第47話 心の安定

 父親の身支度を済まさせて、会社へと送り出した。僕自身もシャワーを浴び、全身を綺麗にする。そして高鳴る鼓動を感じながら、昨日カヨネェに選んでもらった服に、袖を通す。

 バッグは、何か無いだろうか。いつものトートバッグでは格好悪いだろう。少しくらい大人びたものを持っていたほうが、好感を持たれそう。

 そういえば、靴を買っていない。この格好に似合う靴を、母親のものから選び出さなければ。

 僕は家の中をウロウロと歩き回り、母親の荷物を家中からかき集めて、リビングへと並べた。流石にブランドモノを持ち出すのは忍びないかな……なんて思い、小さなバッグをとっかえひっかえ肩にかけクルクルと回り、リビングにある小さな鏡で自分の姿を確認した。

 その中でも一番シックリときた、小さな茶系のバッグに決めて、その中へと財布だけを入れ、再びクルクルと回る。

 今日はDNA検査の結果が出る日ではあるのだが……ケイジお兄さんに声をかけると決めた日でもある。故に心境は複雑になるかと思っていたのだが、特にそんな事も無く、僕はただただ、浮かれていた。父親が父親らしい事を、してくれたからだろうか。そちらに対する不安は今、一切無い。ケイジお兄さんに対する感情や思考ばかりが、僕を支配していた。


 出掛ける格好が決まり、僕はとりあえずソファへと座り、一息付こうとする。しかし僕の心の中が無性に落ち着かなく、ソワソワとしてしまう。座っている事さえも出来ず、僕は立ち上がり、家の中をウロウロと歩き回った。 

 そんな事を繰り返していると、僕の視界の中に電話の子機が入り、僕はまるで吸い込まれるようにそれを取り、昨日カヨネェから貰った名刺に、手書きで書いてもらった電話番号を入力する。

 二度、三度、呼び出し音が鳴り、プツプツという音が聞こえてきたその時、僕は「ももっもしもしっ?」と、とても大きな声を出してしまった。本当に僕は、ソワソワしているらしい……なんだか恥ずかしい。

「んー? どちら様?」

 カヨネェの、まろやかな声が僕の耳に届く。その声に僕のソワソワしていた心は、一気にクールダウンした。しかしそれは気分が冷めた訳では無く、変わりに他の感情が湧いてくるのを感じていた。

 この感情は、安心だろう。カヨネェの声を聞く事が出来て、僕は物凄く安心している。

「え……エイコだよ」

「……ああっ! えーいこーっ! 電話してくれたんだっ嬉しいっ!」

 カヨネェの半端では無い歓喜の声が、凄く凄く嬉しい。

 僕も嬉しい。嬉しい。

 嬉しい気持ちで心がいっぱいになる。

「昨日コンビニでエイコの写真いーっぱい現像してきたんだよっ! エイコにもあげようと思って、百均でちっさいアルバム買ってきて、整理したからねっ。渡すから、お店に来てね?」

「そんな事まで、してくれたんだ」

「いやぁーなんだろ、楽しくなっちゃってね。それにしてもやっぱりエイコ可愛いーよ。写真写りバツグン。ジュニアモデルやったほうがいいね。絶対に人気出るからっ」

「あはっ。モデルなんか出来ないよ」

「いやいやっ! エイコはてっぺん取れるね! ライバルにダブルスコアで圧勝して優勝するね!」

「あははっ。なんの大会で優勝なのさっ」

 相変わらずカヨネェはお喋りが好きなようで、僕の要件も聞かずに喜々として僕の容姿を褒めてくれる。

 気を使わせているという事くらい、僕だって分かっているのだが、カヨネェはきっと、こういう人なんだ。気を使わずにはいられない人。凄く面倒見のいい人。自分の事ばかりの母親とは、別の人種。

「もちろん、日本ジュニアモデル選手権でしょ! そんな大会あるかどうか知らないけど」

「ないないっ! カヨネェ選手権の使い方、間違ってるっ。モデルは選手じゃないでしょ」

「えっ! あっそうか! うわぁー恥ずかしいっ!」

 僕の顔の筋肉が、笑顔を作っているのが分かる。

「はははっ。カヨネェは本当に、面白い人だね」

「えーっ? 自分ではただの馬鹿だと思ってるんだけどねぇ」

「ううん、馬鹿じゃない。カヨネェは優しいよ」

 僕がそう言うと、カヨネェは「んー……」と言い、少し黙ってしまう。

 何か、困らせるような事を言ってしまっただろうか……? 僕は焦り「カヨネェどうか、した?」と、弱々しい声を出してしまう。

 今、カヨネェに嫌われたら、生きていく自信がない……。

「いやぁ、エイコは大人だなぁって思って」

「えっ! ええっ! 何がっ?」

「えーっ? 何がって。エイコの雰囲気もそうだし、物腰も対応も、とても小六の娘とは思えないよ。精神年齢、私より高いんじゃないかなーって思う瞬間、ケッコーあるよ。ごめんね、要件も聞かないで私の話しちゃって……」

「ちっ……違うよ! カヨネェは僕の話をしたんでしょ? そんな、謝らないで」

「やっぱり大人な対応。凄いなぁエイコは」

 カヨネェの言葉に、僕はモゴモゴとしてしまう……。

 僕はただ、カヨネェの声を聞き、安心したかっただけ。ジックリと時間をかけて話したい事はあれど、朝の時間が無いであろう時に伝えるべき要件なんて、実は無かった。

 僕は衝動に負け、電話をしてしまった。ただそれだけなのに。カヨネェは僕を、大人と褒める。

 ……カヨネェこそ、優しい大人ではないか。

「……僕、カヨネェの声が聞きたかっただけ。本当にそれだけなんだ。いっぱい話しかけてくれて、嬉しかった」

「ははっ。そっか。私もエイコの声が聞けて、嬉しかったよ」

 カヨネェの言葉は、いちいち優しい。いちいち僕を気にかけてくれる。優しさが身に沁み込んでいくのを感じる。

「そろそろ、切るね。朝に電話して、ごめんなさい」

「あっ。ううん、全然大丈夫。気にしないで。またお店に遊びに来てね? 約束ね」

「うん。絶対に行くよ」

「うんっ。それじゃあ、またね」

「またね……」

 プツッという音の後に、ツーツーといった音が、聞こえてくる。その音を確認して、僕は「カヨネェ大好き」と、呟いた。

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