第24話 父親

 母親から多少のお金を受け取り、僕は自室へと篭もり、布団へと横になって読み飽きた漫画の本を開き、なんとなく目を通した。

 しばらくするとこの家の玄関が開かれる音が聞こえてくる。どうやら父親が、帰ってきたようだ。

 父親と言っても、血は繋がっていない。父親の「俺の子じゃない」という言葉は、合っていた。

 今更別に、その事について寂しくも悲しくもない。むしろ父親には、同情してしまう。母親のような売女ばいたに騙され、疑念のせいで愛情を注ごうにも注げずにいた、僕のようなクソガキを育ててきてしまったのだ。自分を十何年も騙し続けていた専業主婦である母親と、実の娘では無い愛想の悪いクソガキを育てるために身を削り働いていた事を考えると、やってられないだろう。

 自分の子じゃない子を愛せないのは、仕方のない事と、僕は思う。僕はむしろこの事実を、妙に納得している。

 だからと言って、父親を好きになる事は出来ない。一生顔を合わさないで済むのなら、そうしたいとも思っている。

 僕は立ち上がり、自室の扉へと耳を付けた。すると僕の耳には「離婚」や「養育費」と言った単語が聞こえてくる。

 もう、離婚なんだろうな……そう思っていると、母親が少し強めの口調で「エイコちゃんが喋ったのっ」と言う声が聞こえてきた。そしてその言葉を聞いて、父親が黙り込んだ。

 しばらくそのまま、無言で無音の時間が続き、どれくらいぶりかに僕の耳に届いた声は、父親の冷たい「しらねぇよ」という、ものだった。


 ……これ以上傷つかないように、父親、母親、担任の先生、心療内科の先生の話を聞かされる時は、心にバリアを張っているかのように感じていたのだが……今ちょっと、油断してた。

 というより、もしかしたら、他の答えを。他の言葉を。期待していたのかも、知れない。

 胸がズキンと、痛い……。

 僕は胸を押さえて、ヨロヨロと布団へと近づき、倒れこんだ。


 もう……いいや。家族なんて、もういい。いらない。

 お兄さんの事だけ考えて、眠ろう。

 お兄さんに誘拐される事を夢見て、眠ろう。

 悲しみが溢れ出そうとしていたから、僕は枕を握り顔を当て、ギュッと瞼を閉じた。


 どれくらいの時間が経ったのだろう。僕はこの部屋の扉が開かれる音で、目を覚ます。人の気配のするほうへ視線を向けると、そこには肩を落とし俯いている、父親の姿があった。

 僕は父親の顔を見つめる。父親は僕の顔を見つめない。しかしそれでも、僕のほうへとジリジリ、歩み寄ってきた。

 ……なんだ? 一体、なんだと言うのだ?

 僕は父親のただならぬ雰囲気に恐ろしくなり、体を起こして後ずさった。

「……何? 何か用?」

 僕がそう聞くと、父親はようやく少し顔を上げ、僕の顔を見つめた。

 父親の瞳は虚ろで、母親と同じように生気が宿っていない。この人も、もうダメなんじゃないかと、思わされる。

「お前、父さんと一緒に来ないか?」

 ……一体この人は、何を言っているのだろう?

 もしかして、母親と離婚した時の事を言っているのだろうか? もしそうだとしたら、それは意味が分からない。

 施設に送られるような事があっても、父親と一緒に住む選択なんて、ありえないだろう。

 それに、つい先程。ほんのつい先程、僕が声を発した事に対して「しらねぇ」と、言ったばかりではないか。

 この人は、本当に、何を言っているんだ。

「なんで? 僕、娘じゃないんだよ」

「……あの女に子供を育てるなんて、無理だろ」

「……嫌だよ。だって」

 僕の「嫌だよ」という声を聞くと同時に父親は顔を再び俯かせ、僕へと勢い良く走ってきて、僕のお腹を、蹴り飛ばした。

 僕は突然の事に、身動きが取れなかった。そしてあまりの衝撃に、僕はお腹をおさえて、丸まった。

「うげぇっ……! うううぅぅっ!」

 痛がっている僕の背中に、父親は更に踵で踏みつける。

 何度も何度も、踏みつける。

「このクソガキがぁっ! 一緒に来いって言ってんだっ!」

 痛い……痛い……。

 こんな事をされて、どうして父親と一緒に行くと言えるだろうか。

 大体にして、元々僕の事を好いていなかったではないか。事件にもなっていない赤ちゃんの誘拐を切っ掛けに、暴力を振るうようになったでは無いか。父親に付いて行くという事になったら、毎日この痛みに、耐えなければならないという事では無いか。

 そんなの、死んでしまうでは無いか。殺される。僕は父親に、殺される。

「来いっ! 俺ん所に来いっ! 返事をしろクソガキぃっ!」

 もし、殺されるのだとしたら、お兄さんがいい。

 お兄さんが僕をチャキマルの所に連れて行ってくれるのなら。それはそれで、構わないと、思う。

「痛いっ……痛いぃっ」

 助けて……。

 助けてください……。

 僕を、ここではない、どこかへ。

 お兄さんが、連れてって。

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