第53話 僕と僕 三

 二度、三度、四度と、深呼吸を繰り返す。しかしそれでも、心が落ち着かない。

 思えば人と話す事に、これほど緊張したのは、初めての事。そして何故、緊張しているかと言うと、それはやはり、僕はケイジお兄さんの事が、好きだからなのだろう……と、思う。

 僕はチラリと、隣に座るケイジお兄さんの顔を見た。すると僕の視線と、ケイジお兄さんの視線が合い、僕の全身がボウと音を立てて、燃えてしまったかのような錯覚に陥る。

 あぁ……やっぱりこんな格好で、来るんじゃなかった。もう少しマトモな格好が、あっただろうに。

「……君は? どうして学校行きたくないの?」

 しばらく無言が続いていた僕達だったのだが、どうやらその空気にケイジお兄さんが耐えられなくなったのだろう、気を利かせて、僕へと質問をしてきた。

 その質問は……かなり確信を付いた質問だ。僕の額に、汗が産まれるのを感じる。

 しかし、無視する訳にもいかない。せっかくケイジお兄さんから、聞いてくれた事なんだ。

 ……心を静め、覚悟を、決めよう。

「学校ねぇ……んー、行っても皆、変な目でみてくるからねー」

「そうなんだ」

「そう……なの。僕がね」

 僕の額から大粒の汗が流れて、顎を伝って、足を押さえている僕の手に、落ちた。そしてその手も、ガクガクと震えているのが、分かる。

 心臓が、はちきれそうだ。思えば全く事情を知らない人にこの話をするのは、これが、初めての事。

 受け入れて……くれるのだろうかっ……。

「赤ちゃん誘拐してからね」

 お兄さんの目は、見れていなかった。僕の視界はいつのまにか地面に落ちている小さな石へと、移っていた。

 歯がカチカチと、音を立てる。それを止めるために、グッと噛みしめる。

「……誘拐?」

 お兄さんはやはり、いぶかしげな声をあげた……それは、そうだ。当然だ。当然の反応である。

「ん……うんっ……この公園で見つけてね、裏山の秘密基地に連れてったの。それがバレてから、皆が僕の事、変な目で見るようになってね。それでね、そのせいでお父さんとお母さんの仲が悪くなってね、離婚するんだって」

 僕の口ときたら、よくもまぁ、聞かれてもいない事をペラペラと……しかもケイジお兄さんの反応が怖いからなのか、かなり棒読みのような、淡々とした喋り方になってしまっている。

 冗談めかしたり、悲しそうに話したり、色々とあるだろう。

「……そうなんだ」

「うん、それでね、僕、学校休んで、ここで待ってるの」

「何を?」

 貴方を……と言えれば、どれほど、楽か。

 そんな事、言える筈がない。そんな事を口に出したら、それと同時に心臓が一緒に飛び出してきそう。

「ふぅぅっ……」

 息を、ゆっくりと吐く。

 僕は初めてケイジお兄さんを見た時に願っていた事を、思い出す。

 僕を、助けて欲しい……僕を連れ出して欲しい……そして父親に殺されるくらいなら、お兄さんに殺して欲しい……そう思っていた。

 今でも、思う。僕はお兄さんに、連れ出して欲しい。そして死ぬのなら、お兄さんの腕の中でが、いい。

 父親の事が、気掛かりではあるが。父親はもう、他人であるという、結果が、出されたのだ。

 父親は他人。母親はどこかに行った。つまり、孤独。

 そう考えた瞬間に、僕の心は、狭い狭い檻の中に放り込まれたかのように、感じた。

「僕を誘拐してくれる人か、殺してくれる人」

 僕の口は、僕の意志とは無関係に、動いていた。

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