」
「え? なぁに?」
「クラスメイトが秘密基地の場所を知ってた理由って、なんだか分かる?」
「え? ん……うん」
「なんで?」
「えっと……セイヤ君が」
……やっぱりか。
「あ、うん、わかった。うん、もういい」
セイヤ……。
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