第13話 断髪

 服を脱ぎ、お風呂場へと入る。僕の右手には、ハサミが握られていた。

 僕の全身をお風呂場にある鏡で見つめた。僕の体にはあちこちに、アザが出来ていた。

 どうやら父親に殴られた場所や、髪を引っ張られている時にぶつけた場所が、変色しているようだ。腕や足は小麦色に焼けているのでそれほど目立ちはしないが、体のほうは白い。だからアザが、よく目立つ。

「……痛いよぉ」

 僕はボソリと呟いて、一番目立つ肩のアザを触った。すると、秘密基地とチャキマルの件からあまり動かなくなっていた心が、ザワザワと騒ぎ出す感覚が蘇る。

 胸がギューっと締め付けられる。その締め付けられた中で心が暴れている。それを感じた脳が体をガクガクと、震わせた。

「いたぁいっ……お父さん、いたいよぉっ……お父さんはなんで……なんで僕の味方をしてくれないのっ? 僕っ、ムスメだよっ! 僕、お父さんのムスメだよぉっ!」

 思いの丈が、口から飛び出した。僕が今口にしている言葉は、脳を迂回する事無く漏れ出ているように感じる。だって僕は、言葉を考えていない。

 汚れた心がまるで意志を持ち、独自に言葉を発しているよう。

「僕学校で無視されてるっ! きっと明日はイジメられるっ! 先生も味方じゃないっ! せめてお父さんとお母さんは僕を味方してよっ! 僕死んじゃうっ! 僕死んじゃうよぉっ!」

 そして言葉が飛び出す度に、僕の体はより震える。

 僕はハサミを持っている震えた手を、髪の毛へと持っていく。

 僕は「ふぐぅっ!」という声と共に息を吐き、肩にかかっている髪の毛に、ハサミを入れた。

 大きな束の髪の毛が、お風呂場のタイルの上に、パサリという音を立てて、落ちる。

「死んじゃう! 死んじゃう! 助けて! 助けてっ!」

 僕の心の割れたところから真っ黒いモヤが出てきて、そのモヤが僕の心を真っ黒に染める。

 その黒いモヤが僕をイライラさせた。これほどまでにイライラしたのは、産まれて初めての事かもしれない。

 僕はそのイライラをぶつけるように、自身の髪の毛を切った。

 乱雑に。メチャクチャに。髪の毛を切る。


 髪の毛を切った後の、ハサミを見つめる。

 このハサミは、髪を切る用のものではない。学校で使う用に購入した、裁縫箱の中にある、大きな大きなちバサミ。

 ちバサミには僕の髪の毛がこべりついていた。僕はその髪の毛を見つめる。

 特に意味無く、僕はハサミの刃に、指先を触れさせた。そしてそのまま、指を横滑りさせる。

 すると、脊髄がビクンと反応するような鋭い痛みが、僕の指先を襲う。僕の口からも「つっ」という言葉が漏れた。

 指先を見つめてみると、ほんの少しだけ切れていた。切れた場所から、血がにじみ出ている。

 僕は切れた指先を咥え込み、血を吸い出した。僅かな血の味が、僕の舌先を刺激する。


 シャワーを浴びてお風呂場から出た僕は、誰もいないリビングに隣接されている台所へと裸のまま向かった。

 特にお腹は減っていないのだが、何か食べるものが無いかと、冷蔵庫の中を物色する。

 僕は見つけた薄切りのハムを手に持ち、自室へと帰っていく。

 自室には、当然の事ながら、壊れたベッドがある。あちこちに割れた木が飛び散っており、かなり危ない。

 僕は木を踏まないように、ゆっくりと慎重にベッドまで向かい、壊れたベッドの上にある布団へと手を伸ばして、バサバサと木の破片を振り落とす。

 その作業が終わり、僕は割れた木の破片だらけの床の上に、改めて布団を敷いた。そしてその上に座り、ハムの包装を解く。

 ハムから出たゴミを部屋の隅へと放り投げ、僕はハムに、むさぼりつく。ハムの味は、なかった。

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