第45話 母親の若い頃と僕
父親のレッスンは深夜まで続き、ヘトヘトになってしまった。僕は痛くなってしまっている自分の手を見つめ、何度めかの「ふーぅ」というため息をつく。
ツッてしまいそうなほどの無理な指の動きを強要され、さらに弦が指の腹へと食い込み、ビリビリと痺れており、かなりの苦痛だ。それなのに上達している実感が全く沸かず、次第にイライラとした感情が僕の中に芽生えてくる。
やはり、僕には向いていないと思う。ここまで飽き性だとは自分でも思ってもいなかったが、チャキマルのお墓作りも途切れ途切れで進めている状態なのを思い出し、やはり指先を使うという事は苦手なんだなと、改めて認識する。
「指いたーい……」
僕が弦を押さえる腕をブンブンと振りながら、父親へと不満を訴える。しかし父親は水を得た魚のような状態で、僕の言葉に「そうか」とだけ返事をして、僕が今練習しているGコードを延々とかき鳴らす。
そもそも聞く所によると、Gコードというのは、まだ発達しきっていない僕の小さな掌では、少し難しいらしい。しかし最もポピュラーというか、色々な楽曲でよく出てくるコードらしく、とにかく練習させられている状況だ。
しんどい……失敗して怒られたりはしないのだが、この地味とも言える作業が、大変、しんどい。
「ねー、もう今日はやめよーよ……僕もう眠い」
「……いや、もう少し、やらないか? せめてちゃんと音が出せるようになるまで」
その言葉を聞くのは、これで何度目だろうか。
そりゃあ上達しない僕が悪いのだとは思うのだが、僕は今日一日、色々な事があったので、正直もう眠い。睡魔にかなりやられており、ヤル気も全然湧いてこない。こんな状態で練習をした所で、上達なんかしないだろう。
「ねー……もう明日にしようよ。昼間に自主トレもしておくからさぁ」
「明日……」
父親はそう呟き、少し寂しそうな表情を見せた。そしてギターを弾く手を止め、僕の顔をチラリと見つめた。
「……そうだな。俺は明日、仕事にいかなきゃ、いけないし……シャワー浴びて、眠る事にする」
父親はゆっくりと立ち上がり、壁にギターを立てかけて、俯いた状態で脱衣所へと向かって歩き始めた。
やっと開放された……と安堵してその場にゴロンと寝転がった僕に、父親は「なぁ」と、再び声をかけてくる。
……まだ何かあるのか? そう思って僕は体を少し起こして父親のほうへと視線を向けると、父親はどうやら立ち止まっているらしく、丸まった背中を見せたまま、後ろ向きに声をかけてきたようだ。
「何?」
「……髪型、似合ってる。今日着てた服も、似合ってた」
思わぬ言葉に、心臓がドキンと高鳴った。
「言わなきゃ言わなきゃってずっと思ってて、言えてなかった。すまんな……おやすみ」
「母さんの」
僕は思わず、声を上げる。
「母さんの若い頃に、僕って、ソックリ?」
「……エイコくらい若い頃には出会ってなかったから分からないが、お前のほうが、可愛いよ」
そういう事を、聞きたかったんじゃないのだが……。
……僕は結局、父親に聞けなかった事がある。
それは、どうして僕を育てたいと思ったのか? という事。
だけどこの答えは、なんとなくだが、分かっている。僕が憎くて、僕に暴力を振るい続けたいだとか、殺したいからだとか、そういった理由では決して無い。
きっと父親は、母親にソックリな僕を、母親のような人間に、育てたくないと思ったからなんだと、僕は思っている。
だから、遠回しに、聞いてみたかった。探りを入れてみたかった。
鈍感な、父親だ。察してくれない。
しかしそれも、仕方のない事。だって、真意を話していないのだから。話さないと、分からない。当然の事である。
僕はリビングの絨毯の上で、目を閉じる。そして昨晩に想像していた、王子様とお姫様を再び、思い描いた。
二人は花畑の真ん中で、笑いあっている。
今日の二人は、泣いてはいなかった。
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