第50話 血縁

 直ぐに帰ってきてしまった家にはちゃんと鍵がかかっており、少し安心する。家の中へと入り、シッカリと施錠をして、洗濯機のある脱衣所へと向かった。

 服を脱ぎタグを見る。見はするのだが……正直、表記が良くわからない。洗濯なんて、僕はした事すらない。

 色落ちとか、型崩れとか、するだろうか? そもそも洗濯機で洗っても、いいのだろうか?

 何かがあったら、泣くに泣けない……母親から貰ったお金で買った服とはいえ、カヨネェからも父親からも褒めてもらえた、僕に似合っている、大人な服なのだ……。

「んもぉっ……! もぉおっ!」

 僕は二度ほど地面を踏みつけ、壁にドンと体当たりをして、自分を落ち着かせる。

 心の表面部分は落ち着くのにそれほど時間を要しなかったのだが、心の奥底、本当に怒りを感じている部分は、決して無くならない。小さな火種が、僕の中に、残り続ける。

 これが、人を恨むという、気持ちなのだろうか……。

「……くそぉっ」

 僕は脱衣所の壁を平手でパンパンパンと叩き、仕方なく自室へと向かって歩き始めた。


 着替えたいのだが、服がない……結局母親は、洗濯をせずにこの家を出ていったしまったらしく、タンスの引き出しの中には、下着や靴下などしか残っていなかった。

 いや、無い事も無いのだが、もう既に僕の体には小さくなってしまっているものばかり。今の僕の年齢は成長が早く、去年買った服でさえも、サイズが合わない。

 金の掛かる年頃なのだろうなと思うが……服すら無いというのは、凄く、困った事になった。

 母親の服を借りようか……なんて事も脳裏に浮かんだ。しかし高い服を選んでしまい、それを汚してしまった後の事が、怖い。母親に癇癪かんしゃくを起こされては、更に僕達の関係がこじれてしまう。

「ふぅーぅ……」

 僕は頭をボリボリと掻きながら、下着姿の状態で家の中をウロウロと歩き、再び脱衣所へと入る。そこであまり汚れていない服を物色するため、洗濯物の山を崩した。

 昨日買った大人らしい服で、ケイジお兄さんと会いたかったな……なんて事を思うと、ほんの少し、涙腺が緩くなるのを感じる。

 少し汚れてはいるが、匂いのしない、白いシャツへと袖を通し、パンツもいつも履いている、デニム生地の短いものを着用する。

 これでは本当に、いつもと変わらない服装なのだが……普段着ている服に比べ、昨日買った服には泥やら染み等は、格好悪すぎる。汚れに対して、あまりにも不釣り合いに見えてしまい、あの汚れた大人な服を着るくらいなら、こちらのほうがまだマシかと思う。


 少しだけ嫌な気分になりながらも、僕はこの格好に合うであろうサンダルを取り出し、玄関へと下ろす。さて、再び出かけようか……と思ったその矢先、家の電話が電子音を立て、僕の動きを止めた。

 なんだよ……と思いながらも僕は電話に近づき、おもむろに受話器を取り「もしもし?」という声を上げる。するとすぐさま「もしもし、そちら宮田様のお宅で間違いありませんでしょうか?」という、女性の綺麗で礼儀正しい声が聞こえてきた。

「あ、はい。そうです」

「こちら、DNA鑑定のご依頼を承りました、TDNAという会社の者なのですが、失礼ですが、奥方様でいらっしゃいますでしょうか?」

 綺麗な声が無遠慮に、僕の耳へと入ってくる。

 ズカズカ、ズカズカと、入ってくる。

 僕の心臓は、ギュッと握られた感覚がした。僕の頭はクラクラとした。

 気にしない……構わない……そう思っていたのに、いざこの時が来たと思うと……なんだか……。

 父親の昨日の振る舞いや、言葉、話、仕草。それらが一瞬の内に、フラッシュバックする。脳裏に映し出される。

「やっ……僕、娘で」

「左様でございましたか。お母様かお父様はご在宅でしょうか?」

「いえっ、今、僕しか居ない」

「なるほど……分かりました。それでは後ほど、改めてご連絡させて頂きますね」


 封書とファックスと電話での連絡になると、聞いてはいた。

 しかしまさか、僕がその電話に出る事になるとは、思っていなかった……。

 受話器からは、ツーツーという音が、聞こえてきている。動こうにも、まるで時間を止められてしまったかのように、身動きがとれない。

 ……視線を動かしてみると、ファックスのランプが光っている事が分かった。印刷のボタンを押せば、ファックスは印刷されてしまう。

 僕の体は、震えている。無意識にボタンへと伸ばされている指先も、震えている。

 怖い……怖い……怖い……だけど、知りたい。

 僕と、父親は、僕と、他人に、なるのだろうか。


 僕の指先が、ボタンに触れる。

 ピピッと言う電子音の後に、紙が補填され、印刷されていく。

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