第27話 名前

 今日の作業を終了させ、僕は浮かれ気分を抱いたまま山を降りた。そして空き地にダンプ車が停まっている事を確認し、心をホクホクとさせ、公園へと駆けこむ。そして空き地でスコップを持って、未だぎこちない動きで作業をしているお兄さんを見つめた。

 オロオロとうろたえ、近くにいるお爺ちゃんに話しかて指示を受けるその姿は、とても初々しい。

 おでこから流れてきている汗を拭う姿、仕事を見つけて薄っすらと笑う姿、お爺ちゃんに話しかけられて少し嬉しそうにする姿。その全ての姿が僕の目には愛嬌たっぷりに映り、僕の胸をときめかせた。

 心がキュンキュンしている。それと連動するように、体に手持ち無沙汰のような感覚が襲いかかる。体がいてもたってもいられない。僕は持っていたトートバッグを強く強く抱き締め「うぅーっ」という声を上げた。

 お兄さん。お兄さん。お兄さん。

 早くこっちに来て欲しい。早くこっちに来てくれないかな。早く。早く。


 しばらく見つめていると、昨日僕が話しかけたお爺ちゃんが再び公園のほうへと向かって歩いてくる姿が目に入った。やはりタバコを取り出し、火を付けている。

 僕はおもわずお爺さんへと掛けより、昨日よりも元気良く「こんにちはーっ」と、声をかけた。

「お? 昨日のお嬢ちゃん。今日も学校休みなのかい?」

 お爺ちゃんは僕を見つけると同時に笑顔を作り、とても機嫌良さ気に話しかけてきた。

 そう。僕は普通の子供。普通の女の子なのだ。嫌な表情をされるほうがおかしい。

「うん。お休みなの。それでね、気になったんだけど」

 僕は空き地のほうを指差す。その先には当然、お兄さんが居る。お爺ちゃんは僕の所作につられるように、お兄さんを見つめた。

「あの人って凄く若いけど、新人さん?」

「あぁ、ケイジな。新人だよ」

 脳天から、雷が落ちたかのような感覚が僕を襲った。

 思ってもみなかった、収穫だ。

 ケイジ。

 名前はケイジ。

 脳に刻もう。ケイジ。

 ケイジケイジケイジ。

 もう忘れない。絶対忘れない。

 ケイジ……お兄さん。

「へっ……へぇっ……やっ……やっぱり、新人さん、なんだぁ」

 体が震えるばかりか、声も震えている。

 僕は今、凄く嬉しい。凄く凄く、嬉しい。

 そりゃ体は震えるし、声だって震える。これはもう、仕方がない。だって、だって、僕は今、生まれてきた中で一番、嬉しいと、感じている。

「ん? あぁ、先週入ったばっかで、一生懸命なんだがな、まだまだ動きがトーシロなんだよな」

「そうだよねっ。だってまだ新人なんだもんねっ。いくつくらい、なのかな?」

「あぁー……十七か十八だったかな。アイツ自分の事話さねぇんだ。良く知らねぇなぁ」

 意外と年を取っていたらしい。中卒ですぐ働いていると言われても違和感がない。

「学校、辞めて働いてるの?」

「さぁな。どうなんだか。お嬢ちゃん、アイツの事気になるのか?」

 図星を付かれ、僕は体をビクンと跳ねらせた。顔がどんどんと、熱くなっていくのが分かる。

 ……流石に、聞きすぎただろうか。お爺ちゃんの笑顔が少し崩れ、機嫌が悪くなってきているように思える。

「あっいやっ! 気になるっていうか……あはは」

 僕は笑顔を作り、頭に手をおいて笑い声を上げた。

 そんな僕を見て、お爺ちゃんは「ふーん」という声を上げて、最後に横目で僕の顔をチラリと見つめ、公園内にあるトイレへと向かって歩いて行く。

 ガキのくせに……とか、思われてしまっただろうか。

「ガキでも、恋くらいするんだよ」

 公園のトイレへと入っていくお爺ちゃんを見送りながら、僕はボソリと、声を漏らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る