第56話 僕と僕 六
「そろそろ、お兄さんいつも居なくなる時間だよね」
僕の発した言葉は、とても色めき立ち、艷やかで、実に気持ちの悪いものであった。その内容も実に気持ちが悪く、いつも見ているという事が、分かってしまうもの。
しかし、そんなモノは些細な事。いつも見ていると、知られてもいい。いいやむしろ、知って欲しい。僕が貴方を見ていた事。そして「誘拐して欲しい」「殺して欲しい」と思っている相手は、貴方だと言う事。
そして、今のこの時を、永遠に忘れないで欲しい。そんな魔法を、ケイジお兄さんにかけたい。
そう思い、僕はどんどんとケイジお兄さんの顔に、自身の顔を近づけていく。
その事実に僕は鼓動と呼吸を早めるも、心の中には一切の物怖じが無い。心から湧いてくる不思議な力によって自然と顔が近づいていく。それと同時に、僕の体が、ケイジお兄さんへと、触れる。
僕の二の腕を。僕の足を。殆ど無い僕の胸を。ケイジお兄さんの体へと押し付けた。意図して押し付けた。
魔法よ、かかれ。
ケイジお兄さんの心の中に、僕の部屋を、作ってみせる。
「今日はこれで、おしまいにしよ? 殺して欲しい理由とか、赤ちゃんの事とか、もっと聞きたかったら、明日も来て?」
視界一面に広がる景色は、ケイジお兄さんの目を大きく見開いた、驚きの表情。
ケイジお兄さんは僕の唇へと視線を移し、自身の舌で自身の唇を、舐めた。それにつられて、僕は軽く下唇を噛む。
ケイジお兄さんの汗が、あまりにも近づきすぎている僕の手に、落ちる。そして僕の顎から垂れている汗も、ケイジお兄さんの肩へと落ちた。
汗を汚いと感じない。そしてケイジお兄さんも、そう感じてはいない。この場には僕達二人しか居なく、まるで僕達二人の世界が、出来上がっているかのよう。
このまま唇を、奪われたい。
このまま二人、永遠を感じたい。
僕は貴方に依存し、貴方は僕に依存する。
そして貴方は永遠を壊すかのように、僕を殺し、悲しみ、苦しみ、落ち込み、泣き、喚き、打ちひしがれ、狂い、その果てに、僕を追いかけて来て欲しいという、そんな欲求が、湧き上がる。
今まで漠然とした「感覚」でしか無かったのだが、ケイジお兄さんと触れ合ううちに、僕の欲求の「形」が、見えてきた。そしてどうやらそれが、ケイジお兄さんに掛けたい魔法の、最終型らしい。
僕の生に。死に。意味を。どうか、どうか。貴方の手で、作って欲しい。
分かって。理解して。
望まれず産まれ、愛されず育った僕は。せめて。
意味を持って、死にたい。
「僕、お兄さんみたいに話しやすい人、はじめてだよ。何でも話せちゃう」
僕はさらにケイジお兄さんへと接近する。
僕の腕はケイジお兄さんの腕と絡まる。僕の足はケイジお兄さんの足と絡まる。僕の胸はケイジお兄さんへと押し付けられる。
顔が更に接近する。僕の唇がケイジお兄さんの唇へと、限りなく近づく。
しかし、僕自身からは最後の一歩を、踏み出したくない。最後の一歩は、どうかケイジお兄さんの手で。
僕がケイジお兄さんに魔法を掛けているように、ケイジお兄さんも僕に、魔法を掛けて欲しい。
この時を、生涯忘れられないような、そんな一瞬にして欲しい。そして死ぬ時に、この瞬間を思い出し、笑っていられるような、素敵な魔法を、掛けて欲しい。
「やっ……! いや、明日……明日は、ほら、土曜日でさ、仕事休みで……」
ケイジお兄さんは大きな声を上げ、自身の体を動かし、僕と距離をとった。
僕の腕は。足は。胸は。ケイジお兄さんの体から離れる。
「現場っ、僕の家から遠くて、車で一時間くらいかかってっ。僕免許無いし、ここに来る術も無いし……だっ……だから次に来るのは、来週かな」
ベンチから腰を上げ、何故か前屈みになっているケイジお兄さんは、視線を散乱させ、言葉多く言い訳をしている。
「らっ……来週の月曜日には、また、来るから……その時にでも、話してくれれば」
「来週?」
「うん、来週。来週の月曜日」
「僕、お兄さんの話も聞きたいって思ってたのに」
「あっ……あぁ、うん、あの……あの……いずれ、話すよ」
ケイジお兄さんが僕から離れてしまった喪失感は、半端では無かった。
一瞬にして心が荒み、苛立ちが産まれ、体が震え、怒鳴りつけてしまいそうになるほどの感覚が、今まさに僕を襲っている。
しかし、そんな事はしない。そんな事したら、本当の意味で、全てが水の泡となってしまう。
それにどうやら僕の掛けた魔法は、ケイジお兄さんに多大な影響を与えているようで、来週またこの場所で話をするという約束を、ケイジお兄さんの側から結ばせる事が、出来た。
……いい。今日はこれで、いい。大進歩じゃないか。これで納得の行っていない僕のほうが、絶対におかしい。
しかし、どうにも心中穏やかではいられないのも、事実。
「今日はおしまい」と言い、切り上げようとしたのは、ケイジお兄さんを焦らせ、最後の一歩を踏み込ませるためだったのに……なんて思ってしまい、悔しさが湧いてきて止まらない。
「来週まで、僕が居ればいいね」
今からでも遅くはないよ。唇奪ってくれていいよ。来週僕が居るとも限らないよ。というアピールをするも、ケイジお兄さんはそんな僕を見る事も無く、焦った表情を作り自分のバッグを手に取りながら「あ……居るでしょ? また来るから」と、
「じゃあ、またね」
大股で歩くケイジお兄さん。
まるで僕から、逃げていくように、見えてしまう。
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