第46話 母親という人物

 朝、目が覚めるとそこは、自分の部屋だった。

 いつもの見慣れた天井が最初に目に入り、いつもの僕の匂いのする枕が頭の下に敷かれており、小さな頃から使っている布団が僕の体の上に乗っている。

 確か、昨日の夜はリビングの絨毯の上で気を失うようにして眠ってしまった筈……誰がここに運んでくれたのかなんて、分かってはいるのだが、それを理解するのに多少の時間を要してしまった。

 失礼ながら僕は未だ父親を信用し切れていない部分があり、それは暴力や暴言が元となっている。体の痛みはそれほど根に持ってはいないのだが、父親の心無い言動、行動が、未だに根強く僕の中にわだかまりとして存在しているのだ。

 それは一日や二日、優しくされたりギターを教えてくれたくらいの事では、払拭されないもの。人によっては一生、トラウマとして悩まされるほどのもの。

 しかしどうにも僕は今……父親を少し。ほんの少し。尊敬、している。

 僕の布団を敷き、僕を起こさないよう抱きかかえ、僕をこの場所まで運んでくれたという事なんだ。ただそれだけの事実に、僕はもう……別にもう……恨むだとか恨まないだとかトラウマだとか……そういったものが、消えていっているように、感じている。


 なんだか……これから先、父親と仲良くやっていけそうな、気がしている。


 僕は立ち上がり、布団を畳む。そしてリビングへと続く扉を開き、ソファの上で横になって眠っている父親を見つめた。

 やはり、母親が居ないとは言え、母親と一緒の寝室では、眠る事は出来ないのだろうか。

 そりゃあ父親にとっても、母親とのイザコザは、トラウマだろうな。

 癇癪かんしゃく持ちな母親は、僕が学校で倒れておかしくなって一日だけ入院し、退院してきた次の日、僕に手を上げるような事はしなかったのだが、リビングにある家具を次々と破壊していた。

 だから多分、食器棚を壊した上に僕のお茶碗を割ったのも、食卓テーブルの椅子を投げて斜めに割ったのも、テレビを横に倒して壊したのも、癇癪かんしゃくを起こした母親なのだろうと、思う。そして父親は、母親のそういった癇癪かんしゃくを受けたストレスが溜まり、爆発して、一昨日、僕に暴力を振るったのだろうなと、思う。

 ……というか、母親はそういう奴だ。最近の事で言うなら僕は恐らく、父親より知っている。母親は元々、頭がおかしい。

 一見普通に見えるし、普段話しているうちはとてもマトモな人間に思えるのだが、元々母親はスマホに夢中でご飯を作らなかったり、話しかけても返事をしなかったり、突然「あぁっ!」という大声を上げて台所のシンクを殴ったりと、していた。

 どこか、おかしい人だったのだ、母親は。父親よりも先に駄目になるだろうなと、僕は最初から、思っていた。そしてその通りになった。

 それでも僕がおかしくなってからは、なんとなく僕を気遣うような素振りをしてはいたのだが……ついに耐えきれなくなり、実家に逃げていった。大事な今日という日を、顧みず。

 いや、大事な今日という日から、逃げ出した……とも、取れるだろうか。

「父さん」

 僕はそんな事を考えながら、哀れな男である父親の体を揺する。すると父親は「ん……ぁ?」という寝ぼけた声を出しながら、片目を開いて僕の顔を見つめた。

「朝だよ。何か作ろうか?」

「ん……あ、いや、俺が」

「いーから。何時に起きれば間に合う?」

「……えいこ……」

「何時?」

「七時半……に、起きれば十分……」

「分かった。それまでゆっくりしてて」

 僕は地面に落ちていた毛布を拾い上げ、父親の体に掛ける。そして台所へと向かって、冷蔵庫を開けた。

 ……ほとんど何も入っていない冷蔵庫である。それも仕方ない所では、あるのだが。

 今日の夜にでも、買い出しに行かなければならない。料理なんてあまりした事は無いが、これから覚えていかなければならないだろう。

 たとえ今日の検査結果がどう出ようとも、母親が実家に帰っている最中の食事くらいは、僕だって食べる事だし、学校を休んでいる僕が、作ってあげないとと、思う。


 歩み寄るなら、両方から。

 両方から歩み寄れば、より早く、お互いが近づける。

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