第33話 泣いた

「ええっ! お嬢ちゃんっ? どうしたの?」

 お姉さんが僕の肩に手を置き、慌てるような声を出した。

 申し訳ない……申し訳ない……そんなに動揺させて、申し訳ない。

 僕は首を横に振り、無理やりにでも笑顔を作り、顔を上げた。しかし涙は止まらない。ボロボロ、ボロボロ、僕の目から流れ出る。

「ううんっ……なんでもないっ」

「えー……何でもないって……んー」

 それでもお姉さんは困った表情を作り、また自分の頭の後ろに手を回して、ポンポンと自分の頭を二度、叩いた。

 その仕草はお姉さんの癖なのだろうか。とても愛嬌があり、可愛い印象。僕も今度、真似してみようと、思わされる。

「んー私、何か言っちゃいけない事、言ったかな? ごめんね? えっと……」

「僕、エイコっ……」

「ん? エイコ?」

「僕、エイコって、言いますっ……」

 僕がそう言うと、お姉さんは表情を崩して、ほがらかな笑顔を見せてくれた。

 僕の目線の高さまで身をかがめ、僕の目を見る。その時のお姉さんの表情は、まるで慈愛に満ちた、女神のように、僕には見えた。

 美しい……この人は本当に、美しい。

 この人と同じ家に、産まれてきたかった。この人と一緒に、生きてきたかった。

 そうすれば僕は、今、こんな事には、なっていなかっただろうと、思う。

「私はカヨっていうの。よろしくねエイコちゃん」

「カヨっ……お姉さん」

「ははっ。なんか、くすぐったいね」

 カヨお姉さんは僕の顔に触れ、涙を拭ってくれた。

 それでも次から次へと溢れてくる涙に、今度はポケットからタオル生地のハンカチを取り出し、僕の顔に当ててくれた。

「エイコちゃん、あのさっ……私でよければ、お話相手になるから。平日の昼間ってね、結構暇なんだ。店の前に来てくれたら、お話出来る」

 ……この人はきっと、色々と気遣い、察してくれている。僕に執拗に話しかけ続けてくれたのも、僕を気遣い、察してくれたからなんだろう。

 この人は、たまらなく、いい人だ。この人は、本当に、素晴らしい人だ……。

 僕は思わず、カヨお姉さんの首に、抱きついた。力強く、抱きついた。

「えぐっ! えぐぅっ! 僕ぅっ……! 僕ねぇっ……! 僕ぅっ……!」

 言葉に、ならない……言葉が、出てこない。

 聞いて欲しい言葉はいっぱいあるのに。涙がそれを邪魔する。

「うんうんっ……辛い事、あったんだね」

 カヨお姉さんは僕の背中に手を伸ばし、僕の背中を、擦ってくれた。

 とても優しく、温かいその手が、とても心地良い。そしてその心地良さが、僕の涙を、更に溢れさせる。

 止まりそうもない……涙の止め方を、忘れてしまった……。


 僕は泣いたままではあったのだが、カヨお姉さんは沢山の服を手に持ち、試着室へと連れて来てくれた。

 きっとまたお姉さんが、泣いている僕に気を使ってくれたんだと思う。試着室の中だと、人目を気にせず泣ける。

「えぐっ……えぐっ……」

 僕はひとしきり泣いた後、着ていた汚いシャツを脱ぎ、カヨお姉さんが選んでくれたシャツに腕を通す。そしてその上から枯草色のカーディガンを羽織り、試着室内にある鏡を見つめた。

「……わぁっ」

 目の前に居るのは、僕の知らない人だった。

 いや、確かに僕ではあるのだが、雰囲気が普段とは全く違う。グッと大人びて見えるというか、子供っぽさが抜けているというか。

 こういった服はある程度の身長が必要だと思っていたのだがそんな事も無く、カヨお姉さんが切ってくれた髪型にとても合い、新しい自分のように、見える。

 上半身だけでもそう見えるのだ、下半身も早く着替えたい……そう思い僕は、ハーフパンツを脱ぎ始める。

 すると試着室のカーテンが少し、カチャリという音を立てた。僕は驚き、そちらのほうを向く。

「エイコちゃーんどう? にあっ……」

 僕の姿を見たカヨお姉さんが、目をまん丸くさせて、驚いている。

 それは、僕の大人びた姿を見て、そうさせているのでは無い。僕のふとももにある、大きな大きな、青いアザを見て、驚いているのだ。

「っ……エイコちゃん」

「あっ! いやっそのっ」

 僕は裸を見られるよりも恥ずかしい気分になり、思わずそのアザを手で隠す。

 しかしアザはふとももの至る所にあり、隠すには両の手では全然足りない。

「ごめっ……ごめんエイコちゃんっ……! ごめんっ!」

 カヨお姉さんは大きな声でそう言い、カーテンの外へと、首を引っ込めた。


 ……また、困らせてしまったな。

 僕は、本当に……駄目な子だ。

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