第30話 散髪
しばらくケイジお兄さんが働いている所を見つめてから、僕は公園から出て駅へと向かう。
一時間に二本しかない電車に乗り、僕が住んでいる町よりは栄えている隣町へとやってきて、大きなショッピングモールへと辿り着いた。
僕の着ている服は汚く、入る事に躊躇してしまう。それにここは、人が多い。皆が僕を見つめているような感覚に襲われ、入り口付近でまた、立ち止まってしまった。
怖い……やはり人から視線を向けられる事が、怖い。この場所はこの市に住んでいる人ならば、誰もが来る場所だ。当然、僕が住んでいる町の人間も、ここで買い物をする。
「……エイコ、行け。お兄さんに話しかけるためだろ」
自分自身に言い聞かせるように、僕は呟く。
お兄さんに言われるのならともかく、自分で呟いた言葉に、勇気は貰えない。
しかしそれでも、僕は足を、踏み出す。踏み出さなければならない。
人が怖いとか。視線を集めるとか。そんな事は言っていられないだろう。
生きるためというより、お兄さんのため。僕はショッピングモール内に入っている美容院へと向かって歩き出した。
美容院を囲んでいるガラスから、中を覗き込む。店は白を中心に洗煉された装飾が施されており、とても綺麗なものに見せる。
今の僕には、とても場違いな空間のように感じ、僕の胸はチクチクと痛む……。
やっぱりいつもの、床屋さんにしようか……そんな事を考えてその場を離れようとしたその時、店の中から一人の女性が出てきて「こんにちはー」と、話しかけられた。
僕の体はビクッと反応する……正直驚いてしまったし、お姉さんの綺麗な笑顔に、気圧されてしまった。
美しい人である。髪の毛はツヤツヤの黒髪のロング。それが大変似合う、整った顔立ち。
少しタイトなブラウスに、タイトな黒いパンツ。足が長いと、思わされる。
チビでガリガリの僕とは、違う生き物だ……瞬時にそう感じてしまった。
「あっ……こんにちは」
「お嬢ちゃん、髪の毛乱れてるね。ちょっとこっちに来て。整えてあげる」
お姉さんはカウンターの中から大きなブラシを取り出し、満面の笑みで僕の事を手招きした。その笑顔に絆され、僕はおずおずと、お姉さんのほうへと近寄る。
……お姉さんは僕が赤ちゃんを誘拐した犯罪者だなんて、知らないのだから、大丈夫。
お姉さんは僕の頭を少し撫でて、ブラシを髪の毛に当てる。しかし直ぐに「あれ?」という、不思議なものを見るような声を上げた。
「……これってもしかして、自分で切ったの?」
やはり、言われてしまった。そりゃそうだ。ちょっと注視して見たら、僕の髪の毛は、かなり乱雑に切られている事が分かる。
「うん……失敗、しちゃって」
「あららぁー……せっかく可愛い顔してるのに、これじゃあ可哀想」
僕の心臓がまた、ドキンと跳ねる。
可愛い……? 僕って、可愛いのか?
そりゃあ同級生の中では間違いなく、可愛いほうだと、自分でも思っていた。僕が可愛い方では無いのなら、大抵の人が可愛くない事になってしまうと、思っていた。
しかし誰かに評価された事なんて、今まで一度も無い。可愛いと評価され、僕の心の中には、嬉しさがにじみ出てきている。
「そっ……そうかなっ?」
「うんうん、可愛いよー。良かったらお父さんかお母さんに言って、うちで切って貰えるように頼んでみたら? もっと可愛くしてあげるからっ」
「あっ! 僕、一人で来た。お金、貰ってきてるからっ。切って、下さいっ」
僕はとても嬉しくなり、散り散りになってしまった言葉でお姉さんにそう伝えた。
お姉さんは僕の言葉を聞き、とても優しく柔らかい表情で「はい。私が貴方に一番似合う髪型にしてあげるね」と、言ってくれた。
優しく綺麗なお姉さん。僕も、そうなりたい。
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