第34話 カヨネェ
試着室を出ると、カヨお姉さんが難しい表情を作りながらだが、僕の事を待ってくれていた。そして僕の顔を見るなり、ニコッと微笑みを浮かべて「どうだった?」と、聞いてくる。
凄く、気を使わせてるな、僕は。こんなに親身になってくれる人なのだ、アザの事、絶対に聞きたい筈。平日の昼間に僕がここに居る理由だって、聞きたい筈。それなのにこの人は、ただ微笑み、ただ話しかけ、ただ僕に付き合ってくれている。
僕なんかには勿体無い、女神のようなお姉さんだ。こんな人が存在するだなんて、知らなかった。
「良かったから、やっぱりカヨお姉さんが選んでくれたやつにする」
「あっホント? 気に入ってくれたんだ。なんか嬉しい」
カヨお姉さんは歯並びの良い歯を見せながら、微笑んでいる。
笑ってはいない。微笑んでいる。その違いを、今日始めて、知った。
「付き合ってくれて、ありがとう」
カヨお姉さんの微笑みに近づけるよう、僕は精一杯、微笑みの顔を作りカヨお姉さんの顔を見つめた。
しかしなんだか、ぎこちないように感じる。どうやら口元がピクピクと動いているようだ。
……微笑みって、難しいもの。それをいとも容易く、当たり前のように行えるカヨお姉さんは、やっぱり凄い人なんだと、思わされる。
「ははっ。ううん、私もエイコちゃんのナイスショットを店頭に飾れると思うと、凄く嬉しいから」
カヨお姉さんは両手で長方形を作り、そこから片目で僕のほうを覗き込み「ぱしゃーん」と言って、また微笑んだ。
ぱしゃーんと言ったカヨお姉さんは、大人だというのに、可愛い。
今日のこの出会いは、僕に多大な影響を与えてくれた。生涯、忘れられそうもない。
僕はこれから、カヨお姉さんを目標にしよう。カヨお姉さんのように優しくて、明るくて、可愛くて、気の利く、素晴らしい人間になれるように、努力しよう。
僕にはいっぱい、いっぱい、反省しなければならない所がある。それを全て、いいモノに変えよう。
「……カヨ……」
僕がそう呟くと、カヨお姉さんは「ん?」と言って、また微笑み、首をかしげて僕を見る。
……最初の一言は、勇気が要る。言葉が喉の奥から舌先に届き、胃液にも似たとてもすっぱい味が、僕の口いっぱいに広がる。
しかし、どうしても言いたい。どうしても。どうしても。
言わなきゃおかしくなってしまいそうだ。
「カヨネェ……って、呼んで、いい……?」
僕がそう言うと、カヨお姉さんは最初、とても驚いた表情を作り、僕を見つめた。
しかしすぐにカヨお姉さんはいつものほほ笑みを浮かべて、僕の肩へと手を置いて、僕の体を優しく、優しく、引き寄せる。
僕の体がカヨお姉さんの体に当たり、押し付けられる。今まで感じた事の無い、穏やかで柔らかい、だけど力強い不思議な鼓動を、僕は感じた。
「いいよぉーカヨネェって呼んで。私はなんて呼べばいいかな?」
「……呼び捨てに、して」
僕がそう言うと、カヨネェは早速「えいこぉー」と、柔らかい声で、僕の名前を呼んだ。
……この人、どれだけ人がいいんだ……この人っ……本当に、同じ人間だろうかっ……。
僕はカヨネェの体に手を回し、ギュッと力を込めて、引き寄せた。
「カヨネェ……カヨネェ……カヨネェ……」
「んー? あはっ。なんかホントに、妹みたい」
「……また、来るから。今度はお話、聞いて」
「うんっ。妹の頼みだ。後でケータイの番号教えるからさ、電話して? いつでもお話聞くからね」
ああっ……。
ああああっ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます