第41話 考察

 父親はビールジョッキを手に持ち、口を付ける。思った以上の速度で減っていくビールに、僕は呆気にとられていた。水分って、そんな速度で取れるものだったのか……知らなかった。

 そういえば父親が酒飲みか下戸かも、僕は知らない。今まで、それほどまでに会話が無かった。お互いの事を、知らなかった。

 こんな家庭環境じゃあ、僕が歪んだ子供に育って当然だな……なんて考え「はは」と、少し笑う。

「それでさ、今日何があったの? 母さん殴ったから出てったの?」

 僕が新しく焼き始めた肉をひっくり返しながら質問をする。父親はビールジョッキをテーブルの上に乗せ「そんな事はしない」と言いながら、椅子の背もたれにより掛かる。

「今日の昼間、藤井さんの奥さんが、家に来たんだ。小学生の子供連れてよ」

 藤井……その苗字を聞いて、僕はハッとなり、父親の顔を見つめた。父親の表情は少し気分が晴れてきているのか、お酒のせいなのか、血色が良く、赤くなっている。

 藤井とは、僕が赤ちゃんを誘拐した家の苗字。その家の奥さんが、一体何の用事で、家へとやってきたのだろう……。

「何しに来たの……? 慰謝料とか、請求された……?」

「……慰謝料は請求されなかったが、酷く怒っていたよ。お前が学校で、藤井さんの息子が赤ちゃんの誘拐の手引をしたって言い触らしていて、それが原因で子供がイジメを受けているって言ってな」

「えっ! えっ? 何それっ!」

 僕はつい立ち上がり、父親に詰め寄った。父親は僕の顔を見つめ、口をへの字にする。

「僕、藤井さんの家に小学生の子供が居たなんて、知らないよっ! それに僕、あの日以来学校に行ってないっ!」

「分かってる。だけど藤井さんの子供がイジメられている事は事実らしいし、そういった噂が流れている事も事実だ……腹立たしい事だが、真実がどうであろうと、関係無いんだろ。標的さえあれば、それでいいんだ」

 ……なんだと、言うのだ、本当に。

 無視されて秘密基地まで壊されて赤ちゃんの人形を椅子に置かれて、その上、濡れ衣を着せられている……? そこまでの悪い事を、僕はしたのか?

「……話し戻るが、それが原因で、母さん実家に帰っちまったんだ。奥さんと口論になってな……ほら、母さん癇癪持ちだろ? イーッてなって、部屋汚して、実家に電話して、迎えに来てもらって、そのまま行っちまった。俺の顔、見もしなかったよ……はは」

 父親はこの食事が始まってから初めて、笑顔を見せた。口角を上げ、自称気味に、笑っている。

 何を笑っているのか、この男は……笑ってられる場合では無いだろう。

「……エイコ、お前さ、赤ちゃん、砂場に一人で居たって、言ってたよな」

 ビールのジョッキを手に持ち、父親は真剣な表情を作りながら、一口飲む。そして空になったジョッキをテーブルにおいて、僕の顔を見た。

「どんな状況だったか、思い出せるか?」

「あの時、言わせもしなかったくせに、今聞くんだ?」

 僕が冗談めかしてそう言うと、父親は自分の髪の毛に手を突っ込み「あぁー……」という声を上げた。

「……すまん。後で俺の髪の毛を引っ張ればいい」

「冗談だよ。アンタ真面目だな」

 真面目だから、深く悩んでしまうのだろうな……と思い「ふふ」という笑い声が、僕の口から漏れた。

「えっとね、夕方五時を過ぎたくらいかな。公園の砂場に毛布に包まった裸の赤ちゃんが一人で居て、辺りをキョロキョロ見回しても、ベビーカーとか赤ちゃん用品入ったようなバッグとか無くて、驚いた」

「……なるほどな。そういう事か」

 何が、そういう事なんだろうか? 父親だけが納得したようで、腕を組み首を上下に動かしている。

「何? 何が?」

「公園に赤ちゃんを放置したのは、恐らく藤井聖夜だ」

 ……誰だそれは?

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